left★原文・現代語訳★  
「古文現代語訳ノート」(普通クラス)
   兼好法師「『徒然草(第30段)
       /人の亡きあとばかり」


〈作品=『徒然草』〉
三大随筆の一つ
 ・清少納言『枕草子』(1001年頃→平安中期)
 ・鴨 長明『方丈記』(1210年頃→鎌倉初期)
 ・兼好法師『徒然草』(1330年頃→鎌倉末期)
鎌倉時代末期1330年頃成立
〇作者=兼好法師
〇内容
 ・処世・趣味・自然・有職故実・仏教など
  →人生経験に基づいた人間・社会に対する省察
  →『枕草子』からの影響
 ・隠者文学→(仏教的)無常観の思想
 ・240余段
〇表現→漢文訓読調・王朝的な流麗な和文

〈概要〉
「人の亡き後ばかり悲しきはなし」という作者の感想 (主題)が最初の一文に表現され、以下に時間的経過 と共に変化する様子や心情を具体的に述べる、という 構成で書かれている。      (→要約・要旨)

right★補足・文法★        
(随筆)2021年8月



〈作者について補足〉
・伝記未詳
・歌人として活躍
 →「和歌四天王」の一人








全体の構成 【一】(起)人が亡くなった後の悲しさ 【二】(承)中陰の間の人々の様子と心情
【三】(転)年月が経って忘れられて行く人の死 【四】(結)墓参も絶えて跡形もなくなる墓
left★原文・現代語訳★
〈授業の展開〉

【一】<人が亡くなった後の悲しさ>

人の亡きあとばかり悲しきはなし
=人が亡くなった後ほど悲しいものはない。

▼(段落まとめ)
人が亡くなった後ほど悲しいものはない。

right★補足・文法★        










left★原文・現代語訳★    
【二】<中陰の間の人々の様子と心情>

中陰のほど、山里などに移ろひて、便悪しく、狭き所 にあまたあひ居て、後のわざども営み合へる、心慌た たし。日数の早く過ぐるほどぞ、ものにも似ぬ。
=中陰(四十九日)の間、山里などに移って、不便で  狭い所に(遺族など)大勢が寄り集まって、死後の  様々な仏事を一緒に行っているのは、気ぜわしい。  (その間の)日数の早く経つ様子は、譬えようもない  ことだ。

果ての日は、いと情けなう、互ひに言ふこともなく、 我賢げに物ひきしたため、散り散りに行きあかれぬ。
=(四十九日の)最後の日は、あまり人情味もなく、  (やっと終わったと)互いに言う事もなく、分別顔  で物を整理して、散り散りに別れて行ってしまう。

もとの住みかに帰りてぞ、さらに悲しきことは多かる べき。
=(法事が終わり)元の我が家に帰ってからこそ、一層  (故人を偲び)悲しいことは多いだろう。

「しかしかの事は、あなかしこ、あとのため忌むなる 事ぞ」など言へるこそ、かばかり中に何かはと、人の 心はなほうたておぼゆれ。
=(そんな折)「これこれしかじかの事は、ああ縁起  の悪い事だ、後(に残された人)のために、忌み嫌う  ような事だよ。」などと言っているのは、これ程の  (悲しみの)中で何という事(を言うの)かと、人の心  というものは、やはり情けなく思われることだ。

▼(段落まとめ)
中陰の間は、気ぜわしく日が経って行き、最後の日は あまり人情味もないが、法事が終わって我が家に帰る と一層悲しくなる一方、人の心が情けなく思われたり もする。

right★補足・文法★        


・中陰=仏教で、日ごとに冥土の裁判を受け、四十九  日目に仏になるとされている、その四十九日間。
 その間に、故人の魂が良い裁きを受けられるように  祈って催される追善供養を「中陰供養」と言う
・心慌たたし=気ぜわしい、落ち着かない
・ほど=程度、様子、具合、時間、距離、身分、年齢



☆仏事が長く続く間に、弔意よりもようやく義務から  解放されたという開放感が強くなる→「情なう」
・我賢=(形動)自分だけが賢そうにしている様、利口     ぶっている様、分別顔でいる様、自分本位
・ひきしたたむ=片付ける、整理する、とりまとめる






・あなかしこ=ああ恐れ多い、ああ慎むべきだ
       (禁忌をおかした者をたしなめる)
・忌む()なる(推定)    ・言へ(已然形)る(存続)
・うたてし=嫌だ、情けない
☆かばかり中に=これほどの悲しみの中に










left★原文・現代語訳★
【三】<年月が経って忘れられて行く人の死>

年月経ても、つゆ忘るるにはあらねど、去る者は日々 に疎しと言へることなれば、さは言へど、その際ばか りはおぼえぬにや、よしなしごと言ひて、うちも笑ひ ぬ。
=年月が経っても、(故人を)少しも忘れるわけでは  ないが、「去る者は日々に疎し」と言っていること  であるので、そう(少しも忘れるわけではないと)  は言っても、その(亡くなった)時ほどは(悲しく)  思われないのであろうか、(故人について)とりとめ  もないことを言って、笑ってしまう(こともある)。

