left★原文・現代語訳★
「古文現代語訳ノート」(普通クラス)
   「宇治拾遺物語/(巻10)
            伴大納言応天門を焼く事」


〈作品=『宇治拾遺物語』〉
〇中世・鎌倉前期(1213)〜(1219)頃成立
 →12C末までに原型→増補・加筆
〇説話集15巻(197話)→庶民文学
 →80話が『今昔物語集』と重複
 →『江談抄』『打聞集』『古事談』『十訓抄』
  と類似の説話も含まれる
〇内容→本朝(日本)天竺(インド)震旦(中国)を
    舞台とする説話を収録
 @仏教説話・A世俗説話・B民間伝承
 →当時の人々の生活や人間性が生き生きと描かれる
〇平易な和文体
 →漢語・俗語の使用と語の繰り返し→口承性
〇書名→『宇治大納言物語』に漏れた物を拾い集めた
    とする説などがある、と序文にある

〈概要=「伴大納言応天門を焼く事」〉
〇応天門が炎上した際、伴善男の主張で政敵の源信は
 放火の罪を着せられるが、藤原良房の帝への上奏に
 より無罪となる。怪しい場面を目撃した舎人は口外
 せずにいたが、子供同士の喧嘩がきっかけとなって
 事が明るみに出、伴大納言は流罪となった。
                   (→要旨)

〈全体の構成〉 (→要約→要旨)

【一】@<左大臣の仕業とされた応天門放火>
伴大納言燒應天門事
=伴大納言応天門を焼く事

今は昔、水の尾の御門の御時に、應天門やけぬ。人のつけたるになんありける。
=今となっては昔のことだが、水の尾の帝の御代に、
 応天門が焼けた。何者かが放火したのであった。

それを、伴善男といふ大納言、「これは信(まこと)の大臣のしわざなり」と、おほやけに申しければ、その大臣を罪せんとせさせ給うけるに、
=それを、伴善男という大納言が「これは左大臣源信
 の仕業である」と帝にお告げ申し上げたので、帝は
 その大臣を処罰しようとなされたが、

【一】A<藤原良房の上奏で無罪となる左大臣>
忠仁公、世の政は御おとうとの西三条の右大臣にゆづりて、白川にこもりゐる給へる時にて、此事を聞きおどろき給て、御烏帽子直垂ながら、移の馬に乘給乘ながら北の陣までおはして、御前に参り給て、
=忠仁公(藤原良房)が、国政は弟君である西三条右
 大臣(藤原良相)に譲って白川に隠居しておられた
 る時だが、この事を聞いて驚きなさり御烏帽子と直
 垂姿のまま乗替え馬にお乗りになって、乗ったまま
 宮中の北の陣までいらっしゃって、帝の御前に参上
 なさって、

「このこと、申人の讒言にも侍らん。大事になさせ給事、いとことやうのことなり。かゝる事は、返々よくたゞすて、まこと、空事(そらごと)あらはして、おこなはせ給べきなり」奏し給ければ、
=「このことは申す者の讒言でもありましょう。重大
 な事柄(大臣の処罰)をなされる事は、全く普通と
 は違うことです。このような事は念には念を入れて
 よく聞き糺して、真実か虚偽かを明らかにしてから
 処分をお下しになるべきことです」と帝に奏上なさ
 ったので、

まことにおぼしめして、「たゞさせ給よし仰よ」とある宣旨うけたまはりてぞ、大臣はかへり給ける。
=帝はその通りだとお思いになられて、「聞き糺して
 はっきりさせなさるということを仰せ伝えよ」との
 宣旨を承って、大臣(忠仁公)はお帰りになった。

左の大臣は、すぐしたる事もなきに、かゝるよこざまの罪にあたるを、おぼしなぎて、日の裝束して、庭にあらごもをしきて、いでて、天道にうたへ申給けるに、
=(一方、)左大臣(源信)は、(程度を超えて遣り
 過ぎた)過ちをした事もないのに、このような(当
 然でない)無実の罪に当たるのを心でお嘆きになっ
 て、正装の束帯姿で庭に目の粗い筵を敷いて出て、
 天の神に訴え申しなさっていたところ、

