(先生の授業ノート)鷲田清和「自他のあいだの<間>  
left★板書(+発問)★   
(先生の授業ノート…普通クラス)
   鷲田清和「自他のあいだの<間>」

〈出典〉
・『「聴く」ことの力 臨床哲学詩論』(2015年)  による

〈筆者〉
・昭和24年(1949)〜
 大阪大学と京都市立芸術大学の学長などを歴任
・身体論・現象学が専門の哲学者
 身体・他者・規範・モード・国家などの多様な問題  を論じると共に、医療や教育の場での実践的な哲学  である「臨床哲学」の確立を目指す
           (…明治書院「現代の国語」)
・著書 『ちぐはぐな身体 ファッションて何?』
    『モードの迷宮』『哲学の使い方』など

〈概要→要約〉
・他者論・社会文化論(?)
・適度な<間あい>がある他者の存在があって、コミ  ュニケーションは成立し、私たちは自己調整を行い  決定的なダメージを負うことを避ける。その際に、  重要なことは、他者を通じて自己のアイデンティテ  ィを再発見(自覚・認識)でき、自分が存在している  ことを実感できる、と述べる。

right★補足(+解説)★   
(評論)2023年8月


※随筆=自己の感想・意見・見聞・体験などを
    筆に任せて自由な形式で書いた文章(随想)
 評論=物事の善悪・価値・優劣などを
    批評し論じた文章
※構成…序破急(三段)・起承転結(四段)



※当たり前の分かり切った事を難しく述べた、悪文で  ある。段落相互のつながりも分かりにくい。学者の  先生の頭脳には、凡人の思考回路ではとてもついて  いけない、しかし、こんな文章こそ問題作成者には  作りやすく、入試や模試にはよく出題される。




全体の構成 【一】(起)自己調整の場である人と人の<間>
             (序論…話題提示・問題提起)
【二】(承)他者から与えられるアイデンティティ
                       (考察)
【三】(転)場所を求められるアイデンティティ
                       (考察)
【四】(結)人の存在証明となる場所の実感
                    (結論)
left★板書(+発問)★    
〈授業の展開〉

【一】(起)自己調整の場である人と人の<間>
         (序論…話題提示=筆者の主張)
人と人の<間>は…
 <自己調整の場>    (として必要)である

      ・そこに自分を預けることによって
       自分の枠を緩める
      ・目の前にいる他者のその他者として
       自分を感じる

      ・自分が揺さぶられ、捏ねられ、
       新たな形を与えられる
      ・自分を休める
    ↓     (人と人の<間>で交される)
 <コュニケーション>(の意味)は
      ・意見の一致、コンセンサス(合意)を
       イメージするが…
  ・           (動機づけるものは)
   他者の存在と共に、その前に今疑いもなく
   存在するものとして自分を感じること
    ↓
  ・           (最も重要なことは)
   <自分とは異なる他者>
   (ありありと)感受すること
    ↓
 ▼他者との差異に深く思いを致すことで
  <自分という存在の輪郭>を思い知る
  =他なるものを通した存在感情の差異…
   深い差異を感受する

▼〈段落まとめ〉
人と人の<間>は自己調整の場であり、そのような場 であるコミュニケーションにおいて重要な事は、自分 と異なる他者の存在を感受して、それを通して自分と いう存在の輪郭(アイデンティティー)を発見(認識) することである。

right★補足(+解説)★        


☆アイデンティティー(自己同一性)について述べた文

・間=空間的な距離。時間ではない

☆その関係に対し、冷静かつ客観的に把握・対応する

☆目の前にいる他者にとってのそのまた他者として、  自分という存在が存在しているということ
 →他者の存在そして自己の存在を感受し、その差異   に思いを致して、自己の存在を発見して調整する


<他者の存在>−−<間(あい)>−−<自己>
(自分と異なる) (適度な距離) (発見)
            ↓
      コミュニケーション・自他の存在







★人と人の<間>というのは
 他者を通して<自己を発見>する場である
       (自分は如何なる存在なのか)


