(先生の現代文授業ノート)志賀直哉「城の崎にて」
left★板書(+補足)★
「現代文授業ノート」(普通クラス)
   志賀直哉 「城の崎にて」

〈初出〉             (出典・作品)
大正6年(1917)「白樺」発表(作者34歳)
 →3年前の出来事(大正3年、31歳)を記す

〈作者〉明治16(1883)〜昭和46(1971)年
<白樺派>の小説家で、明治・大正・昭和と活躍
〇「小説の神様」と称せられる
 ・的確な描写・簡潔な文体・磨かれた文章
〇自己の世界を対象
 ・社会的視野に欠ける一面(がある?)
 ・身辺に題材を得る
  <私小説>
的な作品 (→心境小説)
    ↓
  リアリズムの奥行きを広げる
              (事実・心中を描写)
〇代表作 「暗夜行路」「和解」「小僧の神様」など

〈小説の枠組〉(設定…基本的な構図)
 作者自身である「自分」が山の手線の事故に遭い、
 城崎温泉に来て療養して、三週間の後に出て行く、
 その間の出来事と思考を記す。

〈概要〉(主題)
 山の手線の事故に遭った「自分」が、
 療養先で三つの小動物の死に偶然遭遇することで、
 自己の生と死を改めて見つめ直し
 その二つが偶然に支配されているものであり、また
 対極にあるものではなく、連続しているものである
 ことを感得した、と記す(短編小説)



right★発問☆解説ノート★
(小説)2012年11月(2019年12月改)


白樺派
 ・明治43年(1910)〜大正時代を代表
 ・人道主義・理想主義 (→個人・人間性を尊重)
 ・大正デモクラシーの考え方とも対応
  (自由・民主主義)
(文学史的な位置づけ)
 写実主義(明治20=1887〜)
  〇ありのまま ×空想
    ↓
 自然主義明治40=1907〜)
  〇自然科学  ×理想
  →真実暴露→醜悪・赤裸々な描写
    ↓↑
 反自然主義
  ・余裕派・高踏派
  ・耽美派
  ・白樺派(明治43〜)

・最初の段落と最後の段落との対応
 →その枠組みの中で、「自分」は
  何を見つめ、感じたか


1.死(後)の静かさ(への親しみ
2.死の前の(全力でもがく)苦しさ(への恐怖
3.生も死も偶然である生き物の寂しさ
    ↓
☆生と死を対極にあるものではなく、連続したものと
 してあることを静かに悟る
 =死と対極ではない生のありように気づき、
  存在の不確かさを感得する

left★板書(+補足)★
<小説の舞台設定>…5W1H
 (いつ)  3年前(大3、31歳)の秋10月頃
 (どこで) 療養に来た城崎温泉の宿の2階で
 (誰が)  作者自身である「自分」が
 (何を)  生き物の生と死について
 (どうした)考えていた
   ↑
 (なぜ)  死に直面する事故に遭ったから

right★発問☆解説ノート★
<小説の枠組→場面・人物の設定>
                ↑
                ↑
              <時代>
        ←←<場所>【人物】<場所>→→
              <時代>
                ↓
                ↓

left★板書(+補足)★
〈全体の構成…起承転結〉    (→要約→要旨)

【一】城崎に来た理由(死に直面した自分)
                    (導入)
【二】城崎での生活と心境(死について考える)
                   (展開@)
【三】三つの小動物の死に遭遇
 @蜂の死と自分(死後の静かさへの親しみ)
 A鼠の死と自分(死の前の苦しみへの恐怖)
 Bいもりの死と自分(生死の偶然性への寂しさ)
                   (展開A)
【四】城崎を去った後日談
                    (結び)

right★発問☆解説ノート★
〈各段落の粗筋〉














left★板書(+補足)★
〈授業の展開〉

【一】城崎に来た理由(死に直面した自分)
                    (導入)
山の手線の(電車)事故→怪我
 =<死に直面した自分>
   ↓  (脊椎カリエスになれば、致命傷だが)
   ↓   2・3年出なければ、心配いらない
   ↓
  後養生    (療養・保養のため城崎温泉に)

▼〈まとめ〉
山の手線の事故に遭うという、死に直面した自分は、
3〜5週間、療養するために城崎温泉にやって来た。

right★発問☆解説ノート★


・いきさつ(経緯)・背景・動機

・不意・偶然


☆致命傷になって死ぬという心配(はない)

・要心(用心)は肝心(肝腎)
 →3〜5週間の(滞在)予定




left★板書(+補足)★
【二】城崎での生活と心境(死について考える)
                   (展開@)
(稲の刈り入れの始まる頃→秋10月頃)
一人きりで療養
          ・気分は静まり、
           落ち着いたいい気持ち
          ・読書・執筆・散歩
           山や往来を眺める

