left★原文・現代語訳★
「古文現代語訳ノート」(普通クラス)
「大和物語/2段 旅寝の夢」
〈出典=「大和物語」〉
〇成立 平安中期(10世紀半ば=951年頃)
〇作者 未詳(→他者の増補修正?)
〇<歌物語>
・173段
・歌は約290首
・各段は、和歌と地の文(物語)から成る
・全体を通した主人公のような人物は存在しない
〇内容
・前半(〜142段)は、天皇・貴族・僧といった
実在の人物を通して、当時の貴族社会を描き出す
歌物語
・後半は、古の民間伝承に取材した伝説的な人物や
贈答歌のエピソードを描く歌物語
〇書名
・『伊勢物語』の影響の下に成立したとされ、
「大和」は「伊勢」に対する命名と言われるが、
大和という女房が記した物語だからとする説も
〇評価
・先行する作り物語・歌物語・日記文学・和歌など
の文学の集大成として成った『源氏物語』により
物語文学が完成(1008年頃)
〈概要〉
〇宇多上皇を慕い、故郷の家族を顧みずにお供として
お仕えし続けて、「うらみやすらむ」と歌を詠む、
橘良利の苦しい思いを描く (→主題)
〈全体の構成〉 (→要約→要旨)
【一】<出家し山歩き修行する帝にお供する良利>
御門、おりゐ給ひて、またの年の秋、御髪(みぐし)お
ろし給ひて、ところどころ山踏みし給ひて、行ひ給ひ
けり。
=帝(宇多天皇が)退位なさって、翌年の秋、(頭を
剃って)出家なさって、(神社・仏閣のある)あち
こちを山歩きなさって仏道修行をなさっていたそう
だ。
備前掾(じょう)にて、橘の良利(よしとし)といひけ
る人、内裏(うち)におはしましける時、殿上にさぶら
ひける。
=備前の国の三等官で、橘良利といった人が、(帝が
まだ)宮中にいらっしゃった時、殿上の間でお仕え
申し上げていた。(が、その良利は、)
御髪おろし給ひてければ、やがて、御供に頭(かしら)
おろしてけり。
=(帝が頭を剃って)出家なさったので、すぐにお供
として(頭を剃って)出家してしまった。
人にも知られ給はで、歩(あり)き給ひける御供に、こ
れなん遅れ奉られでさぶらひける。
=(宇多上皇が)誰にも知られなさらず、あちこちを
山歩きなさっていたお供に、この良利はお遅れ申し
上げることなく(お側で)お仕え申し上げていた。
【二】<宮中から派遣された従者と会わない上皇>
「かかる御歩きし給ふ。いと悪しきことなり」とて、
=「このように(上皇が神社仏閣を訪ねて)あちこち
山歩きをなさる(ことは)、非常にまずいことであ
る」といって
内裏(うち)より、「少将・中将、これかれさぶらへ」
とて、奉り給ひけれど、たがひつつ、歩き給ふ。
=宮中(の醍醐天皇)から「少将も中将も、この者も
あの者も(上皇のお供として)お仕え申し上げよ」
と言って、(人々を)差し上げ申し上げなさったけ
れど、(上皇はその者たちと)会わないようにしな
がらあちこち山歩きなさる。
和泉の国に至り給ひて、日根といふ所におはします夜
(よ)あり。
=(ある時に、上皇が)和泉国に到着なさ(お出まし
にな)って、日根という所にお泊りになる夜があっ
た。
いと心細く、かすかにておはしますことを思ひつつ、
いとかなしかりけり。
=(上皇が)とても心細く寂しげでいらっしゃること
を、(良利や従者たちは)心に思ってはとても悲し
い気持ちでいた。
【三】<上皇の命に故郷を思う歌を見事に詠む良利>
さて、「日根といふことを歌に詠め」と仰せごとあり
ければ、この良利大徳(だいとく)、
=そこで、「日根という地を歌を詠め」と(上皇の)
ご命令があったので、この良利大徳は、
