left★板書(+補足)★
「現代文授業ノート」(普通クラス)
   (近代短歌) 正岡子規

〈作者〉
・慶応3(1867)〜明治35(1902)
明治30年代
 脊椎カリエス(肺結核)で病床にありながら
 <写生・万葉調>により<俳句・短歌の革新>
・歌集 『竹の里歌』など
 句集 『寒山落木』など
 随筆 『墨汁一滴』『病床六尺』など




right★発問☆解説ノート★
(短歌)2015年2月〜16年6月
              (2020年2月改)


・〜35歳
・明22喀血(明29脊椎カリエス、病床に親しむ)
・明25『獺祭書屋俳話』を新聞「日本」に連載
    俳句の革新を説く(→写生説)
・明30俳句雑誌「ホトトギス」創刊
    俳句の革新運動を展開
・明31「歌よみに与ふる書」発表、短歌革新も唱え
    『古今和歌集』を排し『万葉集』を尊重する
    (万葉調の歌風を復興・写生説)
 明31根岸短歌会を結成

left★板書(+補足)★
今やかの  <三つのベースに  人満ちて>
       そぞろに胸の   さわぐかな
=今やあの三つのベースに人(が)満ちて(満塁にな
 って)、そわそわと(落ち着かず)胸が(ドキドキ
 と)高鳴ることだ。

〈出典〉
明治31年、「日本」初出(31歳
ベースボールの歌、全9首中の第9首

〈主題〉(心情)
既に肺結核の症状が出ていながらも、<野球に熱中>
する思い

〈鑑賞〉(補足)
・描写(上句)+心情(下句)という最も初期の歌。
・明治新派、和歌歌人の先端。



right★発問☆解説ノート★
・…や=詠嘆・強意  ・…かな=詠嘆(…だなあ)
☆野球のゲーム





・1898年



・顔色もすぐれなかったが、選手として野球に熱中



久方の  アメリカ人(ひと)の  はじめにし
      ベースボールは   見れど飽かぬかも
 →当時の考え(東西古今)に通じて、
  言葉は自由自在を目指した

left★板書(+補足)★
くれなゐ   二尺伸びたる  <薔薇
       <針やはらかに>  春雨降る
=(庭に植えた)紅い60pほど伸びた薔薇の若芽は
 棘が(まだ)柔らかくて
 (その上に、柔らかく触れるように、細かな)
 春雨が降りかかっている(ことだ)

〈出典〉   (1900)
没年の2年前(明治33年)4月の作(作者33歳
庭前即景」連作十首中の第三首で、代表作の一つ。
春雨を詠んだ歌として有名
死後、伊藤左千夫らによって編集された『竹の里歌』
所収(明37=1904)

〈主題〉(情景・感動の中心)
若々しくて内に力を秘めながらも柔らかな薔薇の新芽
と、その上に細かな春雨が優しく降りかかるという、
<病床から見られる庭の情景を丹念に写生>した歌

〈鑑賞〉(補足・感想)
・作者が脊椎カリエス(肺結核)で亡くなる2年前の
 作品で、身体を自由に動かせずに病床から、時には
 柱につかまって縁側に立ちながら、薔薇を植えた庭
 の景色を眺めて写生したものである。
・当時珍しいガラス障子戸を高浜虚子から贈られて、
 病床からそのまま外が見えると彼は喜んだという。
・心の中は何も言わずに、ただ見えるもの(=事実)
 だけを、そのまま見えるように表現したのだ。
・子規はデッサンも行っていたというが、斎藤茂吉は
 この歌の「…針やはらかに春雨の降る」について、
「静物画のような世界、フランス印象派画色彩の面影
 である」と評している。


right★発問☆解説ノート★
★くれなゐ=真紅の花でなく、薔薇の芽の針のこと。
 枝も葉も針も紅くて柔らかく、枝は急に伸びていく

 →全集に元の形が「針くれなゐに」であったとの註
・1尺=30p(→2尺=60p)→具体的な形状
☆やはらかに=「針」と「春雨」に掛かる掛詞的用法
☆句切れなし・「の・ア音・ラ行」の繰り返しは、
 伸びやかな柔らかく快いリズム感を生み出し、
 <薔薇→芽→針>→<春雨の降る庭>と焦点を絞る

・庭前即景=庭の前は、即ちそのまま歌に表現できる
      景色である、という意味か
〈参考〉(十首連作の歌)
「庭前即景」(四月廿一日作)
山吹は 南垣根に 菜の花は
    東堺に 咲き向ひけり
かな網の 大鳥籠に 木を植ゑて
     ほつ枝下枝に 鶸飛びわたる
くれなゐの 二尺伸びたる 薔薇の芽の
      針やはらかに 春雨のふる
汽車の音 走り過ぎたる 垣の外の
     萌ゆる梢に 煙うづまく
杉垣を あさり青菜の 花をふみ
    松へ飛びたる 四十雀二羽
一うねの 青菜の花の 咲き満つる
     小庭の空に 鳶舞う春日
くれなゐの 若菜ひろがる 鉢植の
      牡丹の蕾 いまだなかりけり
春雨を ふくめる空の 薄曇
    山吹の花の 枝も動かず
家主の 植ゑておきたる 我庭の
    背低若松 若緑立つ
百草の 萌えいづる庭の かたはらの
    松の木陰に 菜の花咲きぬ

left★板書(+補足)★
真砂なす   数なき星の   その中に
      <吾に向ひて   光る星あり>
=美しい砂をまいたような数限りない星(がある)
 (今夜の星空)の中に
 私に向かって光(ってくれてい)る星がある

