(古典現代語訳ノート)司馬遷「史記/項王自刎」
left★原文・現代語訳★
「古文現代語訳ノート」(普通クラス)
   司馬遷「史記/項王自刎(最期)」

〈出典=『戦国策』〉
〇中国の歴史書 正史(二十四史)の第一
〇作者 前漢(武帝の時代)の司馬遷
〇記述 紀伝体
 ・本紀 皇帝や王などに関する出来事を年毎に記述
 ・列伝 爵位を持った家臣である列侯の伝記
 ・他に「表」「書」「世家」などから成る
〇内容 (伝説上の五帝の一人である)黄帝から
    前漢の武帝までを叙述

<時代背景>
 ・戦国時代末〜前漢(前206〜前202年)
           (〜前漢の劉邦による統一)
〈概要=「蛇足」〉
〇前202年、悲劇的な英雄である項王(31歳)の
 孤独と誇り、そして最期を描く    (→要旨)


〈全体の構成→授業の展開〉(→要約→要旨)

【一】(起)
                    (導入)

於是項王乃欲東渡烏江。

 是に於いて項王乃ち東して烏江を渡らんと欲す。
 =そこで項王は東に進んで鳥江を渡ろうとした。

烏江亭長(木義)船待。

 烏江の亭長船を(木義)して待つ。
 =鳥江の亭長が船の準備をして待っていた。

謂項王曰、

 項王に謂ひて曰はく、
 =(亭長が)項王に言った。

「江東雖小、

 「江東小なりと雖も、
 =「江東は小さいとはいえども、

地方千里、衆数十万人。

 地は方千里、衆は数十万人あり。
 =土地は千里四方あり、民衆は数十万人である。

亦足王也。願大王急渡。

 亦王たるに足るなり。願はくは大王急ぎ渡らんこと  を。
 =また王となるのには十分な土地である。大王は急   いで渡ってください。

今独臣有船。漢軍至、無以渡。」

 今独り臣のみ船有り。漢軍至るも、以て渡ること無  からん。」と。
 =今はただ私だけが船を持っている。それ故に、漢   の軍勢がやってきても、鳥江を渡ることはないだ   ろう。」と。

項王笑曰、

 項王笑ひて曰はく、
 =項王は笑って言った。

「天之亡我、我何渡為。

 「天の我を亡ぼすに、我何ぞ渡ることを為さん。
 =「天が私を滅ぼそうとしているのに、どうして   (鳥江を)渡ることをしようか、いや渡りはし   ない。

且籍与江東子弟八千人、渡江而西、今無一人還。

 且つ籍江東の子弟八千人と、江を渡りて西せしも、  今一人の還るもの無し。
 =その上江東の若者たち八千人と、鳥江を渡って西   に進んだが、今は一人も帰る者がいない。

縦江東父兄憐而王我、我何面目見之。

 縦ひ江東の父兄憐みて我を王とすとも、我何の面目  ありてか之に見えん。
 =たとえ江東の父兄が哀れんで私を王としたとして   も、私は何の面目があって彼らと会うことができ   ようか、いやできない。

縦彼不言、籍独不愧於心乎。」

 縦ひ彼言はずとも、籍独り心に愧ぢざらんや」と。
 =たとえ彼らは口にしなくても、どうして心に恥じ   ずにいられようか、いやいられない。」と。

乃謂亭長曰、

 乃ち亭長に謂ひて曰はく、
 =そして亭長に言った。

「吾知公長者。

 「吾公の長者なるを知る。
 =「私はあなたが立派な人であることがわかった。

吾騎此馬五歳、所当無敵。

 吾此の馬に騎すること五歳、当たる所敵無し。
 =私はこの馬に乗るようになって五年になるが、向   かうところ敵がなかった。

嘗一日行千里。

 嘗て一日に行くこと千里なり。
 =かつて一日に千里の距離を走ることもあった。

不忍殺之、以賜公。」

 之を殺すに忍びず。以て公に賜はん。」と。
 =これを殺すのは忍びない。だからあなたに差し上   げよう。」と。

乃令騎皆下馬歩行、持短兵接戦。

 乃ち騎をして皆馬を下りて歩行せしめ、短兵を持し  て接戦す。
 =そこで(項王は)部下を皆馬から下ろして歩かせ   て、短兵(刀剣や手槍など)で白兵戦を挑んだ。

独項王所殺漢軍数百人。

 独り項王の殺す所の漢軍数百人なり。
 =項王一人で数百人もの漢の軍勢を殺した。

項王身亦被十余創。

 項王の身も亦十余創を被る。
 =項王も十箇所あまりの傷を負った。

顧見漢騎司馬呂馬童曰、

 顧みて漢の騎司馬呂馬童を見て曰はく、
 =振り返ると漢の騎兵隊長である呂馬童を見つけた   ので言った。

「若非吾故人乎。」

 「若は吾が故人に非ずや。」と。
 =「お前は私の昔馴染みではないか。」と。

馬童面之、指王翳曰、

 馬童之に面きて、王翳に指さして曰はく、
 =呂馬童は顔を背け、王翳に(項王を)指さし   て言った。

「此項王也。」

 「此れ項王なり。」と。
 =「こいつが項王だ。」と。

項王乃曰、

 項王乃ち曰はく、
 =項王はそこで言った。

「吾聞、『漢購我頭千金邑万戸。』

 「吾聞く、『漢我が頭を千金・邑万戸に購ふ』と。
 =「私は、『漢が私の首に千金と一万個の領地を賞   金として賭けて求めている』と聞いている。

吾為若徳。」

 吾若が為に徳せん。」と。
 =私はお前のために恩恵を施してやろう。」と。

乃自刎而死。

 乃ち自刎して死す。
 =そして自ら首を掻き切って死んだのです。

〈要約〉
略(→概要)

〈背景となる歴史〉

right★発問☆解説ノート★
(史書)2019年5月


〈作者〉
・紀元前145?〜前年86年?
・前漢(紀元前202〜後8年)
 劉邦が建国、都は長安、
 武帝(前156〜87年)の時が最盛期


















































































































































































(参考)




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