left★原文・現代語訳★
「古文現代語訳ノート」(普通クラス)
   「宇治拾遺物語(巻3)/多田新発郎等の事」

〈作品=『宇治拾遺物語』〉
〇中世・鎌倉前期(1213)〜(1219)頃成立
 →12C末までに原型→増補・加筆
〇説話集15巻(197話)→庶民文学
 →80話が『今昔物語集』と重複
 →『江談抄』『打聞集』『古事談』『十訓抄』
  と類似の説話も含まれる
〇内容→本朝(日本)天竺(インド)震旦(中国)を
    舞台とする説話を収録
 @仏教説話・A世俗説話・B民間伝承
 →当時の人々の生活や人間性が生き生きと描かれる
〇平易な和文体
 →漢語・俗語の使用と語の繰り返し→口承性
〇書名→『宇治大納言物語』に漏れた物を拾い集めた
    とする説などがある、と序文にある

〈概要=「多田新発郎等の事」〉
〇多田新発に仕える郎等は、狩りで殺生するのを生業
 としていたが、ある時に地蔵菩薩に帰依するという
 功徳があったために、命絶えて赴いた閻魔庁で僧に
 助けられて甦ることとなった     (→要旨)

〈全体の構成〉 (→要約→要旨)

【一】<殺生を生業とする朗等>
これも今は昔、多田満仲のもとに猛く悪しき朗等ありけり。
=これも今となっては昔のことだが、多田満仲の下に
 勇ましく乱暴な家来がいた。

物の命を殺すをもて業(わざ)とす。野に出で、山に入りて鹿を狩り鳥を取りて、いささかの善根(ぜんごん)する事なし。
=生物の命を奪うことを生業としていた。野に出て山
 に入っては鹿を狩り鳥を取って、良い果報を受ける
 元となるような善行
をすることは少しもなかった。

【二】<地蔵に起こした帰依する心>
ある時出でて狩をする間、馬を馳せて鹿追ふ。矢をはげ、弓を引きて、鹿に随ひて走らせて行く道に寺ありけり。
=ある時、野に出て狩をしている間(の事だが)、馬
 を走らせて鹿を追った。矢をつがえ弓を引いて鹿の
 後を追って馬を走らせて行く途中に寺があった。

その前を過ぐる程に、きと見やりたれば、内に地蔵立ち給へり。
=その前を通り過ぎる時にさっとそちらに目をやった
 ところ、寺の中にお地蔵様が立っておられた。

左の手をもちて弓を取り、右の手して笠を脱ぎて、いささか帰依の心をいたして馳せ過ぎにけり。
=左手で弓を持ち右の手で笠を脱いで、少しだけ仏に
 帰依する心を表して(起こして)、馬で通り過ぎた
 のだった。

【三】<命絶え赴いた閻魔庁に現れた僧>
その後いくばくの年を経ずして、病づきて、日比(ひごろ)よく苦しみ煩ひて、命絶えぬ。
=その後、それほども年が経たないうちに、病の床に
 つくようになり何日間もひどく苦しみ煩って、命が
 絶えた。

冥途に行き向ひて、閻魔の庁に召されぬ。
=死後、この男の霊魂は冥途に赴いて、閻魔庁に呼び
 付けられた。

見れば、多くの罪人、罪の重軽に随ひて打ちせため、罪せらるる事いといみじ。我が一生の罪業(ざいごふ)を思ひ続くるに、涙落ちてせん方なし。
=見ると、多くの罪人が(生前の行いを審判されて)
 罪の重軽に応じて鞭打たれるため、罰せられること
 はとてもむごい。自分の一生の罪となる行いを思い
 浮かべると、涙が流れ落ちて仕方がない。

かかる程に、一人の僧出で来たりて、のたまはく、「汝を助けんと思ふなり。早く故郷に帰りて、罪を懺悔すべし」とのたまふ。
=こうしていると、一人の僧が現れておっしゃること
 には、「お前をを助けようと思うのだ。早く故郷に
 帰って罪を懺悔せよ」とおっしゃる。

【四】<帰依する功徳で蘇生した朗等>
僧答え給はく、「我は汝鹿を追うて寺の前を過ぎしに、寺の中にありて汝に見えし地蔵菩薩なり。汝罪業深重(じんぢゆう)なりといへども、いささか我に帰依の心の起しりし功によりて、吾いま汝を助けんとするなり」とのたまふ
=僧がお答えになることには、「私はお前が鹿を追っ
 て寺の前を通り過ぎた時に、寺の中にいてお前に見
 えた地蔵菩薩である。お前は罪となる行為がとても
 重いものであるといっても、少しでも私に帰依する
 心を起こした功徳によって、私は今お前を助けよう
 とするのである」とおっしゃる