(冷え冷えとした夕方)
寂しい秋の山峡を散歩
 <考えること>沈んだこと
    ↓   =事故の体験(死に直面した自分
 <寂しい>考え 〈しかし〉
 <静かないい気持ち>
    ↓
 死について考える
  〈具体的な内容〉
       ・一つ間違えば…(青い冷たい顔で)
        墓地の下に横たわる自分を想像
          ↓
       ・それは寂しいが、恐怖させない考え
       ・いつかはそうなる
       ・ロード・クライブ…
        自分もそのように感じたかった
       (自分は死ぬ筈だったのを助かった
    ↓〈しかし〉
 (妙に  )心は静まり
 (何かしら)<死に対する親しみ>
                 (が起こった)

▼〈まとめ〉
自分は死というものを考えた。しかし、恐怖はなく、
寂しい考えだったが、静かないい気持ちがあり、死に
対する親しみが起こっていた。

right★発問☆解説ノート★


・気候も良い
・頭ははっきりせず、物忘れが激しくなった
・話し相手はなく、「一人」が繰り返される
    ↓
☆小説が、自分一人だけの体験であることが示され、
 また、「静かさ」「寂しさ」を生み出す要因となる




死ぬかも知れなかった(自分の事を考える)



・死んだ自分について、また死とは如何なるものか
・自己の体験のリアルな描写・叙述(観察・思考)


☆@静かないい気持ち Aいつかはそうなる
 B死ぬ筈だったのを助かった(?)
・遠い先の事だったが、いつか知れない気がしてきた
・ロード・クライブ=18C、英国の政治家・軍人。
 インドの植民地化に活躍、九死に一生を得る出来事
・自分にはしなければならぬ仕事があるから、
 何かが自分を殺さなかったのだ
☆死を考えるのは寂しいが、静かないい気持ちがある
 死に対する親しみが起こった







left★板書(+補足)★
【三】三つの小動物の死に遭遇
                   (展開A)
@<蜂の死と自分(死後の静かさへの親しみ)>

(宿の2階の部屋から)蜂をよく眺める

(ある朝)
死んだ蜂を発見
    ↓
 生と死の対比(相違)
  ・忙しく立ち働く(他の蜂)
     いかにも生きているもの
      ↓↑(対照的)
  ・全く動かず(転がっている死骸)
     いかにも死んだもの

(三日ほど〜日暮れ)
冷たい瓦に一つ残った死骸
    ↓
 いかにも<静かな感じで>
     <寂しかった>

(雨が降った翌朝)
雨に流され、なくなった死骸
    ↓    (足は縮めたまま…どこかで
    ↓     じっとしているだろう→想像
  全く動くことがなくなったのだから
  いかにも静かだ
    ↓      (「いかにも」…繰り返し
  その(死後の)
 <静かさに親しみ>        (を感じた)
    ↓
    ↓      (『范の犯罪』)
その(死んだ者の)静かさを小説で書きたい
             (と思ったことがある)

▼〈まとめ〉
自分の死に対する思いは、実際に蜂の死を見た場合も
同様で、いかにも静かで寂しかったが、その静かさに
親しみを感じた


right★発問☆解説ノート★


・単なる観察…死後に対して

・一人きりで療養
 →縁の椅子・欄干から

・玄関の屋根で
・結果としての死の描写
 →鼠・いもりの場合と異なる
 →違いを認識
・死骸に冷淡、全く拘泥せず
・動と不動の対比




・(全く動かない)
 死んだものに静かさを見出だす
 →静かさが寂しさを生み出す
 →寂しかった。しかし、いかにも静かだった



・一つ間違えば、墓地の下で死骸となった
 自分の姿と重ねる


・観察して、実感した

・死後の静寂
         (1913)
・『范の犯罪』=大正2年(城崎療養の1年前)発表
死んだ者の静かさに共鳴していることを示す
         (エピソード挿入の理由・効果)
前段に記した死に対する思いが、実際に見た蜂の死
 に重ねられて、再確認されている

