(先生の授業ノート)長田 弘「自分の時間で読み継ぐ」  
left★板書(+発問)★   
(先生の授業ノート…普通クラス)
   長田 弘「自分の時間で読み継ぐ」

〈出典〉
・「朝日新聞」2009年10月22日夕刊

〈筆者〉
・1939(昭和14)〜2015(平成27)年
・詩人・評論家
・著作 詩集『われら新鮮な旅人』
    評論『抒情の変革 戦後の詩と行為』など
〈概要→要約〉
・本を最初から最後まで読むことが、読書のありよう  なのではない。

right★補足(+解説)★   
(評論)2023年4月





全体の構成 【一】(起)読書のありよう 【二】(承)自分の日々の時間の傍らに置く読書
【三】(転)人生の一部をなす読書 【四】(結)眼差しを透明で無私にする読書
left★板書(+発問)★    
〈授業の展開〉

【一】(起)読書のありよう
        (序論…一般論の提示と問題提起)
〇読書とは、本を<最初から最後まで読むことか>
    ↓           (一般的な常識)
そうではない       (筆者の見解・主張)
      →本は最初から最後まで読まれることを
       望んでいない
      →そういう本が、決して少なくない
    ↓
 <さっと読み飛ばさせない本>がある
           (読み飛ばすべきでない本)

▼〈段落まとめ〉
読書のありようとは、本を最初から最後まで読むこと ではない。さっと読み飛ばさせない本があるのだ。


right★補足(+解説)★        


・話題の提示(一般的な常識)→問題提起(筆者の見解)




☆擬人法→……読むべきではない
☆古代ギリシャやローマの哲学の本、古代中国の論語  ・荘子、キリスト教の聖書など←→漫画・小説など
・不用意=注意や用心の足りないこと
☆いつも傍に置いて、読みたい時に読んでは中断し、  (時々思い返して)じっくりと味わうような読み方を  するうちに、本の言葉が自分の中に畳み重ねられて  血肉となって行き、いつの間にか全体を読んだよう  になる本がある          (→第二段)
 =自分の日々の時間の傍らに置き、(読み通すので   なく)読みさし、読み継ぐ(本がある)

left★板書(+発問)★    
【二】(承)自分の日々の時間の傍らに置く読書
                (本論@…考察)
 (どういう本を…どう読むか)
    ↓
〇(読み通すのでなく)読みさし、読み継ぐ。そうして
 <自分の日々の時間の傍らに置く>(読書がある)
    ↑       ↑
    ↑   さっと読み飛ばさせない本がある
    ↑   =最も古い人間の文化のありようを
    ↑    最もよく伝えてきた  (古典)
    ↑       ||
〇二千年の命を今も保つ強靭な本(古典)がある
 =古代ギリシャやローマの哲学者の本、古代中国の
  論語や荘子、キリスト教の聖書万葉集や詞華集
    ↓
    ↓     (読むのを止める、中断する)
○読み切れず、繰り返し読みさすうちに
 いつの間にか<本の言葉が自分の中の畳まれていて
 全体を読んでいる>

        →中断を楽しみとして読む
         ことができる本は、良い本である
    ↓↓↓
(自分の)日々(の時間の)傍らに置いて
 読みさししつつ読み継ぐ<中断を活かして味わう>
 読み方ができる(→読書or本がある)
        ↓
     詞華集というのは、悦ばしい発明だった

▼〈段落まとめ〉
哲学書・論語・聖書などの古典を、日々傍らに置いて 自分の読みたい時間に読んで、止めては読み継ぐのを 繰り返すうちに、いつの間にか本の言葉が自分の中に 畳まれていて全体を読んでいるというような、中断を 活かして味わう、読書のありようもある。

right★補足(+解説)★        
(中断を活かして味わう読書)



いつも傍らに置いて、自分の読みたい時間に読み、  読むのを止めては、また別の時間に読み継ぐ
 or日常の中で、中断(して、内容を思い返しながら   考えたり味わったりするの)を楽しんで読むこと   を繰り返す
☆火を起こして物を作ったりするのは、最も古い人間  の文化であるが、文字を発明して本を読み書きする  のもそうである
・強靭=強くて粘りがある


・畳む=畳み重ねてまとめる、心の中に秘めておく
★いつも傍に置いて、(時々思い返して)じっくりと  味わうような読み方をするうちに、本の言葉が自分  の中に畳み重ねられて自分の血肉となって行って、  いつの間にか全体を読んだようになる
☆読むのを中断した後、じっくりと内容を思い返して  考えるのを味わい楽しむ、ようにして読む
★いつも傍に置いて、読みたい時に読んでは中断し、  (時々内容を思い返して考えて)じっくりと味わい  楽しんで読むうちに、本の内容が自分の中に畳み重  ねられて血肉となって行く
・詞華(シカ)集=優れた詩や文章を集めた書物
☆日々傍らに置き、中断を活かした読み方を味わえる  ものとして、実際の本の形に(して具現化)した






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【三】(転)人生の一部をなす読書
                (本論A…根拠)
○読書とは、本を読むだけのことではない
    ↓
 本を日々の中に置いて、本の置き場所をつくる
 そういう日々のあり方を進んで持ちこたえてゆく
 というのが読書なのだ
    ||
 読書というのは
 その人の<人生のスタイル>のことなのである
    ↑            (強烈に意識)
○黒田清輝の『読書』という絵
    →日本の絵画の近代の始まりを印象づけた絵
    ↓
 描かれているのは、日々の生活の一部をなす
 <人の人生の一部をなす読書>
 いうものの姿だった

▼〈段落まとめ〉
本を自分の日々の中に置き、常に本と共にあるあり方 を支え保って行くのが読書であり、読書というのは、 その人の人生のスタイルのことで、人の人生の一部を なすものである。

right★補足(+解説)★        




☆自分の生活の中で、いつも本と親しみ、身近な所に  本を置いておく(本と共にある)、そういう日々の  状態をどうにか支えて保ってゆく、というのが読書  なのだ
☆例えば、毎朝散歩するというのも、健康の為ばかり  でなく、その人の人生のスタイルなのである

・印す=目印とする、形跡を残す
・今()しも(強調の副助詞)=ちょうど今
・覚しい=思われる。見える
☆人の人生は、睡眠・食事・運動・仕事…など欠かす  ことのできない様々なものから成るが、読書もその  一部をなす重要なものである。







left★板書(+発問)★    
【四】(結)眼差しを透明で無私にする読書
                 (結論・補足)
(黒田清輝の絵『読書』にも描かれているように)
    ↓
〇読書というものが失ってはいけないのは
 <人の眼差しを透明で無私なものにする>ことだ

▼〈段落まとめ〉
読書というものは、人の眼差しを透明で無私なものに するものであることを失ってはいけない。

right★補足(+解説)★        




☆自分の日々の時間で読み継いで来た本と
 真摯に向き合う姿勢(?)
→何かに一生懸命打ち込んでいる時、人の姿は純粋で  美しく見えるが、読書に夢中になっている時もその  ように透明で無私な状態であるのだろう


left★板書(+発問)★    
〈要約192字=24×8〉
本を最初から最後まで読み通すことが読書ではない。 さっと読み飛ばさせない本があるのだ。哲学書・論語 ・聖書などのように、日々傍らに置き自分の読みたい 時間に読み、止めては読み継ぐという中断を活かして 味わう、読書のありようもある。そのような読書は、 その人の人生のスタイルのことなのであり、人の人生 の一部をなすものである。また、人の眼差しを透明で 無私なものにするものでもある。
(私達も、読書が人生のスタイルとなるような日々を  送ろう)

right★補足(+解説)★        


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