left★原文・現代語訳★  
「古文現代語訳ノート」(普通クラス)
   「伊勢物語/23段筒井筒」

〈出典=「伊勢物語」〉
〇平安前期(中古)成立(未詳→10世紀初め)
 →原型(業平の歌と歌にまつわる物語)は9世紀末
 →幾人かの増補修正
〇日本最古の<歌物語>
 →125段(長短様々な独立した物語から成る)
 →全体は在原業平らしき男の一代記のような構成
 →各段冒頭は「昔、男ありけり」「昔、男…」
 →各段は、情趣や主題を表す和歌と、作歌の
  事情を解説した詞書の膨らんだ散文から成る
〇内容
 →男女の愛や肉親の情→一途で雅愛の遍歴→理想的
  人間像=「もののあはれ」を知る貴族を描く
 →平安中期、『源氏物語』の光源氏が生み出される
〇書名→『源氏物語』に「伊勢物語」「在五が物語」
    他に「在中将物語」「在五中将の日記」
〇評価→『源氏』や中世・近世・近代に大きな影響

〈概要」〉
〇互いに惹かれる幼馴染の男女が、成人してから念願  叶って結婚するが、後に男は通って行く別の女性の  所ができるようになるものの、再び元の女性の所に  戻る、という二人の関係を描く (→要約・要旨)

right★補足・文法★        
(物語)2018年4月(2021年9月改)


〈作者〉
・未詳→原型は、在原業平(825〜880)     に縁のある人物



・『古今和歌集』の六歌仙の一人
 →初冠(成人式)から死の直前の辞世の歌まで






・在原業平は五男だった→「在五…」「在五中将…」

・近代→谷崎潤一郎など


・当時は、一夫多妻制の通い婚(招婿婚)で、
 男が女の所に通って行くものであった
 →男の食事・着物の世話などは女の家の親がした


全体の構成 【一】(起)一緒に遊んだ幼馴染の恋 【二】(承)念願叶い結婚した二人
【三】(転)新たに通う高安の女 【四】(結)通わなくなった高安の女
left★原文・現代語訳★
〈授業の展開〉

【一】<一緒に遊んだ幼馴染の恋>

昔、田舎わたらひしける人の子ども、井のもとに出で て遊びけるを、
=昔、田舎を回って生計を立てていた人の子たちが、
 井戸の傍に出て遊んでいたが、

大人になりにければ、男も女も恥ぢかはしてありけれ ど、男はこの女をこそ得(エ)めと思ふ。
=大人になったので、男も女も互いに(相手を意識し  て)恥ずかしがっていたけれど、男はこの女をぜひ  妻にしようと思う(or思っていた)。

女はこの男をと思ひつつ、親のあはすれども、聞かで なむありける。
=女は(女で)この男を(夫にしたい)と思い続けて  いて、 親が(他の男と)結婚させ(ようとす)る  けれど、聞き入れないでいた(のだった)。

▼(段落まとめ)
幼い頃、井戸の傍でよく一緒に遊んだ男女が、大人に なって互いに恥ずかしながらも相手との結婚を望んで いて、親が他の縁談を勧めても承諾しないでいた。

right★補足・文法★        




・田舎渡らひ=地方を回って生活する事・地方の行商
 →全体のモデルとされる業平は奈良に旧領があった



・大人になる=成人になり、元服・裳着をする
・に(完了の助動詞)けれ(過去)ば(=ので、接続助詞)
☆『この女をこそ得め。』→心中語(男の心中思惟)
 →…こそ(強意)…め(意思、已然形)→係り結び
 →得(ア行下二段→え・え・う・うる・うれ・えよ)

☆『この男を(得む)。』→心中語(女の心中思惟)
・…つつ=いつも…しては、…し続けて(反復・継続)
・合は(四段)す(使役)=結婚させる
・で(打消)なむ(強意)あり()ける(連体形)→係り結び







left★原文・現代語訳★    
【二】<念願叶い結婚した二人>

さて、この隣の男のもとより、かくなむ、
=さて、この隣の男の所から、このように(歌を詠み  贈ってきた)。

筒井筒  井筒にかけし  まろがたけ
     過ぎにけらしな 妹見ざるまに
=筒のように円い井戸の囲い(の辺りで、幼い頃よく  一緒に遊んだこと)だなあ。(その)井戸の囲いと  (高さを)測り比べた私の背丈は(もう囲いの高さを)  越して(私も大人になって)しまったようですね。  (暫く大事な)貴方を見ないでいる間に。(もう大人  になったので、私と結婚して下さい

