left★原文・現代語訳★
志賀の山越えにて、石井のもとにてものいひける
人の別れける折によめる 紀貫之
=志賀の山越えの際に、石組みの山の井のほとり
で、言葉を交わした人と別れた時に詠んだ(歌)
結ぶ手の しづくににごる 山の井の
あかでも人に 別れぬるかな
(巻八 離別歌 404)
=(両手で)水をすくう手から滴る雫で濁る(ほど浅い)
山の湧き水の(僅かな閼伽の水と同じで十分飲めず
もの足りない)ように、
満足(ゆくまで話)もできずに(名残り惜しいまま)
貴方と別れてしまうことだよ。
〈成立日時〉
〈主題〉(感動の中心・心情)
旅の途中、行きずりの女性と十分に語り合えなかった
<名残り惜しく淡い思い>を詠んだ歌。
〈鑑賞〉(感想・補足)
・(修辞法)句切れなし、序詞、掛詞
・旅の途中、ある女性が山の湧き水を飲んでいるのを
目にして、飽きるまで話をしたくなったが、親しく
なれないままに別れてしまったことが名残り惜しく
残念に思う淡い気持ちが表現されている歌である。
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right★補足・文法★
・志賀の山越え=滋賀県大津市の志賀里から京都市の
左京区北白川へ通じる山道。比叡山の麓を越える。
天智天皇の創建と伝えられる崇福寺があり、多くの
参詣客で栄えていた、と言う。
・石井=岩の間から湧く清水、石で囲った井戸
・物言ひける→男女が情を通わせる、の意味もある
・山の井= 山の井戸・湧き水、水飲み場
・結ぶ=両手を合わせて(水を)すくう
→「結ぶ手の……山の井の」は、眼前の様子を描写
していて、「あか」を導く序詞ともなっている
・「あか」は、「飽か」(「飽く」未=満足する)と、
「閼伽」(仏前に供える僅かな水)の掛詞
→渇きを癒す程でない、不満足な状態を表す
・あか(掛詞)で(打消)も()→喉を潤すには十分でない
ように、満足ゆくまで話もしないで(別れた)

バッハ「シャコンヌ」
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