〈出典〉   (1900)
没年の2年前(明治33年)7月の作(作者33歳
『竹乃里歌』の「星」と題する連作10首の冒頭歌。
歌会における一題十首の作品らしい(和歌で藤原定家
なども取り入れた方法)
死後、伊藤左千夫らによって編集された『竹の里歌』
所収(明37=1904)

〈主題〉(心情)
美しい星空を見ていたら
<自分を待ち望んでいる輝かしいものがある>という
思い(夢・希望)を抱いた

〈鑑賞〉(補足)
・芥川龍之介が『侏儒の言葉』に引用してから、子規
 の代表作の一つとしてよく知られるようになった。
病気と闘いながら短歌革新を進めていた作者だが、
 彼方で自分だけを照らす星を心の中で描いた心境
 表した下の句が、夢のある断定になっている。
・だが、「星」を何の比喩と捉えるかによって、様々
 な解釈が可能だ。連作の第二首目の短歌は「母星」
 としている。子を思う「母」の眼差しのような慈愛
 に満ちたものだったのだろうか。あるいは、将来の
 伴侶となる「女性」、死後星になった「父」、使命
 を告げる「天」…等々、色々と考えられるが、自分
 を照らす心の「光」のようなもの
であろう。
・明星派の浪漫主義に対し、根岸短歌会は写生・写実
 (リアリズム)を鼓舞する現実主義と言われるが、
 らしからぬロマンティックな一面が子規にもあった
 ことを感じさせる珠玉のような作品である。

right★発問☆解説ノート★
・真砂なす→万葉調
 →真砂=砂のこと ・…なす=形・状態をしている
 →真=@真実・完全である A純粋・見事で美しい
・数なし=数限りない・無数の
☆吾に向ひて光る星あり→ロマティックな子規の一面
 →自分にはすべき事があるのだ、という使命(?)
  を星に告げられている
ような思い・夢・希望

・句切れなし





〈参考〉(十首連作の歌)
           明治33年(1900)7月
まさごなす 数なき星の その中に
      吾に向ひて 光る星あり
たらちねの 母がなりたる 母星の
      子を思う光 吾を照らせり
玉水の 雫絶えたる 檐の端に
    星かがやきて 長雨はれぬ
空はかる 台(うてな)の上に 登り立つ
 (気象台・天文台の類い)
     我をめぐりて 星かがやけり
天地に 月人男(つきひとをとこ) 照り透り
   (月そのものの擬人化)
    星の少女の かくれて見えず
ひさかたの 星の光の 清き夜に
      そことも知らず 鷺鳴きわたる
     (どことも知れず・いずこからか)
草つつみ 病の床に 寝がへれば
 (「病・山」に掛かる枕詞か)
     ガラス戸の外に 星一つ見ゆ
……


left★板書(+補足)★
瓶にさす   藤の花ぶさ   <みじかければ>
       たゝみの上に   とゞかざりけり
=瓶にさして(活けてある)藤の花ぶさ(は)(その
 花房が)短いので、畳の上に届かないことだなあ。

〈出典〉
没年の前年(明治34年)、「日本」初出(34歳
『墨汁一滴』(明34、5月)の一連10首中の冒頭

〈主題〉(心情)
脊椎カリエス(肺結核)という重病で、余命いくばく
もない自分の<残された命の短さ>を藤の花房の長さ
に重ねて
見守る思い

〈鑑賞〉(補足)
写生説を実践した有名な歌。
病床六尺が子規の全世界で、
 作歌しようとする衝動(感動)が湧いた病床吟。
 →病人生活の細かい目→美しさへの賛嘆


right★発問☆解説ノート★
・見えたままをそのまま写生
 →古典和歌にこの無造作な言い方はない
☆作者の視線の位置→病床なので、横目に見上げる
・已然+ば=…ので(順接)・けり=詠嘆(だなあ)
・たゝみの上→子規の病床六尺(1.8m)の畳の上

・1901年














left★板書(+補足)★
いちはつの  花咲きいでて   我が目には
      <今年ばかりの   春>行かんとす
=(庭には)いちはつの花(が)咲き出して、(重病
 の床にある)我が目には、今年限りの(になるかも
 知れない)春(が過ぎて)行こうとしている。

〈出典〉
没年の前年(明治34年5月)『墨汁一滴』に初出。
「しひて筆をとりて」という詞書を記した10首中の
2首目(34歳)。
『竹の里歌』(明37)にも収録

〈主題〉(心情)
重病で余命いくばくもない自分には、過ぎつつある春
来年は巡って来る事がなく、<最後の春であろう>
という思い

〈鑑賞〉(補足)
・子規の脊椎カリエス(肺結核)は、最後の春との別
 れを言い、秋は待てぬと予感するほど切迫した症状
自らの命を冷静に見据え、感情を抑制して淡々と
 平明に詠った客観写生の歌


right★発問☆解説ノート★
・いちはつの花=5月、アヤメに似た紫または白の花
  ↑   春が終わりつつある頃に咲き、
  |   初夏を感じさせる(俳句の季語では夏)
  ↓対照(→深い悲しみ)
・今年ばかり(副助詞・限定)の春
・…んとす(助動詞・意思=…ようとする)

・1901年5月4日





病床から花を眺め、余命いくばくもない事を詠う
 →春との最後の別れ=惜春・惜命の情



・卯の花の 散るまで鳴くか 子規(ホトトギス)
 =喉赤いほととぎすを肺病患者に見立てて自嘲
              (明21、8月喀血)
・夕顔の 棚つくらむと 思へども
     秋待ちがてぬ 我いのちかな

left★板書(+補足)★
〈補足〉作者年譜…詳細は俳句の項を参照


right★発問☆解説ノート★



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