女、返し、
=女も、(男に)返歌(した)、

比べ来(コ)し  振り分け髪も  肩過ぎぬ
       君ならずして  誰か上ぐべき
=(貴方と長さを)比べ(合っ)て来た(私の)振り分け髪  も肩を過ぎ(るほど長くなって、私も大人になり)  ました。貴方(の為)でなくて、誰が髪を結い上げ  (て結婚することがあ)るでしょうか(いや、髪上げ  をして結婚するのは、貴方以外にはいません)。

など言ひ言ひて、つひに本意のごとくあひにけり。
=などと(互いに)何度も言い交わして、 とうとう  かねてからの望み通り(二人は)結婚した。

▼(段落まとめ)
成人して「筒井筒…」などと歌を詠み交した二人は、 かねてからの念願が叶って結婚した。

right★補足・文法★        


・かくなむ→「詠みけるorありける(歌)」などが省略
               (係り結びの省略)


・筒井筒=筒のように円く掘った井戸の、
    (上に設けた)井戸の囲い
・かけ(下二段「かく」測り比べる、賭ける)し(過去)
・過ぎ(上二)に(完了)け(過去「ける」)らし(推定)
 =過ぎてしまったようだorらしい
・…し(過去)な(=…だなあ、詠嘆の終助詞)
・妹(=妻、恋人、あなた)見(上一段)ざる(打消)




・比べ来(カ変)し(過去)…過ぎ(上二段)ぬ(完了)
・振り分け髪=子供の頃の男女共通の髪形
 →髪を結い上げるのは、女性が成人した印である
・…なら(断定)ず(打消)
・…か(反語)上ぐ()べき(推量、体)→係り結び
 =…(髪を)上げよういや上げはしない
☆「誰が髪を…」は、「誰の為に髪を…」との解釈も
 可能だが、文法的には「誰が髪を…」が正しいか

・つひに=とうとう、しまいに、結局
・あひ(=結婚する)に(完了)けり(過去)






left★原文・現代語訳★
【三】<新たに通う高安の女>

さて、年ごろ経るほどに、女、親なく、頼りなくなる ままに、もろともに言ふかひなくてあらむやはとて、 河内の国高安の郡に、行き通ふ所出で来にけり。
=そうして、何年か経つうちに、女は親が亡くなり、  (生活の)拠り所がなくなるにつれて、(男は、この  妻と)一緒に惨めな様でいてよいだろうか(いや、  よくはない)と思って、 河内の国の高安の郡に、  通って行く(女の)所ができてしまった。

さりけれど、このもとの女、悪しと思へる気色もなく て、出だしやりければ、
=そうであったけれど、この元の女は(男の行動を)  不快に思っている様子もなくて、(男を新しい女の  所へ)送り出してやったので、

男、異心ありてかかるにやあらむと思ひ疑ひて、前栽 の中に隠れゐて、河内へ往ぬる顔にて見れば、
=男は、(女も)浮気心があるから、このようである  のだろうかと疑わしく思って、庭の植え込みの中に  隠れていて、 河内(の女の所)へ行ったふりをして  (家の中の女を)見ていると、

この女、いとよう化粧じて、うち眺めて、
=この女は、たいそうよく身繕いして、 ぼんやりと  物思いしながら外を眺めて、

風吹けば  沖つ白波   たつた山
      夜半にや君が ひとり越ゆらむ
=風が吹くと沖の白波が立つ、(その「たつ」という  名の)竜田山を、この夜中に貴方は一人で今越えて  いるのでしょうか(何事も無いか、心配です)。

と詠みけるを聞きて、限りなくかなしと思ひて、河内 へも行かずなりにけり。
=と(歌を)詠んだのを聞いて、 (男はこの女を)  この上なく愛しいと思って、河内(の女の所)へも  行かなくなったのだった。

▼(段落まとめ)
女の親が亡くなり生活の拠り所がなくなると、男には 通って行く別の女性ができた。しかし、身だしなみを 心がける貴族らしさと自分を思う真心を再認識して、 再び元の妻の所に戻った。

right★補足・文法★        


・頼り=拠り所、生活の手段、当てにするもの
・いふかひなく()て()あら()む(適当)やは(反語)
 =不甲斐ないままでいられようか、いやいられない
 →言ふ甲斐無し=言っても仕方がない、情けない
・河内の国(現在の大阪府東部) 高安の郡(八尾市)
・出で来(カ変、連用形)に(完了)けり(過去)