〈一二段要約〉(参考?明治書院「現代の国語」)
人と人の<間>は自己調整の場である。コミュニケー ションで重要なことは自分と異なる他なる存在を感受 することである。そして、<間あい>のおかげで、他 人との関係のずれによって生じる<自己>を求めて堂 々巡りに陥るという決定的なダメージを避けられる。

left★板書(+発問)★    
【二】(承)他者から与えられるアイデンティティ
                    (考察)
    (自己調整の場である人と人の<間>での      コミュニケーションにおいて)
〇例えば、タイミング・間が、うまくとれない時、
             人は自分が発した言葉で
     自他の隙間を埋めようとする
    ↓
  ・自分(が撒いた言葉の集積)の中に閉じこもる
  ・自分を支えてくれるはずの他者との接触
   自己を侵犯してくる暴力へと裏返ってしまう
            (コミュニケーションは
             適度な間があって成立)

    (そのようなコミュニケーションにおいて)
<自己の同一性・自己の存在感情>というのは
         (人と人の<間>が適度にある)
 <他者によって与えられる>
    ↓     (同一内容の繰り返し2回目)
  ・他者から隔離された所では
   人は自己を求めて堂々巡りに陥ってゆく

<このように>  (自己調整の場である人と人の)
<間あい>のおかげで
 他人との関係の少々の齟齬やずれが、
 決定的なダメージにならなくて済んでいる

▼〈段落まとめ〉
コミュニケーションは、人と人の<間>が適度でなけ れば成立せず、<間>のおかげで人との関係に齟齬が 生じても決定的なダメージを避けることができる。
自己の同一性・自己の存在感情も、人と人の<間>が ある他者の存在があって認識できる。

right★補足(+解説)★        
★この段落から、「アイデンティティー」や同一内容  の「自己の存在感感情」「自分というものの存在」  「私が誰であるかということ」という表現が何度も  繰り返し出てくる。結局同じ事ばかり述べている。

・間=自他の関係性? ・間あい=自他の距離感覚?
★人と人の<間>は、他者と自己の存在を感受して、  その差異に思いを致し、自己調整する場であるが、  その人と人の<間>が適度でなければ
 <コミュニケーションは成立しない>





(自己の同一性)
アイデンティティー・自己の存在感情を認識する
 には、他者の存在を必要とする
 →文章全体の結論とも言え、後は同様の事を言葉を   色々と変えて述べ、主張を伝えようとしている
☆他の比較する対象がなければ、自己の存在の輪郭を  描けず、自分の事(アイデンティティー)は解らない


★人間関係には、適度な間あい(距離感)というもの  が存在するので、齟齬があっても決定的なダメージ  を避けることができ、適切なコミュニケーションが  できている。(但し、いつも齟齬を避けていては、  他者と親しくなれないものかもしれない)

☆<間>→他者→場所→実感、と論は展開する。




left★板書(+発問)★    
【三】(転)場所を求められるアイデンティティ
                    (考察)
  (他者から与えられるアイデンティティの仕組み)
<自己の存在感情>にとって
          <間あい>が不可避である
    ↓
   自分というものの存在を
   確かなものとして感じうるには
 <他者の存在>を欠くことはできない
    ↓     (同一内容の繰り返し3回目)
 <しかし>問題は、「他者」とは社会的存在でなく
      私が「誰」かであるという特異性
      掛けがえのなさを感じることのできる
      他者の存在である

アイデンティティー(の認識)には、必ず
 他者が必要だ        (同一内容4回目)
    ↓
 ※R.D.レインという精神科医は、
 アイデンティティー(私が誰であるかということ、  いつどこでも自分が同一人物だと感じる所のもの)  は、他者との関係の中で現実化される として
    ↓          (同一内容5回目)
 自他のアイデンティティー
 《補完性》・「場所」
を問題にした
    ↓↓         (同一内容6回目)
    ↓↓
    ↓↓
    ↓↓ <引用…R.D.レイン『自己と他者』>
全ての人間存在は、<<意味>>を必要としている
       =他人の世界の中での<場所>を必要

            (…普遍的な人間的欲求)
   ・他者の世界の中で場所を占めたい
   ・宗教における慰めは、自分は一人の大いなる     他者の前に生きているという実感であろう
   ・人生のある時期に、少なくとも一人の他人の     世界の中で自分が第一の場所を占めるという     経験を求める
    ↓↓
    ↓↓   (アイデンティティーの仕組み)
 ▼自分が<誰の他者>でありえているか の感覚が
  <自己の同一性>感情の核をなす

