left★原文・現代語訳★   
「古典現代語訳ノート」(普通クラス)
   「新古今和歌集」 式子内親王

〈出典=『新古今和歌集』〉
〇成立 鎌倉時代前期 1205年頃(中世)
    8番目の勅撰和歌集(後鳥羽院の院宣による)
〇撰者 源通具・藤原有家・藤原定家・藤原家隆
    藤原雅経・寂蓮の6人 (→成立後も改訂)
    →序文である「仮名序」は紀貫之が書く
〇内容 歌数2100首、20巻
    部立(ブダテ)の体裁は『古今集』を範とする
〇歌風 幽玄・有心(ウシン)・余情美を重視した独特の
    歌風(心象を象徴的に表現し、華麗・夢幻的)
   (『万葉集』は「ますらをぶり」…男性的)
   (『古今集』は「たおやめぶり」…繊細優雅)
    →本歌取り・体言止めなどの技巧を用いる
    →(韻律)七五調中心、初句切れ増加
〇歌体 短歌のみ

〈時代背景〉
〇王朝貴族社会から武家社会への変遷


right★補足・文法★   
(和歌集)2022年6月


〈勅撰和歌集〉
   (天皇や上皇の命令により編集された和歌集)
三代集
 ・「古今」「後撰集」「拾遺」
八代集
 ・三代集
  +「拾遺」「金葉」「詞花」「千載」「新古今」





left★原文・現代語訳★   
〈和歌の修辞など〉
〇枕詞=上に置き、特定の語句を導く五音の修飾語
                (口語訳しない)
〇序詞=上に置き特定の語句を導く七音以上の修飾語
                (口語訳する)
〇掛詞=同音なので、一語に二つの意味を持たせた語
       (限られた字数で表現を豊かにする)
〇縁語=ある語を中心に関係の深い語を用いる技巧
              (連想を膨らませる)
〇本歌取り=和歌・連歌で、古歌の語句・趣向などを       取り入れて作歌すること
〇韻律・句切れ
※詞書=歌を作った時・所・背景などを述べた前書き
right★補足・文法★   

 ・あしひきの→山・峰  ・あらたまの→年・月
 ・くさまくら→旅・露  ・しろたへの→衣・袖
 ・ぬばたまの→黒・闇  ・ひさかたの→天・光

 ・かる→離る・枯る   ・きく→聞く・菊
 ・ふる→降る・古る   ・まつ→待つ・松

 ・衣→着る・張る・袖  ・露→消ゆ・結ぶ・玉
 ・月→傾く・入る・影  ・涙→流る・袖・水



left★原文・現代語訳★   
〈授業の展開〉

〈作者=式子内親王〉
・1149〜1201年(平安末期〜鎌倉初期)
・後白河天皇の第三皇女で、10歳頃から賀茂神社の  斎院を務め、20歳頃に病のため斎院を降りた後、  母や叔母の屋敷に身を寄せ、42歳頃に出家した。  神や仏に仕え、恋愛を禁じられた身として、52年  の生涯を終えるまで独身を貫いた。
・歌を藤原俊成に学び(息子)定家とも親交があった。
 『新古今集』には49首入集(女性として最多)、  勅撰集に157首入集
・歌風は清澄・高雅で、女性らしい繊細な情感がある
right★補足・文法★   

        
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left★原文・現代語訳★   
  百首歌奉りし時、春の歌      式子内親王
  =百首歌を帝に差し上げた時、春の歌(という題    で詠んだ歌)

山深み   春とも知らぬ   松の戸に
      たえだえかかる  雪の玉水
               (巻一 春歌上3)
=山深いので(雪深く人里離れていて)、春が来たとも  気づかない(山家の)松の(木陰の粗末な)戸に、  (積もった雪が緩んで)途切れ途切れに落ちかかる  玉のような美しい雪解け水(の滴り)であることだ  (待ちわびた春が来たようだ)。

