left★板書(+補足)★
幾山河 越えさり行かば <寂しさの>
<はてなむ国ぞ>| 今日も旅ゆく
=幾つもの山や河を越えて(どこまでも)行ったなら
ば、(そこには)寂しさが果てるような国がきっと
あるだろうか。(そう思いながら)私は今日も旅を
続けてゆく(ことだ)。
〈出典〉
明治40年(1907)8月『新声』初出(22歳)
「旅人」と題した15首の中の作品。『海の声』収録
『別離』にも収録された代表作の1つ
〈主題〉(感動の中心・心情)
<寂しさの果てる国を求めての旅>を続ける思い
〈鑑賞〉(補足・背景・感想)
・明治40年夏、早稲田大学に在学中だった牧水は、
故郷の宮崎への帰途、友人の勧めでその故郷・岡山
に降り、一人で岡山から山々を越えて広島に入り、
川伝いに帝釈峡などを見て安芸に出た事があって、
それが歌作の直接の契機となる。
・青春の彷徨・漂泊の旅というイメージがある歌で、
人生は旅と見なす事が多い人々には、愛唱せずには
おれないような浪漫的で感傷的な甘美さがある。
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right★発問☆解説ノート★
・「中国を巡りて」という注記→越えても越えても
行き着くことが出来ない というニュアンス
・果て(なくなる)な(強意「ぬ」未然)む(婉曲)
国 /ぞ(強意)(+あらむ)→四句切れ(感動)
→…にもかかわらず→…求めての旅
☆作者が追い求める憧憬・疑問→孤独な寂しい心
=青春の純粋性・浪漫性と悲哀
→純粋で他と溶け合えず濁る事のない孤独と哀感
・寂寥は、人が生きている限り心の中に住み続けて、
取り去る事の出来ないものであり、それに向かって
行く心を詠んだ歌
☆ドイツの詩人カールーブッセの詩「山のあなた」
(上田敏の訳詩集『海潮音』)の影響→間接の契機
山のあなたの空遠く
「幸」住むと人のいふ
噫(ああ)、われひとと尋(と)めゆきて
涙さしぐみ(涙ぐみて)かへりきぬ。
山のあなたの空遠く
「幸」住むと人のいふ
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