left★原文・現代語訳★
深草の帝の御時に、蔵人頭にて夜昼なれつかうま
つりけるを、諒闇になりにければ、さらに世にま
じらずして、比叡の山に登りて、かしらおろして
けり。そのまたの年、御服脱ぎて、あるは冠賜り
など、喜びけるを聞きてよめる 僧正遍照
=深草の帝の御時に、蔵人頭であって、夜も昼も
親しくお仕え申し上げたが、(帝が亡くなり)
喪に服する期間になってしまったので、 全く
(朝廷への出仕も止めて)世間と交際せずに、
比叡山に登り(延暦寺で出家して)剃髪した。
その次の年、みんなは喪服を脱いで、ある者は
冠を賜り(官位が昇進する)など、喜んでいた
のを聞いて詠んだ(歌)
みな人は 花の衣に なりぬなり
苔の袂よ かわきだにせよ
(巻十六 哀傷歌847)
=人々は皆(喪服を脱いで着替え)華やかな衣服に
なったようだ。(しかし、喪が明けても帝の死に
涙で濡れる私の)僧衣の袂よ、せめて乾くだけで
もしてくれ。
〈成立日時〉
〈主題〉(感動の中心・心情)
<天皇が亡くなった悲しみから立ち直れない思い>
を詠んだ歌。
〈鑑賞〉(感想・補足)
・三句切れ
・この歌は『大和物語』168段にもある。
・仁明天皇が亡くなり、文徳天皇をはじめとして皆が
喪に服し、僧正遍照も出家して比叡山に籠ったが、
喪が明けてからは、人々はみな喪服を脱ぎ華やかな
衣服に着替えた。それに対して、帝に近侍していて
まだ悲しみから立ち直れず、涙がちな自身の思いを
詠んでいる。
「花の衣」と「苔の袂」の対比により、周囲の様子
と作者の悲しみとが表現されている。
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right★補足・文法★
・深草の帝=仁明天皇(810〜850、在位833〜850)
・蔵人頭=天皇の側に仕えて諸事を行う蔵人所の次官
で、実質上の責任者
・諒闇=天皇が父母の喪に服する期間。通常1年間。
ここは文徳天皇が父仁明天皇の喪に服する期間。
・花の衣=華やかな着物
・苔の袂=僧の着る衣の袂、僧衣(そうえ)
・…だに=せめて…だけでも(副助詞)
ムソルグスキー「展覧会の夜」
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