・思へ(四段、已然形)る(存続)=思っている





・異心=他の人を思う浮気心、二心
・かかる(ラ変)に(断定)や(疑問)あら(ラ変)む(推量)
★「かかる」=不快に思っている様子もなく、自分を
       新しい女の所に送り出してくれること



・うち眺む=ぼんやりと物思いして外を眺める(下二)


★序詞・掛詞という2つの修辞法が用いられている
・「風吹けば沖つ白波」は「たつ」を導き出す序詞
・「たつ」は掛詞→@「白波が立つ」A「たつた山」
・…や(疑問)…超ゆ(ヤ行下二段)らむ(現在推量、体)
                 (→係り結び)
☆当時、航海の際に海の沖で白波が立つのは、非常に  危険だった→山賊の出現などの危険を暗示している

・かなし=愛おしい、切なく悲しい、不憫だ
・…に(完了)けり(過去)
★身だしなみを常に怠らない雅やかさと、別の女の所  に通う自分を心配する真心があるのを再認識する。







left★原文・現代語訳★    
【四】<通わなくなった高安の女>

まれまれかの高安に来てみれば、初めこそ心にくくも つくりけれ、今はうちとけて、手づから飯匙(イヒガヒ) 取りて、笥子(ケコ)のうつはものに盛りけるを見て、 心憂がりて行かずなりにけり。
=ごく稀に例の高安(の女の所)に来てみると、(通い)  初め(のうち)は奥ゆかしく装っていたが、今は気を  許して(侍女ではなく)自分の手でしゃもじを取って  飯を盛る器に(飯を)盛っていたのを見て、心で嫌に  なって行かなくなってしまった。

さりければ、かの女、大和の方を見やりて、
=そうであったので、あの(高安の)女は、(男がいる)  大和の方を見やって、

君があたり  見つつを居らむ  生駒山        雲な隠しそ    雨は降るとも
=貴方の(いる生駒山の向こうの)辺りを(ずっと)  見続けて居よう、生駒山を。(だから)雲よ隠さない  でおくれ、(たとえ)雨が降ったとしても。

と言ひて見出だすに、からうじて、大和人「来む。」 と言へり。
=と(歌に)詠んで(家の)外を見ていると、やっと  のことで、大和(にいる)男が「(会いに)来よう」  と言っ(て来)た。

喜びて待つに、たびたび過ぎぬれば、
=(高安の女は)喜んで待つが、その度ごとに(男は  来ないまま時が空しく)過ぎてしまうので、

君来むと  言ひし夜ごとに  過ぎぬれば       頼まぬものの   恋ひつつぞ経る
=貴方が来ようと言った夜がいつも(来ないまま時が)  過ぎてしまうので、 当てにはしていないものの、  (貴方を)恋しく思い続けて過ごしていることです。

と言ひけれど、男住まずなりにけり。
=と(歌に)詠んだが、男は(この高安の女の所に)  通わなくなってしまった。

▼(段落まとめ)
高安の女は、初めの頃はあった奥ゆかしい貴族らしさ がなくなり、歌が贈られて来たりすることはあるが、 男は通って行かなくなってしまった。

right★補足・文法★        


・まれまれ=ごく稀に   ・心にくし=奥ゆかしい
★「…こそ…已然形」で文が続く時は、逆接になる
・つくる=装う、ふりをする  ・笥子=飯を盛る器
・器物=容器・入れ物・お椀・皿
・心憂がる=嫌になる・うんざりする
貴族としてあるまじき行為にうんざりする思い




☆さりければ=男が来なくなったので



・見()つつ(継続)を(間投助詞、詠嘆)
・居ら(ラ変)む(意思)
・な…そ=(禁止)…するな、…しないでおくれ



・来(カ変、未然形)む(意思)
・言へ(已然形)り(完了)




・過ぎ(上二段)ぬれ(完了)



・言ひ()し(過去)
・恋ひ(上二)つつ(継続)ぞ(係助詞)経る(下二、体)













left★原文・現代語訳★
〈150字要約=24字×6行〉
幼い頃、井戸の傍でよく遊んだ男女が、大人になって 歌を詠み交し、念願叶って結婚するが、女の親が亡く なり生活の拠り所がなくなると、男は通って行く別の 女ができた。だが、身だしなみを心がける貴族らしさ と自分を思う真心を再認識した男は、再び元の妻の所 に戻り、高安の女に通って行かなくなった。