〈成立日時〉

〈主題〉(感動の中心・心情)
<雪深い山奥での春の訪れを喜ぶ思い>
を詠んだ歌。

〈鑑賞〉(感想・補足)
・体言止め
・後鳥羽院が主催した和歌の催しの為に詠まれた歌。  作者51歳の作(…出家。翌年、没)。
・黒い深山・白い雪に包まれた山の庵・緑の松の戸・  透明な雪の玉水と、遠景から近景へとズームアップ  する手法が用いられている。
美しい雪解け水の音と光により、春の訪れを知った  喜びを詠んだ絵画的な歌である。

right★補足・文法★   
・百首歌=百首で一組になるように構成を整えて歌を      詠んだもの。ここは、1200(正治2)年に      後鳥羽院が主催した「正治二年初度百首」      という和歌の催し。
・奉り(謙譲=差し上げる)し(過去「き」体)
・(…を)…み(接尾語)=(…が)なので
・松の戸=松で造った粗末な枝折戸、松の木陰の戸
 →枝(シ)折り戸=木の枝や竹などをそのまま使った
         簡単な開き戸
・絶え絶え=今にも途切れそうながら、やっと続いて       いること。途切れ途切れ
・雪の玉水=玉のように美しく透明な雪解け水(の雫)








ヘンデル「協奏曲ト短調」

        
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left★原文・現代語訳★   
  百首歌の中に忍ぶ恋を       式子内親王
  =(後鳥羽院が主催した)百首歌の(歌合の)中で    忍ぶ恋を(題として与えられて)詠んだ(歌)

玉の緒よ   絶えなば絶えね   ながらへば
       忍ぶることの    弱りもぞする
           (巻十一 恋歌一1034)
=(玉の緒のような)私の命よ、絶えてしまうならば  絶えてしまえ。(このまま)生き長らえていると、
 (恋を胸に秘めて)耐え忍ぶ心が、弱まって(抑え  きれなくなり、この恋が誰かに知られて)しまうと  いけないから。

〈成立日時〉

〈主題〉(感動の中心・心情)
たとえ死んでしまってもよいから、
この<胸に秘めた恋を誰にも知られまい>
という激情を詠い上げる。

〈鑑賞〉(感想・補足)
・(修辞法)二句切れ、縁語
・「小倉百人一首」の第89首目に収録されている歌
・死んでしまっても構わないから、胸中に秘めた忍ぶ  恋が世間に露見することがないように、という女性  の抑えた強烈な恋の激情を情熱的に詠い上げた歌。
前半の激しさと、後半の不安げな口調が対照的で、  世間に知られまいとする「忍ぶ恋」の苦悩と複雑な  胸中が表現されている。
・賀茂神社の斎院を10年間務めて、晩年は出家する  という、恋を禁じられる身で生涯独身を貫いた。
 そんな厳しい禁忌の下で恋を実らせることはなく、  感情を抑えきれずに恋の歌を詠んだのではないか。  恋ができない実生活から生まれたものでなく、歌と  いう虚構の世界の中では恋の自由が得られたから、  「忍ぶ恋」を詠んだ歌を多く残しているのだろう。  恋の相手は架空の人物なのではないだろうか?
・しかし、藤原俊成に歌を学ぶ縁で、息子の定家とは  親交があり、式子より13歳ほど年下であったが、  この藤原定家が秘めた恋の相手ではないかという説  もあるそうだ。
 定家の日記『明月記』にも式子に関する記事が複数  あり、両者は深い関係だった可能性もある。

right★補足・文法★   
・百首歌=百首で一組になるように構成を整えて歌を      詠んだもの。これは、後鳥羽上皇の歌合に      参加した際に「忍ぶ恋」を詠ったもの。

・玉の緒=首飾りの玉を貫く紐。
 魂を身体に繋いでおく緒→命(そのもの)
 →玉の緒()よ(呼びかけ、間投助詞)=私の命よ
※「絶え」「ながらへ」「弱り」は、「緒」の縁語
・絶え(ヤ下二)な(完了)ば()絶え()ね(完了)
・忍ぶる(バ上二)弱り()も(係助)ぞ(係助)する(サ変)
 =弱まるといけないから
 →もぞ(もこそ)=…すると困る(将来への不安)




















式子内親王「玉の緒よ…」(YouTube 解説)
            
コレルリ「ソナタト短調」

写真は、ネット上のものを無断で借用しているものも あります。どうぞ宜しくお願い致します。

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