(先生の現代文授業ノート)島崎藤村「若菜集/初恋」
left★板書(+補足)★
「現代文授業ノート」(普通クラス)
   島崎藤村「若菜集/初恋」

〈出典〉
・初出は明治29年(1896)「文学界」10月号
 後に、明治30年『若菜集』8月収録 (25歳)
 →清純な恋愛詩を多く作る。

〈表現〉
・優美な七五調のリズム→文語定型詩

〈作者〉
・明治5年(1872)〜昭和18年(1943)
・日本を代表する浪漫主義の詩人・自然主義の小説家

〈概要→観賞〉
〇林檎畑に芽生えた可憐で純情な初恋風景を詠んだ詩
 →出会いと印象・恋の芽生え・恋の高まりと成就・
  回想と恋心の再認識、の四連構成から成る

〈全体の構成〉 (←時間・場面・情景・心情)
                (一般的な解釈)
【第一連】(起)<少女との出会いの場面>
   ・時→14・5歳の秋
   ・所→林檎畑の樹の下
【第二連】(承)<恋心を抱くきっかけの出来事>
   ・林檎をくれる、少女の優しく白い手

【第三連】(転)<少女に恋した少年の心境>
   ・恋心に漏れる溜息
   ・恋の盃を酌み交わす

【第四連】(結)<恋の回想と改めて感じる恋心>
   ・悪戯っぽい問いに改めて恋心を感じる少年



〈授業の展開〉

  初恋(『若菜集』より)       島崎藤村

【第一連】<少女との出会いの場面>

まだあげ初(そ)めし前髪の
=まだ少女の初めて美しく結い上げたばかりの前髪が

林檎(りんご)のもとに見えしとき
=(待ち合わせた)林檎の樹の下で見えた時

前にさしたる花櫛(はなぐし)の
=(大人っぽくて見違える程の)前髪に挿した花櫛の

花ある君と思ひけり
=花の咲いたように美しい君だと心がときめいた

【第二連】<恋心を抱くきっかけの出来事>

やさしく白き手をのべて
=君は袖から優しく眩しいほど白い手を差し伸べて

林檎をわれにあたへしは
=林檎を私にくれた、それは

薄紅(うすくれなゐ)の秋の実に
=君そのものような薄紅色の秋の実が大事に思われて

人こひ初めしはじめなり
=私が初めて恋を知った、その最初のことなのだ

【第三連】<少女に恋した少年の心境>

わがこゝろなきためいき
=(急に大人びた君に)私が思わず漏らした溜め息が

その髪の毛にかゝるとき
=君のその髪の毛にかかって揺らす時

たのしき恋の盃を
=私は楽しい恋の成就を祝う盃を
(私は楽しい恋の成就を祝って)

君が情(なさけ)に酌(く)みしかな
=君の純情を酌んで、君と酌み交わたのだ
(君の恋心を受けて、恋の喜びに酔っていたのだ)

【第四連】<恋の回想と改めて感じる恋心>

林檎畠の樹(こ)の下に
=(二人が待ち合わせ場所にした)林檎畑の樹の下に

おのづからなる細道は
=(通い続けた証に)自然に出来た細い道、あれは

誰(た)が踏みそめしかたみぞと
=一体、誰が通い踏み初めて出来た道(形見)なのと

問ひたまふこそこひしけれ
=(悪戯っぽく)お聞きになる君が恋しくて愛おしい

〈主題〉
林檎畑の樹の下で出会った少女との恋が進行してゆく 様子と初めて恋を知った喜びが、瑞々しい林檎に連想
される甘酸っぱさの中で少年の感情を通して描かれる

〈参考→作者年譜〉
明治5年(1872)岐阜県馬籠村(中津川)生まれ
          生家は本陣問屋・庄屋の名家
          明治維新の改革で没落
明治14年(1881)上京、親戚・知人宅で成長
明治20年(1887)明治学院に入学、受洗
明治22年(1889)一高受験に失敗、文学に志す
明治25年(1892)20歳、明治女学校の教師
           教え子の佐藤輔子と恋、辞職
明治29年(1896)仙台の東北学院の教師
           新体詩(抒情詩)を書く
明治30年(1897)25歳、浪漫主義の詩集
           「若菜集」刊行
           ※「初恋」初出は明治29年
明治32年(1899)27歳、信州小諸義塾に赴任
           知人の紹介で秦冬子と結婚
           6年間小諸に在住
明治33年(1900)28歳、「旅情」初出
明治34年(1901)詩集「落梅集」刊行、題名は
           「小諸なる古城のほとり」
明治38年(1905)上京
明治39年(1906)34歳、自然主義文学の先駆
           「破戒」自費出版
           栄養失調等で3人の娘失う
明治41年(1908)「春」発表
明治43年(1910)「家」刊行
           四女出産後、妻の冬子死亡
大正2年(1913)藤村と子の面倒に家事手伝いで
          同居の次兄の次女こま子と過ち
          懐妊、苦悩からの逃避のため
          フランスへ渡る、41歳
大正5年(1916)帰国(第1次大戦のため)
大正6年(1917)慶應義塾大学文学科講師
大正7年(1918)「新生」発表、復活したこま子
          との関係に苦悩、清算する決意
昭和3年(1928)56歳、前年創刊の『処女地』
          同人の加藤静子と再婚
昭和4年(1929)歴史小説「夜明け前」
          「中央公論」に連載
昭和10年(1935)63歳、完成
           文豪としての地位を確立
昭和18年(1943)71歳、脳溢血
right★発問☆解説ノート★
(詩)2014年9月(2018年8月改)