ヘンデル「協奏曲ト短調」

right★補足・文法★    

YouTube の「筒井筒」のアニメを掲載

貴方は人目の訪問者です

「宇治拾遺物語/空入水したる僧の事」(巻11)
left★原文・現代語訳★
「古文現代語訳ノート」(普通クラス)
   「宇治拾遺物語
         /(巻11)空入水したる僧の事」


〈作品=『宇治拾遺物語』〉
〇中世・鎌倉前期(1213)〜(1219)頃成立
 →12C末までに原型→増補・加筆
〇説話集15巻(197話)→庶民文学
 →80話が『今昔物語集』と重複
 →『江談抄』『打聞集』『古事談』『十訓抄』
  と類似の説話も含まれる
〇内容→本朝(日本)天竺(インド)震旦(中国)を
    舞台とする説話を収録
 @仏教説話・A世俗説話・B民間伝承
 →当時の人々の生活や人間性が生き生きと描かれる
〇平易な和文体
 →漢語・俗語の使用と語の繰り返し→口承性
〇書名→『宇治大納言物語』に漏れた物を拾い集めた
    とする説などがある、と序文にある

〈概要=「空入水したる僧の事」〉
〇極楽往生を願って入水しようとする高僧は、寺で百
 日間に亘り勤行してから桂川に向かうが、結局は未
 遂に終わってしまい、一目拝もうと集まった大群衆
 から石を投げらて頭を打ち割られてしまうという、
 馬鹿々々しい僧の空入水の話     (→要旨)

〈全体の構成〉 (→要約→要旨)

【一】<入水に先立ち勤行する聖>
これも今は昔、桂川に身投げんずる聖とて、まづ祇蛇林寺にして、百日懺法行ひければ、近き遠きものども、道もさりあへず、拝みにゆきちがふ女房車などひまなし。
=これも今となっては昔のことだが、桂川に身投げし
 て仏果(極楽往生)を得ようとする高僧がいるとい
 うことで、(この高僧が)先ず京極中御門の祇蛇林
 寺で(百日間に亘り自分の罪悪を告白して悔い改め
 心を更に清らかにする)百日懺法という修行を行っ
 たので、近所や遠方から来た者たちは道も通れない
 程で、高僧を一目拝もうと行き違う女房の車なども
 隙間がない程に一杯である。

見れば、卅余斗なる僧の、細やかなる目をも、人に見合はせず、ねぶり目にて、時々阿弥陀仏を申。そのはざまは唇ばかりはたらくは、念仏なんめりと見ゆ。又、時々、そゝと息をはなつやうにして、集ひたる者どもの顔を見渡せばその目に見合せんと集ひたる者ども、こち押し、あち押し、ひしめきあひたり。
=姿を見ると三十歳過ぎの僧で、細い目も人と合はせ
 ることなく眠ったような目で、時々に阿弥陀仏と申
 している。その一寸の間に唇だけが動くのは念仏を
 唱えているように見える。また時々にそっと息を吐
 くようにして集った者たちの顔を見渡すので、その
 高僧と目を合せようと、集った者たちはあちこちで
 押し合いへし合いしてひしめき合っていた。

【二】<入水往生を前にした聖と群衆>
さて、すでにその日のつとめては堂へ入て、さきにさし入たる僧ども、おほく歩み続きたり。尻に雑役車に、この僧は紙の衣、袈裟など着て、乗りたり。何といふにか、唇はたらく。人に目も見合はせずして、時々大息をぞはなつ。
=さて、まさにその入水する当日の早朝は、仏を祭る
 お堂へ籠っていて、先に中にいた僧たちが多く行列
 して歩いて出てきた。その最後の雑役車にこの僧は
 紙の衣装に袈裟などを掛けて乗って出て来た。何と
 言っているのか、唇が動いている。人と目も合わせ
 ないで時々に大きく息を吐いた。

行道に立なみたる見物のものども、うちまきを霰の降るやうになげちらす。道すがら。聖、「いかに、かく目鼻に入る。堪へがたし。心ざしあらば、紙袋などに入て、我居たりつる所へ送れ」と時々いふ。
=行く道に立ち並んだ見物人たちは、祓えの打ち撒き
 の米を霰の降るように投げ散らして道を清める。道
 の途中、聖が「何とまあ、このように目や鼻に入る
 ことか。堪へ難い。志があるならば紙袋などに入れ
 て私の居た所へ送れ」と時々に言う。