ゆるし給ふ御使に、頭中將、馬にのりながら、はせまうでければ、いそぎ罪せらるゝ使ぞと心得て、ひと家なきのゝしるに、ゆるし給よしおほせかけて歸ぬれば、又、よろこび泣きおびたゞしかりけり。
=(そこに)お赦しになる宮中の勅使として頭中將が
 馬に乗って馳せ参じたので、急ぎ処罰される使者だ
 と思って家中が泣き騒ぐが、お赦しになると申し渡
 しなさって帰ってしまうので、また喜んで泣くこと
 この上もなかった。

【一】B<宮仕えをしなくなった左大臣>
ゆるされ給にけれど、「おほやけにつかまつりては、よこざまの罪いで來ぬべかりけり」といひて、ことに、もとのやうに、宮づかへもし給はざりけり。
=左大臣(源信)は赦されなさったが、「朝廷にお仕
 えしていては、(また)身に覚えのない無実の罪が
 きっと起こって来るに違いないことだ」と言って、
 これまでと違って元のように宮仕えもなさらなかっ
 た(という)。


【二】@<怪しい場面を目撃する舎人>
此ことは、過にし秋の比右兵衛の舎人(とねり)なるもの、東の七条に住けるが、つかさに参りて、夜更て、家に歸るとて、應天門の前を通りけるに、人のけはひしてささめく。
=この火事の事実は(次の言い伝えがある)、前年の
 秋の頃、右兵衛府の舎人(下級役人)で東の七条に
 住んでいた者が、役所に参って(仕事が終わり)夜
 が更けてから家に帰ろうと応天門の前を通りかかっ
 た時、人の気配がして囁く声が聞こえる。

廊の腋(わき)にかくれ立て見れば、柱よりかゝぐりおるゝ者有。あやしくて見れば伴大納言也。次に子なる人おる。又つぎに、雑色とよ清と云者おる。
=渡り廊下の脇に隠れて立って見ていると、柱からぐ
 るりと手でしがみつき下りて来る者がいる。不審に
 思って見ると伴大納言である。次に子である人が下
 りて来る。更に次に雑役をする無位の役人のとよ清
 という者が下りて来る。

何わざして、おるゝにかあらんと、露心も得でみるに、この三人、走ることかぎりなし。
=何をしていて柱から下りて来るでのであろうと全く
 分からないで見ていると、この三人はこの上もなく
 全力で走って行く。

【二】A<目撃した事を口外しない舎人>
南の朱雀門ざまに行程に、二条堀川のほど行に、「大内のかたに火あり」とて、大路のゝしる。みかへりてみれば、内裏の方とみゆ。
=南の朱雀門の方に走って行くので、舎人は(家に向
 かって)二条堀川の辺りを過ぎて行くと、「大内裏
 の方で火事だ」と言って、朱雀大路で人々が大騒ぎ
 している。振り返って見ると、火事は内裏の方と見
 える。

走り歸たれば、應天門のなからばかり、燃えたるなりけり。このありつる人どもは、この火つくるとて、のぼりたりけるなりと心得てあれども、人のきはめたる大事なれば、あへて口より外にいださず。
=走って大内裏に戻ったところ、応天門の半分程が燃
 えているのであった。この先程いた三人はこの火を
 つけようとして門に上っていたのだと分かったが、
 宮中への放火は人にとって究極の重大事であるので
 敢えて口外はしなかった。

【二】B<無罪は罰を免れるもの>
その後、左の大臣のし給へる事とて、「罪かうぶり給べし」といひのゝしる。
=その後、左大臣(源信)のなさった仕業として「罪
 を被りなさるべきだ」と人々は声高く言い騒いだ。