ふるさとの たびねの夢に 見えつるは
うらみやすらむ またと問はねば
=故郷(の家族の者)が日根という所での旅寝の夢に
見えたのは、(彼等が私を)恨みに思っているから
だろうか。(私が出家して旅に出、)二度と故郷を
訪ねていないので。
とありけるに、みな人、泣きてえ詠まずなりにけり。
=と詠んだところ、(そこにいた)人はみな泣いて、
(続けて歌を)詠めなくなってしまった。
【四】<上皇に生涯お供として仕えた良利>
その名をなん、寛蓮大徳といひて、のちまでさぶらひ
ける。
=(この良利は出家後)その名を寛蓮大徳といって、
後まで(上皇に)お仕え申し上げたという。
〈補足〉…物語文学の流れ
【作り物語】 【歌物語】 【日記文学】
『竹取物語』 『伊勢物語』 『土佐日記』
↓900年 ↓ ↓
『宇津保物語』 『大和物語』 ↓
↓ ↓ ↓
『荻窪物語』 『平中物語』 ↓
↓ ↓ ↓
――――――――――――――――――
↓1000年
【物語文学】
『源氏物語』
↓
『浜松中納言物語』
『堤中納言物語』
↓
『夜の寝覚め』
『狭衣物語』
↓
『とりかへばや物語』
↓1200年
【擬古物語】
『住吉物語』
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right★補足・文法★
(物語)2019年3月
・『伊勢物語』は、全体が在原業平らしき男の一代記
のような構成
・前半は、宇多法皇と関連性があり、『後撰和歌集』
入集の和歌も多い。また『伊勢物語』は雅と哀感を
描くのに対して、世俗的な話題を集めている
・後半は、有名な和歌説話をまとめたような内容で、
「生田川伝説」「姨捨山伝説」や『伊勢物語』に収
められた物語などがある
→『伊勢』23段「筒井筒」の後半「高安の女」と
同じ話が『大和』149段にも出てくる
作り物語:『竹取物語』『宇津保物語』『荻窪物語』
歌物語 :『伊勢物語』『大和物語』『平中物語』
日記文学:『土佐日記』
(900年)→→→→(1000年)『源氏物語』
・歌物語の主題は、和歌に集約される事が多い
→帝への忠義・故郷への不義理で揺れる葛藤・苦悩
・(高貴な人が)下(お)る=位を退く
・御門(みかど)=宇多天皇。次代の醍醐天皇の父
・橘良利(よしとし)
・御髪おろす=高貴な人が頭髪を剃り出家する
→高貴な人ではない場合は「頭(かしら)おろす」
・山ぶみ=(神社仏閣を訪ねて)山歩き(すること)
・行う=仏道修行する・読経する
・備前=岡山県東南部の旧国名
・掾=地方(国司)の三等官
・おはします=「あり・居り・行く・来」の尊敬語
・殿上=天皇の生活する清涼殿への昇殿を許されて、
殿上人としてお仕えする(控える)殿上の間
・やがて=直ぐに
・頭おろす=頭髪をそって出家する(=御髪おろす)
・内裏(うち)=内裏(だいり)・宮中・天皇(帝)
→ここでは、醍醐天皇
・少将・中将、これかれ=近衛府の(次官の)誰それ
・和泉=大阪府南部の旧国名
・日根=大阪府泉佐野市の日根野
→熊野・高野山の入り口にあたる
・あり(ラ変・連用形)けり(過去・助動・終止形)
・大徳=徳のある高僧
・ふるさとの=故郷にいる家族の者が
・たびね=「旅寝」という語の中に、地名の「日根」
が織り込まれている→掛詞
→遊びではなく、言葉に霊が宿るような思い
・…や(疑問)す(サ変)らむ(現在推量・連体形)
→係り結び
・え…打消=…できない(不可能)
〈補足〉…背景(政治的事情)
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