left★板書(+補足)★
くれなゐの 二尺伸びたる <薔薇の芽の>
<針やはらかに> 春雨の降る
=(庭に植えた)紅い60pほど伸びた薔薇の若芽は
棘が(まだ)柔らかくて
(その上に、柔らかく触れるように、細かな)
春雨が降りかかっている(ことだ)
〈出典〉 (1900)
没年の2年前(明治33年)4月の作(作者33歳)
「庭前即景」連作十首中の第三首で、代表作の一つ。
春雨を詠んだ歌として有名
死後、伊藤左千夫らによって編集された『竹の里歌』
所収(明37=1904)
〈主題〉(情景・感動の中心)
若々しくて内に力を秘めながらも柔らかな薔薇の新芽
と、その上に細かな春雨が優しく降りかかるという、
<病床から見られる庭の情景を丹念に写生>した歌
〈鑑賞〉(補足・感想)
・作者が脊椎カリエス(肺結核)で亡くなる2年前の
作品で、身体を自由に動かせずに病床から、時には
柱につかまって縁側に立ちながら、薔薇を植えた庭
の景色を眺めて写生したものである。
・当時珍しいガラス障子戸を高浜虚子から贈られて、
病床からそのまま外が見えると彼は喜んだという。
・心の中は何も言わずに、ただ見えるもの(=事実)
だけを、そのまま見えるように表現したのだ。
・子規はデッサンも行っていたというが、斎藤茂吉は
この歌の「…針やはらかに春雨の降る」について、
「静物画のような世界、フランス印象派画色彩の面影
である」と評している。
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right★発問☆解説ノート★
★くれなゐ=真紅の花でなく、薔薇の芽の針のこと。
枝も葉も針も紅くて柔らかく、枝は急に伸びていく
→全集に元の形が「針くれなゐに」であったとの註
・1尺=30p(→2尺=60p)→具体的な形状
☆やはらかに=「針」と「春雨」に掛かる掛詞的用法
☆句切れなし・「の・ア音・ラ行」の繰り返しは、
伸びやかな柔らかく快いリズム感を生み出し、
<薔薇→芽→針>→<春雨の降る庭>と焦点を絞る
・庭前即景=庭の前は、即ちそのまま歌に表現できる
景色である、という意味か
〈参考〉(十首連作の歌)
「庭前即景」(四月廿一日作)
山吹は 南垣根に 菜の花は
東堺に 咲き向ひけり
かな網の 大鳥籠に 木を植ゑて
ほつ枝下枝に 鶸飛びわたる
くれなゐの 二尺伸びたる 薔薇の芽の
針やはらかに 春雨のふる
汽車の音 走り過ぎたる 垣の外の
萌ゆる梢に 煙うづまく
杉垣を あさり青菜の 花をふみ
松へ飛びたる 四十雀二羽
一うねの 青菜の花の 咲き満つる
小庭の空に 鳶舞う春日
くれなゐの 若菜ひろがる 鉢植の
牡丹の蕾 いまだなかりけり
春雨を ふくめる空の 薄曇
山吹の花の 枝も動かず
家主の 植ゑておきたる 我庭の
背低若松 若緑立つ
百草の 萌えいづる庭の かたはらの
松の木陰に 菜の花咲きぬ
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