あはれ、したる人のあるものを、いみじいことかなと思へど、いひいだすべき事ならねば、いとほしと思ひありくに、「大臣ゆるされぬ」と聞けば、罪なきことは遂にのがるゝものなりけりとなん思ける。
=ああ、他の人の仕業であったのに大変なことだと思
 うが、口外できる事ではないので気の毒に思って月
 日を過ごすうちに、「左大臣は赦された」と聞いた
 ので罪のないことは最後には処罰を免れるものなの
 だなと思ったのだ。


【三】@<子供同士の喧嘩>
かくて九月斗(ばかり)になりぬ。
=こうして(陰暦)九月頃になった。

かゝる程に、伴大納言の出納(しゅつなふ)も家の幼き子と、舎人が小童といさかひをして、出納のゝしれば同じく出でて、みるに、よりてひきはなちて、我子をば家に入て、この舎人が子のかみをとりて、うちふせて、死ぬばかりふむ。
=こうしているうちに、伴大納言も使用人である出納
 係の家の幼い子と舎人の子供とが喧嘩をすることが
 あった。その時に出納係が声高く言い騒ぐので舎人
 も同じく出て見ると、出納係は近寄って二人を引き
 離し自分の子は家に入れた。そしてこの舎人の子の
 髪を取って地面に打ち倒して死ぬ程に踏みつけた。

舎人思ふやう、わが子もひとの子も、ともに童部いさかひなり。たゞさではあらで、わが子をしもかく情なくふむは、いとあしきことなりと腹だゝしうて、
=舎人が思うことには、自分の子も相手の子も共に子
 供であって、その子供同士の喧嘩である。単に子供
 同士の喧嘩と放っておくのではなくて、私の子に限
 ってこのように情け容赦なく踏みつけるとは、全く
 とんでもないと腹立たしくて、

【三】A<親の出納係と舎人の口論>
「まうとは、いかで情なく、幼きものをかくはするぞ」といへば、
=「お前はどうして情け容赦なく幼い者に対しこのよ
 うにひどいことをするのだ」と言うと、

出納いふやう、「おれは何事いふぞ。舎人だつる。おればかりのおほやけ人を、わがうちたらんに、何事のあるべきぞ。わが君大納言殿のおはしませば、いみじきああまちをしたりとも、何ごとの出でえくべきぞ。しれごといふかたゐかな」といふに、
=出納係が言うことには、「お前は何事を言うのだ。
 舎人ごときが。お前くらいの役人を俺が殴ったとし
 ても何事があろう。我が主の大納言殿がいらっしゃ
 るから、大変な過ちをしたとしても何事が起こって
 来ることがあろう。愚かなことを言う馬鹿者だよ」
 と言うので、

舎人大きに腹立ちて「おれは何事言ふぞ。我が主の大納言を高家に思ふか。おのが主は我が口によりて人にてもおはするは知らぬか。我が口開けては、おのが主は人にてはありなんや」と言ひければ、出納は腹立ちさして家に這ひ入りにけり。
=舎人は激しく怒って「お前は何事を言うのだ。お前
 の主の大納言を権勢のある家に思ふのか。お前の主
 は俺の口のお蔭で一人前の人間でおられるのを知ら
 ないのか。俺が口を開けて喋ったならばお前の主は
 一人前の人間でいることができようか、いやきっと
 できない筈だ」と言ったところ、出納係は怒るのを
 途中で止めて家に姿勢低くして入ってしまった。

このいさかひをみるとて、里隣の人、市をなして聞きければ、いかにいふことにかあらんと思て、あるは妻子(めこ)にかたり、あるはつぎつぎかたりちらして、いひさわぎければ、
=この口論を見ようとして、近隣の人が(市の時のよ
 うに)多く集まり聞いていたので、どんな意味のこ
 とを言っているのだろうと思ってある者は妻子に語
 り、ある者は次々と語り散らして言い騒いだので、