骸(から)は気疎き山の中に納めて、さるべき日ばかり 詣でつつ見れば、ほどなく、卒都婆(そとば)も苔む し、木の葉降り埋(うづ)みて、夕べの嵐、夜の月の みぞ、言問ふよすがなりける。
=亡骸は 人気のない山の中に埋葬して、しかるべき
 (墓参りすべき)日だけにお参り
をしては見ると、  間もなく卒都婆も苔が生え、木の葉が降り積もって  (墓を)埋め、(やがて誰も墓参りしなくなり)夕方の  嵐や夜の月だけが、(訪ねて来て)話しかけてくれる  縁者であることだよ。

▼(段落まとめ)
年月が経つと、亡くなった直後の悲しさも薄れ、誰も 墓参りに来なくなり、卒塔婆に苔が生え木の葉が墓を 埋めるようになって、夕方の嵐や夜の月だけが訪ねて くれる縁者となることだ。

right★補足・文法★        


・つゆ(…打消)=全く、少しも(…ない)
※去る者は日々に疎し=死んだ者は日が経つにつれ
 世間から忘れられていき
、親しかった者も遠ざかれ
 ば日に日に交情が薄れていくということ
・疎し=疎遠である、無関心だ
・際=端、すぐそば、時、身分、限界、程度
・…ぬ(打消)に(断定)や(疑問)
・よしなごと=つまらぬこと、とりとめもないこと



・気疎し=人気のない、さびしい
・卒都婆=墓の上に立てた石塔
・言問ふ=物を言う、問いかける、言葉をかける
     親しく言い交す、訪ねる
・よすが(縁)=身や心のよりどころ/便りとすること
        身寄り、血縁者











left★原文・現代語訳★    
【四】<墓参も絶えて跡形もなくなる墓>

思ひ出でて偲ぶ人あらんほどこそあらめ、そもまたほ どなく失せて、聞き伝ふるばかりの末々は、あはれと や思ふ。
=(故人を)思い出して懐かしむ人が(生きて)いる  間はよいだろうが。そういう人もまた間もなく消え  失せて、(故人の事を)人づてに聞くだけの後々の  子孫たちは、しみじみと懐かしむだろうか(いや、  懐かしむまい)。

さるは、跡とふわざも絶えぬれば、いづれの人と名を だに知らず、年々の春の草のみぞ、心あらん人は、あ はれと見るべきを、
=それがしかも、(死者の霊を弔う)仏事や墓参などを  する事も絶えてしまうと、(墓の主が)どこの誰かと  名前さえも分からず、毎年の春の草だけを、心ある  ような人は、感慨深く見る(こともある)だろうが、

果ては、嵐にむせびし松も千年を待たで薪に砕かれ、 古き墳はすかれて田となりぬ。
その形だになくなりぬるぞ、悲しき。
=ついには、風に(吹かれて)むせび泣くような声を  上げて(近くに立って)いた松も千年を待たずして  薪に砕かれ、古くなった墳墓は鍬で掘り起こされて  田となってしまう。
 (こうして墓の)跡形さえもなくなってしまうのは  (まことに)悲しいことだ。

▼(段落まとめ)
故人を思い出して感慨深く懐かしむ人も少なくなって 行き、ついには亡き後の霊を弔う仏事や墓参りなども 絶えて、古い墳墓は田となって跡形さえもなくなって しまうのは、まことに悲しいことだ

right★補足・文法★        


・偲ぶ=懐かしい気持ちで思い出す、感心して味わう
・…こそ()あら()め(推量已然)=…はよいだろうが







・さるは=それというのも、実は、それがしかも
     その上、そうではあるが
・跡問ふ(訪ふ)=仏事や墓参りをして死者の霊を弔う
・心あらん人=心ある人、情趣を解する人
☆自然の悠久さに対して、人事の無常に「あはれ」を  思うのか(?)


※『文選十五・古詩十九句首』に、「古墓は鋤かれて  田となり、松柏は砕かれて薪となる」とある





left★原文・現代語訳★
〈230字要約〉
人が亡くなった後ほど悲しいものはない。中陰の間は 気ぜわしく日が経って行き、最後の日はあまり人情味 もないが、法事が終わって我が家に帰ると一層悲しく なる。だが、年月が経つと亡くなった直後の悲しさも 薄れて、墓参りに来る人も少なくなり、卒塔婆に苔が 生え木の葉が墓を埋めるようになっていく。そして、 故人を懐かしく思い出す人も次第にいなくなり、つい には亡き後を弔う墓参りなども絶えて、古い墳墓は田 となって跡形さえもなくなってしまうのは、まことに 悲しいことだ。

right★補足・文法★    
〈参考…「中陰」について〉
「中陰」とは、人の死後49日間のことを言う。仏教 では死後7日を一期と考え、人は死ぬと七期の終わり までには次の世界で何らかの生を受けると考えるが、 その「輪廻転生」の考えから来ている。だから、死後 7日ごとに供養を行い、最後の「満中陰」(49日)は 法要を行って、死者の冥福を祈ったのである。

※供養=亡くなった人のに対して冥福を祈る、葬式・     焼香・読経など
※冥福=冥途(死後の世界)の幸福(福を招く)

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