と思ひて甦りて後は、殺生を長く断ちて、地蔵菩薩につかうまつりけり。
=と思うと、男は生き返った。その後は生物の殺生を
 長く断って、地蔵菩薩にお仕えしたという。

・釈迦=(釈迦牟尼仏)紀元前五世紀の仏教の開祖
・仏=(仏陀)正しい悟りを得た者
   釈迦仏(如来)・阿弥陀仏・薬師仏などの全て
   死者(の霊)・慈悲心の深い人・お人よし
 →偶像崇拝→仏像・仏画
 →迷いから目覚めて本当の幸せになる真理を悟る?
・如来=永久不変の真理(真如)の体現者である仏を
    敬う言い方。教化のため真如から現れ来た者

・阿弥陀=浄土宗・浄土真宗の本尊。西方浄土にいて
     一切の衆生を救うという誓いを立てた仏
     阿弥陀仏(如来)・無量寿仏・無量光仏
・大日如来=真言密教の教主
      一切の仏菩薩の本地とされる仏

・弥勒=(弥勒菩薩)兜率天で修行して、釈迦入滅後
    五十六億七千万年後にこの世に現れ、悟りを
    開いて如来(仏)となり、衆生を導く
・地蔵=(地蔵菩薩)釈迦の死後、弥勒がこの世に現
    れるまでの無仏の現世で、六道の衆生を教化
    する。像は僧侶の姿。平安時代から広く信仰
    され、路傍の石仏にも多い
・菩薩=悟りを求めて修行し衆生を導いて未来に仏に
    なる、仏の次の位の者。仏と同じような徳と
    超人的能力を持つ。釈迦牟尼の前世での呼称
    像は上半身裸で宝冠や胸飾りなどを着けるが
    地蔵は例外
    高徳の僧の称号。本地垂迹説での神の号
right★補足・文法★
(説話)2018年1月


〈作者〉
〇編者未詳
 →源隆国の説

〈参考〉
※源満仲=平安中期の武将(912〜997)
 清和天皇の曾孫、経基の長男。正四位下
 摂津を本拠とする多田源氏の祖、多田満仲と称す
 晩年出家して多田新発意(しんぼち)と呼ばれる
 摂津・越前・武蔵・伊予・美濃・下野・陸奥などの
 国守および鎮守府将軍を歴任
 安和の変(969)で為平親王擁立の陰謀を企てた
 との密告で源高明を失脚させて、藤原摂関家の政権
 確立に奉仕して勢力を伸ばし
 武門としての源氏の地位を確立
 子頼光の子孫に守護大名土岐氏が、子頼信の子孫に
 鎌倉将軍頼朝と新田・足利・武田氏などがいる

・新発意=(しんぼち)発心し新たに仏門に入った人
 →極楽往生や悟りの境地を求めて出家し仏門に入る
・発心=菩提の心を起こすこと・出家すること
・菩提=悟りの境地・成仏や極楽往生すること



・猛し=勇ましい・勢いが盛んだ・強気だ・気丈だ




・善根=良い果報を受ける元となる良い行い・善行
・果報=前世での所為が原因となり
    その結果として現世で受ける種々の報い
    報いが良いこと・幸運なこと・幸せ




・はぐ=(「矧ぐ」下二段)弓に矢をつがえる
    取り付ける・はめる





・きと=素早く・さっと・しっかりと・必ず




・帰依=神仏や高僧に頼って一身を任せること
    神仏や高僧を深く信仰し、その教えに従い、
    力にすがること




・いくばく=どれくらい・そんなにも(…ない)
・ひごろ=何日かの間・この頃・普段・平生
・煩ふ=病気で苦しむ・あれこれ気を使って苦しむ
    世話をかける・そうできなくて困る

・冥途=死後、死者の霊魂が行く世界
・閻魔=死者の霊魂を支配し、生前の行いを審判して
    それにより賞罰を与えるという地獄の王
・庁=役所・官庁(特に検非違使)

・罪業=(ざいごふ)罪となる業
・業=行い・行為すること・仕事・方法・技術・災い
   (事の)趣・ありさま・次第





・懺悔=仏・菩薩・師の御前にて
    自分の過去の罪悪を告白し、悔い改めること





・功→功徳=幸福をもたらす元になる善行・善根

















・兜率天=須弥山の上の二十四万由旬(7q×24万)
     の空中にある天宮。内院は弥勒菩薩の住居
     で、外院は天人の遊楽する所という
・須弥山=仏教の世界観で、世界の中心にあるという
     高山(妙高)。大海中にあって、頂上には
     帝釈天、山腹には四天王が住し、その周囲
     日月が巡る

・帝釈天=梵天と並び称される仏教の守護神。祭る寺
・梵天=帝釈天と対をなす仏教護持の神。元はインド
    古代宗教で世界の創造主として尊崇された神
・阿修羅=常に帝釈天と戦う悪神(鬼神)

・西方浄土=阿弥陀仏がいる極楽浄土
・極楽=(極楽浄土)阿弥陀仏の浄土。この世界から
    十万億の仏土を経た彼方にあるという、一切
    の苦患を離れた諸事が円満具足している安楽
    の世界

・六道=全ての衆生が生前の業因によって生死を繰り
    返す六つの迷いの世界(地獄・餓鬼・畜生・
    阿修羅・人間・天上)(ろくどう)
 →六道輪廻=一切のの衆生が、六道の世界に生死を
       繰り返して迷い続けること




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