【三】B<事実が露見する伴大納言>
世にひろごりて、おほやけまできこしめして、舎人を召して問はれければ、
=世の中に広がって、帝のお耳にまでもお入りになる
 こととなった。(そこで、)舎人をお呼びになって
 尋問なさったところ、

はじめはあらがひけれども、われも罪かうぶりぬべくといはれければ、ありのきだりのことを申てけり。
=初めは抗い話さなかったが、(このままでは)自分
 もきっと罪を受けることになろうと言われたので、
 ありのままの事を申し上げたという。

その後、大納言も問はれなどして、ことあらはれての後なん流されける。
=その後、伴大納言も尋問されるなどして事実が明ら
 かとなり、その後に流罪とされたそうだ。

【三】C<流罪となった伴大納言>
應天門をやきて、信(まこと)の大臣におほせて、かの大臣を罪せさせて、一の大納言なれば、大臣にならんとかまへけることの、かへりてわが身罪せられけん、いかにくやかりけん。
=応天門に放火して、左大臣源信に負わせてその大臣
 に罪を着せて陥れ、最上位の大納言であるから大臣
 になろうと企んだことが、却って自分が罰せられる
 ようになった。どれ程か悔しかったことであろう。

〈補足〉
・事件の経過(政変
 →866年応天門炎上(放火→天皇に対する謀反)
 →伴大納言が右大臣藤原良相に、左大臣源信を密告
 →藤原良相が兵を派遣(源信失脚→出世)
 →太政大臣藤原良房の急使
 →源信が冤罪と清和天皇に直訴
 →藤原良房は清和天皇に大納言伴善男が犯人と讒言
 →清和天皇は藤原良房に事後処理を摂行(→摂政
 →伴善男は検非違使に捕まり、流罪
 →藤原良相も処罰はなかったが力を失い、翌年に没
 →源信は冤罪のため引きこもりがちで、二年後に没
 →左大臣・右大臣・大納言と重要な役職の者が一掃
 →藤原良房の立場が盤石となり、摂関家として確立
 →真犯人は藤原良房との説も(?)
right★補足・文法★
(説話)2018年1月



〈作者〉
〇編者未詳
 →源隆国の説

〈参考〉
※伴善男(809〜868)
 古代に大和朝廷の軍事を担った名門豪族・大伴氏の
 末裔。平安初期の公卿、国道の五男。政務に精通し
 仁明天皇に信任され大納言となり権勢を振るう。
 866年応天門が炎上した際、権力を争った源信の
 放火と主張して陥れようとしたが、逆に藤原良房に
 妨げられて、犯人とされ伊豆に流された。
 この応天門の変は、藤原義房が摂関政治の障害とな
 る名門である大伴氏 (淳和天皇の諱を避けて伴と改
 めた) の失脚を狙ったと言われている。事の経過は
 『伴大納言絵詞』に詳細に描かれている。


〈補足〉
・罪がなければ最後には罰は免れるものなのに対し、
 罪があればいつかは事が露見して罰せられるもので
 ある。








・応天門=大内裏正門・朱雀門の内側にある立派な門
・水の尾の帝=第56代天皇・清和天皇。17歳。



・信の大臣=左大臣・源信(みなもとのまこと)
      父は嵯峨天皇。2年後に世を去る






・忠仁公=太政大臣・藤原良房。清和天皇の祖父
・西三条の右大臣=藤原良房の弟、藤原良相(よしみ)
・御烏帽子直垂ながら→平安貴族の私服姿
・移の馬=移し馬・乗替えの馬?
     宮中馬寮で飼われた官人の公用の為の馬?
・北の陣=大内裏の兵衛府にある詰所・朔平門?