これを無下の者は、手をすりて拝む。すこし物の心ある者は、「などかうは、此聖はいふぞ。たゞ今、水に入なんずるに、「きんだりへやれ。目鼻に入、堪へがたし」などいふこそあやしけれ」などさゝめく物もあり。
=これを身分の卑しい者は手を擦り合わせて拝む。少
 し物の道理を知る者は「どうしてこのように此の高
 僧は言うのか。今すぐ入水しようとするのに「祇蛇
 林へやれ。目鼻に入って堪へ難い」などと言うのは
 変だ」など囁く者もいる。

さて、やりもてゆきて、七条の末にやり出したれば、京よりはまさりて、入水の聖拝まんとて、河原の石よりもおほく、人集ひたり。
=さて、次第に車を進ませて行って七条通りの西の端
 から都の外に出て来たところ、そこは京よりも勝る
 程の見物人で、入水する高僧を一目拝もうとして河
 原の石よりも多くの人が集っている。

河ばたへ車やり寄せて立てれば、聖、「たゞ今は何時ぞ」といふ。供なる僧ども、「申のくだりになり候にたり」といふ。「往生の刻限には、まだしかんなるは。今すこし暮らせ」といふ。
=桂川の河畔へ車を寄せて止めると、高僧が「ただ今
 は何時だ」と言う。供をしていた僧侶たちが「申の
 下刻(夕方五時頃)になっています」と言う。「往
 生の時間には、まだ早いようだ。もう少し日の暮れ
 るまで待て」と言う。

待かねて、遠くより来たるものは帰などして、河原、人ずくなに成ぬ。これを見果てんと思たる者はなを立てり。それが中に僧のあるが、「往生には剋限やは定むべき。心得ぬ事かな。」といふ。
=入水を待ちかねて遠方から来た者は帰ったりなどす
 るので、河原は人出が少なくなった。それでもこれ
 を最後まで見届けようと思っている者は依然として
 立っいる。その中で僧侶のある者が「往生するのに
 時間を定めるだろうか、そうでないはずだ。理解で
 きない事だな」と言う。

【三】<空入水の聖に石を投げる群衆>
とかくいふほどに、此聖、たうさきにて、西に向ひて、川にざぶりと入程に、舟ばたなる縄に足をかけて、づぶりとも入らで、ひしめく程に、弟子の聖はづしたれば、さかさまに入て、ごぶごぶとするを、
=とかく言っているうちに、此の高僧はふんどし姿で
 極楽浄土のあるという西に向かって川にざぶりと入
 るが、その時に舟べりにある縄に足をかけてずぶり
 とも沈まないで騒ぎ立てている。すると弟子が高僧
 を縄からはずしたところ逆さまに水に沈んでゴブゴ
 ブと溺れそうになる。それを、

男の、川へ下りくだりて、「よく見ん」とて立てるが、此聖の手をとりて、引上たれば、左右の手して顔はらひて、くゝみたる水をはき捨てて、この引上たる男に向ひて、手をすりて、「広大の御恩は極楽にて申さぶらはむ」といひて、陸へ走のぼるを、
=ある男で川へ下りて行って「よく見よう」として川
 の中で立っていた者が、此の高僧の手を取って引き
 上げたところ、高僧は左右の手で顔を拭い払って口
 に含んだ水を吐き出して、この引き上げてくれた男
 に向かって手を擦り合わせて、「この助けて頂いた
 広大な御恩は極楽に参ってからお返し申し上げまし
 ょう」と言って、岸へ走って上がった。だから、

そこら集まりたる者ども、童部、河原の石を取て、まきかくるやうに打。裸なる法師の、河原くだりに走るを、集ひたる者ども、うけとりうけとり打ければ、頭うち割られにけり。
=多く集まっていた者たちや子供たちが、河原の石を
 取ってばら撒くように投げつけた。裸の法師は河原
 の下に走って逃げて行くが、集っていた者たちが石
 を受け取っては次々と投げつけたので、法師は頭を
 打ち割られてしまった。

【四】<後日談>
此法師にやありけん、大和より瓜を人のもとへやりけるに文の上書に、「前の入水の上人」と書きたりけるとか。
=此の法師であったろうか、大和から名物の瓜を誰か
 の元へ送った時に送り状の表書きに、「先ごろ入水
 往生した上人」と平然と書いてあったとか言う。

