left★板書(+補足)★
「現代文授業ノート」(普通クラス)
   (近代短歌) 斎藤茂吉

〈作者〉
・明治15(1882)〜昭和28(1953)
・伊藤左千夫に師事し、大正〜昭和初期
 「アララギ」の中心的存在として
 子規以来の万葉調・写生説を実践し、発展させる
 →「実相観入」の写生説を唱える
・歌集『赤光』『あらたま』評論『柿本人麻呂』など

right★発問☆解説ノート★
(短歌)2015年2月〜16年6月
              (2020年1月改)


・精神科意医
・正岡子規の歌を詠んで作歌を志す
・言葉は強く切実で、感情に直接な響きを持っていた
 →第一歌集『赤光』では、やみがたい人間としての
  感動が表出


left★板書(+補足)★
みちのくの  <母のいのちを>  一目見ん
       一目見んとぞ    いそぐなりけれ
               (ただにいそげる)
=みちのくにいる母が生きているうちに
 一目でも顔を見たい
 (臨終の時に間に合って)一目でいいから
 顔を見たい、と(道を)急いだことだよ。

〈出典〉
大正2年(1913)(作者31歳)第一歌集『赤光
収録、「死にたまふ母」四部連作59首の「其の一」
の中の一首。初出は同年「アララギ」四連56首。

〈主題〉(感動の中心・心情)
<危篤の母の残された命を見届けたいと急ぐ、必死の
思い>(切迫した心情)が強く表れた挽歌

〈鑑賞〉(補足・背景・感想)
母の死という万人に共通の経験が、痛切に歌い上げら
れている

right★発問☆解説ノート★
・みちのく=「道の奥」、東北地方→山形県金瓶村
 「万葉」以来多いが二句目は地名・植物名が一般的
・母のいのち=今際の…(大正2年5月)。一度中風
 で倒れ、その後はかばかしくなかった
・…ん(意思)…ぞ(強意→結びは連体形○)
・「一目見ん…」という切迫した調子の繰り返し
 はやる思いをじかに伝えている
・ぞ…いそぐ(故郷に向かう途上で、駅や汽車の中)
 なり(断定)けれ(詠嘆・已然形×)
・…けれ=文法的破格(「ける」の誤り)→「万葉
 の語法・用語・調べを現代に再生しようとした



〈参考資料…M〉(鑑賞)
母の亡くなった年齢と同じ59首の連作。其の一は報
せを聞いてから故郷上山に駆けつけるまで。「一目見
ん一目見ん」の繰り返しは作者の心中の呟きで、祈る
ような心境の表出であろう。作者にとって故郷そのも
のである母
を「みちのくの母」と詠んでいる。

left★板書(+補足)★
のど赤き   玄鳥ふたつ    屋梁にゐて
       足乳根の<母は  死にたまふ>なり
=(臨終に近い母の枕辺で、ふと上を見上げると)
 咽喉の赤いつばめが二羽、屋梁に止まっている
 (のが見える。その下で
 私を育ててくれた母が、死んでゆかれるのだ

〈出典〉
大正2年(1913)(作者31歳)第一歌集『赤光
収録、「死にたまふ母」四部連作59首の「其の二」
の代表歌。初出は同年「アララギ」四連56首。
母が息を引き取ろうとするクライマックスの場面で、
最も評判が高い

〈主題〉(感動の中心・心情)
<死にゆく母への深い悲しみ>

〈鑑賞〉(補足・背景・感想)
釈迦が涅槃に入る時、象がこぞって嘆いたというが、
その宗教的な臭いを想起させる構図の歌である。
表面に自分の心を出さず、屋梁にいる無心の「玄鳥」
と死にゆく「母」という、二つの事実をありのままに
<対照的に並列>しているのだ。そのことで、作者の
深い悲しみがより効果的に表現された歌となっている

right★発問☆解説ノート★
・のど赤き=咽喉の部分の毛が赤色をしている。実際
 は茶色に近い色だが、鮮明な赤と捉えた所に激しい
 悲しみがこもって効果的
・玄鳥=つばめ(雌雄二羽)→「母」と並列・対照
 →作者の悲しみの象徴的な存在
・屋梁=屋根を支えるために渡した横木
・足乳根の=「母」にかかる枕詞。歌意で省略される
 ことが多いが、「乳足らひし…」と前の歌にあり、
 「自分を育ててくれた」という意味を込めている
・…たまふ(尊敬)なり(断定)







〈参考資料…M〉(鑑賞)
「玄鳥ふたつ」はつがいであり繁殖のためにここへや
って来たのである。生命の充実が感じられる。それに
反して母は死を迎えようとしている。作者の悲しみは
一層深まり、下の句の直情的慟哭となっていく。その
燕も作者の母の死を知るのごとく、じっとこちらを見
いる。

left★板書(+補足)★
あかあかと  一本の道     とほりたり|
       たまきはる我が  命なりけり
=(秋の夕日の陽射しを受けて)
 真っ赤に一本の道が(前を真っ直ぐに)通っている
 (のが見える。この一本の道こそは)
 自分の生きてゆく道(=命)であるのだ(なあ)

〈出典〉
大正2年(1913)(作者31歳)の作。「一本道」と題する第一首。
伊藤左千夫の追悼文で、「秋…遠く一本の道が見えて
いる。赤い太陽が…一本道を照りつけた。僕らは彼の
一本の道を歩まねばならぬ
」と述べる。
『あらたま』(大10)所収

〈主題〉(感動の中心・心情)
伊藤左千夫の亡き後は、「アララギ」の編集を通して
子規・左千夫と受け継がれてきた<短歌革新の道を、
自分が担って行かねばならない>
という強い決意


〈鑑賞〉(補足・背景・感想)
・師として傾倒していた伊藤左千夫が亡くなった時、
 眼前の赤々と夕日に照り映える一本の道は、子規・
 左千夫と連綿と続く魂そのものに見えたのだろう。

right★発問☆解説ノート★
・あかあかと=明るく、真っ赤に(?)
・…たり(存続)→三句切れ   (→感動・詠嘆)
・たま(魂・霊)きはる=「命・世・うち・吾…」に
 かかる枕詞。語義未詳(生まれてから死ぬまで?)
 →万葉調
・…なり(断定)けり(詠嘆)
☆句切れ・枕詞の効果→一気に詠んで、力強い叫びを
 感じさせる













・これこそ自分の進む道だ、という悲壮な思いを強く
 抱いたのである


貴方は人目の訪問者です。