・讒言=(ざんげん)事実を曲げ偽って人を悪く言う
    こと・中傷
・返す返す=繰り返し繰り返し・何度も
      重ね重ね・よくよく・何ともまあ
      念には念を入れて・丁寧に
・ことやうなり=普通とは違っている・風変りだ





・糺す=事柄をはっきりさせる為に尋ね調べる
    問いただす・問い調べる(正す)




・よこざま=当然でない/思いがけないさま・非業
・日(昼)の裝束=束帯姿(「ひのよそひ」)
・こも=(菰・薦)真菰(イネ科の植物)
    真菰の葉で粗く織った筵(むしろ)
・天道=天地を支配する神・天帝
















・ことに=(殊に・異に)常と違って・他と変わって
     取り分けて・格別に・その上・なお









・兵衛府=皇居の門を守り宮中に宿衛し、行幸に供奉
     した武官の役所。左右に分かれる
・舎人=天皇や皇族の側近くに仕えて雑事を司る者
    貴族も朝廷の許しを得て用いる
    牛車の牛飼い・馬の口取り
・ささめく=小声で話す・ささやく




・廊=(らう)寝殿造りで建物と建物をつなぐ屋根の
   ある細長い板敷きの廊下・渡り廊下
・かゝぐりおるゝ=滑り/しがみついて/ずり下りる?
・雑色=(ざふしき)雑役・走り使いを務めた無位の
    役人・雑役に使った下男
   (位階がなく、定められた官位相当の衣服の色
    がないため、雑多な色の服を着る)
・人+おる(下二段→「下りる」の意)

・何しに=何のために・なぜ・どうして
・心得=(下二)理解/納得する・承知/用心する
    心得/たしなみがある




・ざま=方向や方角を表す・…の時・…や否や
    そのような様子であることを表す
・程(名詞)+に(格助詞)=…すると・するうちに
              …ので・…から
・ののしる=声高く言い騒ぐ・喧しく騒ぎ立てる
      大騒ぎする・盛んに評判される



















・ありく=あちこち歩き回る・あちこち・…して回る
     …して月日を過ごす・…し続ける













・出納=宮中蔵人所や公卿の家で物の出し入れをする
    出納係?
・小童=子供(「こわっぱ」)









・ただ=(直・唯・只)真っ直ぐ・直接・すぐ・近く
    単に…だけ・まさしく・まるで・ただもう
・悪し=性質や状態が劣って価値を認めにくい
    道徳的な基準や規則に照らして悪い
    とんでもない





・まうと=おまえ(目下の人を呼ぶ「真人」ウ音便)
・おれ=おまえ(下位の者や罵る相手を呼ぶ)
 →上代・中古は専ら二人称、中世以降は一人称
  として用いられる

・痴れ事=馬鹿げたこと・愚かなこと
・かたゐ=乞食・馬鹿者(人を罵って言う)
・舎人だつる=舎人ごとき・舎人のくせに?
・おほやけ人=(「大宮人」)宮廷につかえる人
       役人・官吏
・うち(打ち据える/殴る/痛めつける)
 +たら(完了)+ん(仮定)+に(格/接続助詞)





・わ=(我・吾)私(自称)・おまえ(対称)
・(動詞連用形)+さす=…するのを途中でやめる
・…に(断定)+て(接続助詞)+あり(補助動詞)
 +な(強意)+ん(可能推量)+や(反語)
・かうけ=(高家・豪家)権勢のある家・豪族・公卿
     身分の高い家・名門・頼みとなるもの
・腹立つ=立腹する・怒る・喧嘩する






・いさかふ=口論する・喧嘩する・争う
・市=上代に、人が多く集まって、集会や物品の交換
   などを行う場所
   人の多く集まる場所・賑やかな区域






・ありのきだりのこと=ありのままの事?

















・おほす=(負す・課す・科す)負わせる
     肉体的、精神的な重荷を身に受けさせる
・かまふ=(下二「構ふ」)組み立てる・準備する
     計画する・企む・故意に作る
     でっち上げる・前もって心構えする
     注意する・用心する・身構える


















貴方は人目の訪問者です。