    (自分を必要とする誰かの信頼できる他者に
     自分がなれているか、ということが
     アイデンティティーを認識させる)
    ↓↓
    ↓↓
    ↓↓
    ↓↓             (そして)
〇(自己)同一性は、たとえ一方的な関係であっても、
 やはり<相互補完的>なものである
    (自己の存在を実感するのは 他者の存在に      よってであり、他者もまたその他者の存在      によって自己の存在を実感する)
        ↑
    ・生徒のいない教師はいない
    ・患者のいない医者や看護師はいない
    ・人間関係は、他者による自己の、自己に      よる他者の「定義づけ」が含まれている
    ・役柄の同一性でなく、「誰」としての自己      の同一性であり、…教師・医師でもなく、      別の「誰」という単独的な存在である
     (自分が誰の他者でありえているかの感覚       が、自己の同一性感情の核をなす)
        ↓
   (人間は、他者の世界の中に場所を必要とし、
    また他者として誰かから場所を必要とされ、     互いに<意味ある存在>として生きている
    ↓              (従って)
 自分の存在は何らの意味を持っていないのでは
 ないか、という思いにとらわれた時、
 人はひどく落ち込む
    ↑
〇<引用…R.D.レイン『自己と他者』>
 人間は、他者の存在の欠落を経験するのではなくて
 他者に対する他者としての自分自身の存在の欠落を  経験する
    =彼に向かって何かを…働きかけて来ない      他者に悩まされる
    =他者はそこにいるが、
     彼は他者に対してそこにいない

▼〈段落まとめ〉
自分は如何なる存在として生きているかという自己の 存在感情の自覚には、他者の存在が必要である。
全ての人間存在は、他者の世界の中での場所を必要と していて、その誰かに必要とされる他者に自分があり えているかという感覚が、アイデンティティーを認識 させて、確かに自分は生きているという感情を抱かせ ている。それは他者にとっても同様で、相互に補完性 があり、人間は互いに他者を意識して定義づけをし、 相互補完的に自己同一性を認識して、意味ある存在と して生きているのだ。
従って、自分の存在は何らの意味を持っていないので はという思いにとらわれて、他者は存在しても、自分 自身の存在の欠落を経験し、ひどく落ち込むすること がある。

right★補足(+解説)★        






※以下にも、何度か「アイデンティティー」の説明

☆「他者」とは、(人が生きていく上で必要な社会的  なつながりを持った他者という、一般的な)社会的  存在ではなく、自分のアイデンティティを知るため  の存在である。


・アイデンティティ=自分が何者であるのか認識して  他者と区別できる状態。 自分は自分であると自覚  すること。自分の価値を他者に認められること。
 訳は「自己の同一性・自己の存在感情・存在証明」
如何なる存在として生きているかという自覚・認識
・R.D.レイン=精神科医


☆自己と他者とがそれぞれ独自にアイデンティティを  持つのではなく、両者が関わり合い差異を感受する  ことで、それぞれがアイデンティティを持つ。即ち  相手の存在があって成立する

★全ての人間は、なぜ自分はこの世に存在しているの  かという意味を必要としていて、他者に認められ、  必要とされる存在であり、愛する者に愛されたい、  と思いながら生きている
☆大いなる神の愛に包まれて生きている、と信じたい
☆幼い頃に母親や幼稚園の先生を独り占めにしたいと  思い、青年期には恋する人を自分のものにしたい、  と思ったりする。

 <誰か>→<場所を必要とする>→<他者>


★誰かが他者の世界の中での場所を占めたいと求めて  いて、その誰かに必要とされる他者に自分がなれて  いるかという感覚が、アイデンティティーを認識さ
 せて
、確かに自分は生きているとの感情を抱かせる
 仕組みとなっている。
 →例えば、愛する者に愛されているとの思いが、   自分は確かに生きているという感情を抱かせる。
 →自分の存在が他者の心の中で重要な場所を占めて   いることにより、アイデンティティーが成立し、   自己の存在感情を確認できる
アイデンティティーの認識は他者の存在が必要で、  人は他者の心の中で重要な場所を必要とするが、  それは他者にも同様で、相互に補完性がある。



☆教師も生徒も、互いに相手から場所を必要とされる  他者として存在している、という感覚を持っている
☆人々は、他者に対して自己は何らかの意味を持って  いて、他者もまたその他者に対して何らかの意味を  持っている、という感覚を持って生きている
☆教師と生徒いう役柄としての同一性ではなく、一人  の人間である教師と生徒とが、互いに意味ある他者  として存在している