・自由な恋愛を歌う
 →当時の若者に熱狂的に受け入れられる


・若者を酔わせるような甘美に響くリズム


・代表作:「若菜集」「破戒」「夜明け前」など
・醜聞の多い人生(教え子や姪との禁断の恋)







(※一部、教科書の参考書を参考)
〇出会い(の場面)→出会った時の少女の印象
 ・林檎畑の樹の下で、花櫛を挿した少女と出会う
  →「花ある君」と思う
〇恋の始まり(の場面)
 ・少女が白い手を伸ばし、林檎を差し出す
  →少女への恋が芽生える
〇恋の高まり(と成就?)(の場面)
 ・溜め息(高まる恋心)が、少女の髪にかかる
  →至近距離(二人は寄り添う)
  =打ち明けた恋を少女は受け入れ、恋を語り合う
〇恋の成就(と回想?)(の場面)
 ・自然に細い道が出来る(回想?)
  →二人は幾度も林檎畑の樹の下に通い合った
 ・少女の問いかけ→恋心を改めて感じる







☆明治時代、少女は12・3〜15・6歳になると、
 大人になった印に、おかっぱ頭から娘らしい髪型
 結い上げた
 →前日まで髪を下ろしていた幼馴染の少女が(?)
  ある日突然、大人っぽく髪を結いあげてきた

・花櫛=花が咲いたように美しくデザインした髪飾り







☆明治時代は現代と違って肌を露出することがなく、
 着物の袖から差し出す少女の白い腕は新鮮な美しさ
 が感じられた         (→淡いエロス)



☆少女がくれた林檎が少女そのもの(化身)のように
 思われて、少年は恋心を抱くこととなる。






子供だった少女の大人びた様子に、少年は戸惑って
 溜め息を漏らして、その吐息が少女の髪を揺らした
 のである。それは二人の位置が至近距離にあること
 を暗示している→元々、遊び友達・幼馴染(?)
☆「恋の盃…酌みし」の比喩
 人は、祝い事がある・親交を深める・約束を固める
 そんな時に、美酒を注いだ盃を酌み交わし、酔いを
 楽しむものである。
 少年は、林檎をくれた少女の純情(恋心)という酒
 を恋を祝う盃に酌んで、恋の喜びに酔って楽しんで
 いたのだ。        (青春の素晴らしさ)
 少女の優しい恋心を受ける我が身の幸福=恋の喜び
 に酔い痴れていたのである。
 →少女のお蔭で恋の素晴らしさを知ることができた





★二人は林檎畑の同じ木の下を待ち合わせ場所にして
 いて、幾度も出会いを重ねるうちに、自然と通った
 所が足で踏み固められて、道ができたのである。



☆道を誰が作ったのか分かっているのに、悪戯っぽく
 問う少女が、少年には更に愛おしくてならないのだ


髪上げをして急に大人っぽくなった小悪魔的な女性に 憧れ淡いエロスを感ずる少年の姿を描く



・当時は長野県
 父は国学者、7人兄弟の末っ子

・進学予備校で学問を頑張る
・父が(発狂して?)郷里の座敷牢内で亡くなる
・明治学院卒業後、詩人・北村透谷の影響を受け、
 雑誌「文学界」に参加、詩や小説を発表

・兄の逮捕・透谷の自殺・母や愛する元教え子の病死
 →後に発表される「春」に描かれる
・青春の情熱を歌う詩は若者に熱狂的に受け入れられ
 詩人・藤村の名は一躍有名になる(文壇登場)
・「文学界」10月号
・国語と英語の教師
・函館の問屋の三女、明治女学校卒。翌年に長女誕生
・子にも恵まれて幸せな日々、冬子の儲けた子は7人
・雑誌「明星」創刊号では「小諸なる古城のほとり」
 という題名ではなかった

・詩による現実の表現に限界を覚え、
 教師を辞めて東京で、本格的に小説に取り組む


・「文学界」時代の青春の彷徨を描いた自伝的小説


・子は養子に出し、関係を断ち切る


・フランスでは「桜の実の熟するとき」などを執筆
・こま子と関係が再燃



・婦人文芸誌
・24歳年少(32歳)
父をモデルとした、主人公の近代日本の胎動期、
 苦しみを書いた大作、幕末から明治へと移り変わり
 明治維新を迎える大混乱の時の様子が描かれる
・日本ペンクラブ初代会長・帝国芸術院会員

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