left★板書(+発問)★
【三】第六夜
※〈小説の舞台設定…5W1H〉
(いつ) 明治時代のある日
(どこで) 護国寺の山門で
(誰が) 自分が
(何を) 仏師運慶の彫刻は木の中から
仏像が出て来ると
皆が騒いでいるのを
(どうした) 耳にして木を持って帰って彫った
↑
(なぜ) 木の中から仏像が出て来るか
と思ったから
@運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいるという評判
だから、行ってみると、もう大勢集まって下馬評を
やっていた。
〇松の緑と朱塗りの門が互いに照り合ってみごとに見
え…何となく古風であり、鎌倉時代とも思われる。
↓
〇ところが見ている者は、みんな明治の人間で、
仏師や仁王について様々に評判し合っている。
A運慶は見物人の評判には委細頓着なく鑿と槌を動か
して、仁王を彫り抜いて行く。その様子がいかにも
古くさく、わいわい云っている見物人と釣り合いが
取れないようで、自分はどうして今自分まで運慶が
生きているのかなと思い、不思議な事があるものだ
と考えながら、立って見ていた。
〇しかし運慶は…一生懸命に彫っている。
〇この態度を眺めていた一人の若い男が、「さすがは
運慶だな…」と誉め出した。「よくああ無造作に鑿
を使って、思うような眉や花ができるものだな」と
自分はあんまり感心して独り言のように云った。
↓
〇すると、さっきの若い男が、「あの通りの眉や鼻が
木の中に埋っているのを、鑿と槌の力で掘り出すま
でだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだ
から…」と云った。
↓
B自分は…彫刻とはそんなものかと思い出した。そう
なら誰にでもできる事だと思い出し、それで自分も
仁王が彫ってみたくなったから、見物をやめて家へ
帰った。
〇鑿と金槌を持ち出して…積んである薪を片っ端から
掘ってみたが、仁王を蔵しているものはなかった。
見当たらない。
↓
Cついに明治の木には到底仁王は埋っていないものだ
と悟った。
それで運慶が今日まで生きている理由もほぼ解った。
▼〈段落まとめ〉
第一夜〜第五夜は生と死が描かれるが、第六夜は少し
異なり芸術に関係がある話である。
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right★補足(+解説)★
・運慶=平安後期〜鎌倉初期の仏師
→快慶と共に、東大寺南大門の金剛力士像を作る
→金剛力士像は、阿形像と吽形像の二体で寺院の門
などに安置される。仁王とはこれを意味する。
→男性的な力強さ、ダイナミックでリアルな作風は
時代を超えて多くの人を魅了する??
★仏教文化という古くから続いてきた歴史の中で作ら
れた運慶の仁王像は、西欧化の影響を受けて急速に
変わっていく文化の中では二度と再現できないであ
ろう、昔ながらの日本の精神文化の象徴と捉えるこ
とができる★
すなわち、運慶の仁王像に並ぶ名作は明治文化の中
では現れないであろうと諦め、それによって更に運
慶の仁王像の芸術的価値が高まっていることを、運
慶が明治時代彫仁王像を彫っている姿に譬えたのだ
ろうと考えられる★
明治を超えて、現代でも生きていると言える
★明治文化(人間の精神的活動によって生み出される
芸術・文学)に対する失望感や落胆の思い??
明治文化に批判的立場??
★「明治の木には〜」の表現について、ここでいう
「木」とは物理的な気を意味しているのではなく
、明治という時代の中で育っていった文化の比喩で
あるように思う。様々なz主義、流派に分かれてい
った名ぞ文化は、まさしく枝分かれしながら大きく
育っていく木を連想させるようだ。
★日本の開花に対して批判的であった漱石は、外発的
要因で急激に育った「明治の木」=明治文化に、運
慶の仁王のような名作は二度と現れないだろうとい
う失望感や落胆、あるいは自嘲の思いを込めて、第
六夜を描いたのではないかと考える。
★近代化によって日本文化が激変していく中で、失わ
れつつある日本の精神を表現した作品の芸術的価値
が一層高まり、時代を超えて評価されている。??
→<理由>
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