☆自己が存在するためには他者が必要である。人間は  互いに他者を意識して定義づけをし、相互補完的に  自己同一性を認識して、存在しているのだ。

☆自分は、如何なる存在として生きているのかという  認識を持って、全ての人間は意味を必要として存在  しているのだが…
☆他者に対し、自分の存在は何の意味も持っていず、  存在していないのも同じ経験をして落ち込む

☆誰かが自分の心の中で場所を必要とするような他者  になれていない=何の意味も持たない存在である
☆他者はいるが、他者にとって意味のある存在として  自分はそこにいない)
 →「愛情」の反対は「憎しみ」ではなく「無関心」   =意味のない存在とよく言われる。
 →人との間合いを大きく取り逃げてばかりいると、   透明人間のように誰にも相手されなくなる








〈三四段要約〉(参考?明治書院「現代の国語」)
<間合い>が自己の存在感情に不可欠であり、自分の 存在を確かなものにするには他者が必要である。そし て、自分にとって必要な他者、すなわち、自分が誰の 他者でありえているかの感覚が自己の存在証明となる 。

left★板書(+発問)★    
【四】(結)人の存在証明となる場所の実感
                    (結論)
求められるということ……
 他人の何らかの関心の宛先になっているということ
 自分が他人の意識の中で無視しえない
 ある場所を占めているという実感が
    ↓
 ▼人の<存在証明>となる
   (アイデンティティーの認識・自覚)

▼〈段落まとめ〉
自分が他者の意識の中で無視しえない場所を占めると いう実感が、自己の存在証明となる(自分という人間 が確かに存在しているという、アイデンティティーを 与えてくれるor認識させてくれる)。

right★補足(+解説)★        



☆自分が他者に求められ、意味ある存在となっている  との実感が、自分は如何なる存在として生きている  かという、 アイデンティティーを与えてくれる。  (自己の存在感情の自覚=存在証明となる)









left★板書(+発問)★    
〈要約290字=24×12〉
人と人の<間>は自己調整の場であり、コミュニケー ションで重要な事は、自分と異なる他者の存在を感受 して、それを通して自分という存在の輪郭を発見する ことである。コミュニケーションは、人と人の<間> が適度でなければ成立せず、<間>のおかげで人との 関係に齟齬が生じても決定的なダメージを避けること ができる。自己の同一性・自己の存在感情も、人と人 の<間>がある他者の存在があって認識できる。
自分が他者の意識の中で無視しえない場所を占めると いう実感が、自己の存在証明となる(自分という人間 が確かに存在しているという、アイデンティティーを 与えてくれるor認識させてくれる)のである。


〈感想〉
私たちの周囲には色々な人がいて、それぞれ自己調整 の場である適度な<間>があり、コミュニケーション が交わされる。
そして、他者との差異により、自分がどのような人間 であるかを知ることができる。
また、人間は存在に意味を見出そうとするが、他者の 心の中に場所を必要とする誰かいて、その誰かの他者 にありえていると実感した時に、自分は確かに生きて いると思うものである。
愛する人から愛されている時に、自分は確かに起きて いると思うのと同じだろうか。

right★補足(+解説)★        

〈要旨200字〉(参考?明治書院「現代の国語」)
人と人との<間>は自己調整の場であり、コミュニケ ーションは自他の差異を感受するためにある。「間あ い」がうまくとれないと、すなわち他者と隔絶すると 、人は自己の中で堂々巡りに陥り(?)
決定的なダメージを受ける。つまり自分というものの 存在を確かなものにするには、他者が必要である。そ してその他者とは自己がその他者の中で無視しえない ある場所を占めているという実感を得られる他者であ る。(?)
それが自己の存在証明となる。

〈要旨100字〉(参考?明治書院「現代の国語」)
<間あい>がとれないと人は堂々巡りに陥る。(?)
つまり、自己のアイデンティティは他者との補完によ って成り立つ。そして、自分が他者の意識の中で無視 しえないある場所を占めるという実感が自己の存在証 明となる。

写真は、ネット上のものを無断で借用しているものも あります。どうぞ宜しくお願い致します。

貴方は人目の訪問者です