left★板書(+発問)★
〈要約290字=24×12〉
人と人の<間>は自己調整の場であり、コミュニケー
ションで重要な事は、自分と異なる他者の存在を感受
して、それを通して自分という存在の輪郭を発見する
ことである。コミュニケーションは、人と人の<間>
が適度でなければ成立せず、<間>のおかげで人との
関係に齟齬が生じても決定的なダメージを避けること
ができる。自己の同一性・自己の存在感情も、人と人
の<間>がある他者の存在があって認識できる。
自分が他者の意識の中で無視しえない場所を占めると
いう実感が、自己の存在証明となる(自分という人間
が確かに存在しているという、アイデンティティーを
与えてくれるor認識させてくれる)のである。
〈感想〉
私たちの周囲には色々な人がいて、それぞれ自己調整
の場である適度な<間>があり、コミュニケーション
が交わされる。
そして、他者との差異により、自分がどのような人間
であるかを知ることができる。
また、人間は存在に意味を見出そうとするが、他者の
心の中に場所を必要とする誰かいて、その誰かの他者
にありえていると実感した時に、自分は確かに生きて
いると思うものである。
愛する人から愛されている時に、自分は確かに起きて
いると思うのと同じだろうか。
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right★補足(+解説)★

〈要旨200字〉(参考?明治書院「現代の国語」)
人と人との<間>は自己調整の場であり、コミュニケ
ーションは自他の差異を感受するためにある。「間あ
い」がうまくとれないと、すなわち他者と隔絶すると
、人は自己の中で堂々巡りに陥り(?)
決定的なダメージを受ける。つまり自分というものの
存在を確かなものにするには、他者が必要である。そ
してその他者とは自己がその他者の中で無視しえない
ある場所を占めているという実感を得られる他者であ
る。(?)
それが自己の存在証明となる。
〈要旨100字〉(参考?明治書院「現代の国語」)
<間あい>がとれないと人は堂々巡りに陥る。(?)
つまり、自己のアイデンティティは他者との補完によ
って成り立つ。そして、自分が他者の意識の中で無視
しえないある場所を占めるという実感が自己の存在証
明となる。
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