left★板書(+補足)★
「現代文授業ノート」(普通クラス)
   (近代短歌) 石川啄木

〈作者〉
・明治19年(1886)〜明治45年(1912)
明治40年代
 <日常生活>(の苦しみ)を
 飾らない平易な口語で詠う生活派歌人
・三行書き
・歌集 『一握の砂』『悲しき玩具』など

right★発問☆解説ノート★
(短歌)2015年2月〜16年6月
              (2020年2月改)


・〜26歳






left★板書(+補足)★
不来方の   お城の草に   寝ころびて
空に吸はれし
<十五の心>
=不来方のお城(と呼ばれる盛岡城の城跡)の
 草の上に寝ころんで(空を見ていたことがあった)
 (遥かな大)空に吸い込まれ(夢を託し)た
 十五歳の頃の心(が懐かしく思い出されること)だ

〈出典〉
明治43年(1910)『スバル』11月号に初出
「秋のなかばに歌へる」の題で発表した110首中の
1首(作者24歳
同年の第一歌集『一握の砂』所収、中学時代の回想
主とする「煙」101首中の「一」の第八首

〈主題〉(感動の中心・心情)
(大空を眺めて抱いた、中学3年の頃の)
<夢多き屈託ない少年期の心を懐かしむ>詠嘆の思い
(と、いつしか無心になってゆく現在の心境)

〈鑑賞〉(補足・背景・感想)
・困難な貧窮生活だった当時の啄木は、希望に満ちた
 少年時代をのんびりと懐かしく追憶して歌う
ことで
 一時の心の安らぎを得たのだろう。

right★発問☆解説ノート★
・不来方=(岩手県)盛岡城の別名
 南部藩20万石の城址。慶長3年(1598)着工
 現在の盛岡城跡公園。盛岡中学から歩いて10分
・吸は()れ(受身)し(過去)→(夢を)託した
・十五の心=中学3年の頃の夢多き心  (→回想
 →一生で最も希望に溢れ大空に託した少年の頃の夢
☆(表現)特色
 @体言止め(→二度と戻らないという余情・詠嘆)
 A通俗的・平易な口語の表現(→柔らかい)
 B三行書き短歌(内容の序破急を明確に示す)
  →友人の土岐哀果の「NAKIWARAI」の形式に
   ヒントを得る
  (現実生括を、自由なリズムと口語的発想で定着
   させるのに効果的











left★板書(+補足)★
ダイナモの
重き唸りの     ここちよさよ|
あはれこのごとく  物を言はまし
=発電機の(力強く動いている)
 重い唸りが(耳に)心地よいことだ(なあ)
 ああ(自分も)このように物を言えればいいのに
 (発電機のように力強く生きていきたいものだ)

〈出典〉
明治43年(1910)8月作、第一歌集『一握の砂』
所収(作者24歳
巻頭の「我を愛する歌」151首中の1首

〈主題〉(感動の中心・心情)
(言論と思想が弾圧される時代状況にあって)
<堂々と物が言える世の中であればいいのに>
という(詠嘆の)思いを詠む

〈鑑賞〉(補足・背景・感想)
・明治43年5月、明治天皇の暗殺を計画するという
 大逆事件が発覚し、言論と思想が弾圧されることが
 あった。社会主義的な傾向にあった啄木は、この事
 に対して評論を書き、8月には歌も詠んだ。それが
 この「ダイナモの……」の歌である。評論の原稿は
 東京朝日新聞に提出したが、掲載は不可となった。
 このような言論弾圧を時代背景として詠まれたのが
 この歌である。

right★発問☆解説ノート★
・ダイナモ=発電機
 →短歌に新しい素材を入れた近代性がある
・…よ=詠嘆(間投助詞)・あはれ=ああ(感動詞)
・…まし=…であればよいのに(反実仮想・希望)
 →言いたくても言えず、願ってもどうにもならず
 →言論弾圧の嵐が吹き荒ぶ時代に詠まれた
☆(表現)三句切れ
     三・四句の字余り→堂々とした力強さ
     三行書き短歌(→内容の序破急を示す)










・大逆事件=1910年、明治天皇の暗殺を計画した
 として、全国の社会主義者や自由主義者ら24人が
 死刑判決を受けた思想弾圧事件。12人は無期懲役
 に減刑されたが、幸徳秋水らの12人は翌年に処刑
 された




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