〈補足〉
〇平安時代の信仰
 修行だけでは不安
   ↓
 難行苦行(身体を虐める)→仏の救いを求める
   ↓
 入水・焼身(自らの命を絶つ)→極楽往生を遂げる
   ↓
 信じて入水する求道者の出現(平安中期)
   ↓
 空入水する馬鹿々々しい僧も出現

right★補足・文法★
(説話)2017年12月



〈作者〉
〇編者未詳
 →源隆国の説



(内容)
 @仏教説話=発心談・往生談・霊験談・高僧談
 A世俗説話=滑稽談・鳥獣談・恋愛談・盗人の話
 B民間伝承=「鬼に瘤取らるる事」「雀報恩の事」

〈参考〉
・発心=菩提の心を起こすこと・出家すること
・菩提=悟りの境地・成仏や極楽往生すること
・懺悔=仏・菩薩・師の御前にて、
 自分の過去の罪悪を告白し、悔い改めること
・天台宗懺法(せんぼう)=法要儀式にある懺法とは
 自らの諸悪の行いを懺悔して、互いの心の中にある
 「貪り・怒り・愚痴」の三毒を取り除いて、自分の
 心を更に静め清らかにする儀式
→百日懺法行=(ひゃくにちせんぽうぎょう)入水に
 先立ち百日間法華経を読誦して罪悪を懺悔する懺法
 の儀式を行うこと



・空入水=(そらじゅすい)嘘の入水
・聖=徳の高い人・聖人・高僧・世を逃れて修行する
 法師・仙人・神仙
・祇蛇林寺=(ぎだりんじ)1000年、天台宗仁康
 により現在の京極中御門(上京区)に創建された寺
 で、焼亡と再建を繰り返した。地蔵信仰で知られる
・避り敢へず=どうしても避けられない
・隙(ひま)=物の間の空いた所・隙(すきま)
       絶え間・時間・余裕・ゆとり
・仏果=仏道修行によって得られる成仏という結果
    →極楽往生する


・はざま=(狭間)物の間の狭い場所・隙間
     ほんのちょっとの間・瞬間













・すでに=(已に・既に)すっかり・とっくに
     その時までに・確かに・もう少しで
     まさに(ある事柄が始まろうとする様)









・打ち撒き=祓えの時に魔除けのために米を蒔くこと
      女房詞で米
 →祓う=罪・災い・汚れを清める・除き去る
・道すがら=道の途中・道中・道を行きながら・道々
・いかに=(疑問)どのように・どうして
     (感嘆)何とまあ・(呼びかけ)これこれ
→死んだ後の事を心配する、可笑しさ



・無下=程度が全くひどく、何とも言いようがない事
    身分が非常に低いこと・卑しいこと
・物の心=物事の真の意味・物の情趣や道理
・ただ=(直・唯・只)真っ直ぐ・直接・すぐ・近く
    単に…だけ・まさしく・まるで・ただもう






・遣る=行かせる・進ませる・送る・遣わす







・車…立つ=車を止める
・申のくだり=夕方5時〜6時前
・まだし=(形シク)まだその時期に達しない
     まだ早い・まだ整わない・不十分で未熟だ
 →まだしかん(連体形「まだしかる」発音便)
  +なる(推定)+は(終助詞)
・往生=極楽浄土に往って蓮華の中に生まれ変わる事
    死ぬこと
・暮らす=日の暮れまでの時を過ごす・日を送る

・心得=(下二)理解/納得する・承知/用心する
    心得/たしなみがある










・たうさきにて=ふんどし(一丁)姿で・下袴一枚で
・舟ばた=(船端)船の側面・船縁(べり)
・ひしめく=大勢で押し合って騒ぎ立てる・わいわい
      言う・ぎしぎし鳴る
・程(名詞)+に(格助詞)=…すると・するうちに
→結局は未遂に終わり、助けて貰うことに





・男の、川へ→「の」=同格(…で)























・上書=書状、書物、箱などの表面に宛名、名称など
    を書くこと・表書き
・上人=知徳を兼ね備えた僧
 徳の高い僧の敬称として法名の下に付けていう語



※(以下は、ネット上の記事を参考)
・阿弥陀を唱えるだけで →成仏できる
 信心だけで →成仏できる(平安後期〜鎌倉初期)
 (唱えなくても仏様が代わりに唱えてくれるから)
・自殺することで往生成仏できるという考えの存在
・藤原通憲「本朝世紀」(1152/4/11の記事)
 →京・鴨川で入水往生した僧の記録
 =「この日、或る僧、鴨川に入水して死去す、
   観る者垣の如し」
  →極楽往生を信じて本懐を遂げる求道者
  →京の町衆の関心事→入水往生も公開自殺のよう
   で、それを有難く楽しみに見る町衆もいた

貴方は人目の訪問者です。