  全く動かず→死後の静かさ→寂しさ
          ↓
 (恐怖はなし・いい気持ち)→親しみ

left★板書(+補足)★
A<鼠の死と自分(死の前の苦しみへの恐怖)>

(ある午前)
小川の畔を散歩(温泉街)
    ↓
逃げ惑う鼠を目撃(遭遇)
  一生懸命(に逃げようとする)
  =どうにかして助かろう
    ↓
 〈リアルな描写〉
          動作の表情(動く様子)に
          それが一生懸命であることが…
         (助かろうとする動作)
            ↓↑
          あひるは頓狂な顔…泳いで
    ↓
鼠の最期を見る気がしない
   ↓
  死の運命を担いながら
  全力を尽くして逃げ回る
        ↓  (死を目前に全力であがく)
      あれが本当なのだ
      寂しい嫌な気持ち
    ↓
  <自分が願う静かさ>の前に
  <死の苦しみのあることは恐ろしい>
    ↓
自分の行動を再考    (自分が死に直面したら)
    ↓
 <鼠と同じ努力をする>    (のではないか)
    ↓
 〈リアルで具体的な叙述〉
 @自分の怪我の場合と比較  (事故の事を思う)
          出来るだけの事をしようとした
          助かろうと思い、努力した
      ↓↑(矛盾?)
   〈しかし〉     (致命的と言われても)
   それほど死の恐怖には襲われず
       (なお助かろうと鼠と変わらぬ努力
 Aそれが、今(まさに)来たら
   あまり変わらない自分であろう (と思うと)
    ↓
    ↓     (指示語も多く、凄い悪文!)
    ↓
  ○<「あるがまま」で……と思った>
    (自然なままでいい)(仕方のないことだ)
      ↑↑
      ↑↑
   ・気分で願う所実際にすぐは影響せず
   (願う静かさ)(実際の死)
   =両方が本当で
   (気分で願う所が、実際に)
          影響した場合は、 それでよく
          影響しない場合も、それでいい
            (それは仕方のないこと)

▼〈まとめ〉
温泉街を散歩の際、一生懸命に逃げ惑う鼠を目撃し、
自分が願う静かな死の前に苦しみがあることに恐怖を
覚えて、自分も鼠と同じ努力をするだろうが、あるが
ままであればいいとも思う

right★発問☆解説ノート★
・観察…死の直前に対して


・円山川に流れ込む小川

・川に投げ込まれる
  首に魚串(7寸=21p)・投げられる石
 →石垣へ這い上がろう





・生と死に直面したものの対比
・頓狂=何か解らず調子が外れた様子

★死んでいく鼠の苦しみに恐怖を感じ、
 事故に遭った自分にも重ね合わせた
・最期=生命の終わり・死




☆心境の変化(死に対する新たな見解)
      (死の直前の動騒・苦しみは恐ろしい
・動騒=暴れ騒ぎまわる、必死に逃げ惑う

今(後)自分にあの鼠のような事が起こったら…
・「自分」の繰り返し→自己確認
・(死に直面しながら)全力で助かろうと努力する
 →死の前の苦しみがある


・必死に生き延びる手立てを考えた (生への執着
 →致命的でないと知った時、興奮から快活になった
本能と意識とは違う?

・死の静かさに親しみ(?)

☆あの鼠のような事→死に直面して、苦しむような事
★怪我をした時の自分とor鼠と(変わらないだろう)
 →(それほど)死の恐怖には襲われないだろうが
  助かろうと、努力するだろう

<実際には思い通りにはなるものではない>から、
 鼠と同じく全力で助かろうとするかも知れないが、
 あるがまま(自然なまま)であればいいと思う

☆「死の静かさ」を願っても、「実際の死」では直ぐ
 そうなるとは限らない  (願望と現実は異なる)
☆「静かな死を願う自分」に「実際に死ぬような事」
 が「本当」に起こる
<静かな死>→影響→→→→<願い通りの静かな死>
< を願う>→影響しない→<直前の動騒・苦しみ>








left★板書(+補足)★
B<いもりの死と自分(生死の偶然性への寂しさ)>

(ある夕方)
小川を散歩
       (物がすべて青白く、空気も冷え冷え
        …物静かでそわそわ)
    ↓
  風もないのにヒラヒラする桑の葉
    ↓           (空気の流れ?)
  風が吹くと、動かなくなった桑の葉
          (原因は知れた?
           何かで…知っていた?)
                (→凄い悪文!)

いもりを発見    (何気なく…流れの向こう側)
    ↓     (嫌いでもない)
  石を投げてやった
          (驚かして水へ入れよう)
          (狙わなかった…可哀そうに)

死んだいもりへの思い
  死の瞬間のリアルな描写
        ↓
       (とんだことをした)
       (その気がないのに殺してしまった)
        ↓          (加害者)
     妙に嫌な気     (嫌悪感・不快感)
      ↓
 いかにも<偶然>な死
 <全く不意な死>
    ↓
  可哀想に思い
 <生き物の寂しさ>を一緒に感じた
          (自分は偶然に死ななかった)
          (いもりは偶然に死んだ)
    ↓
温泉宿への帰り道
                (寂しい気持ち)
  小動物の死と自分の生
         ↓
        喜びは湧きあがらず
         ↑
 <生と死は両極ではなく>
 <それほどに差はない>(気がする)
      (視覚…足の感覚も…いかにも不確か)
      (頭だけが勝手に働く)
         ↓
      (それが一層そういう気分に…誘った)

▼〈まとめ〉
小川を散歩中にいもりを発見して、その気がないのに
石を投げて殺してしまった。その可哀想な不意の死で
生と死が偶然性に左右される生き物の寂しさを感じ、
生と死は両極ではなく、それほどに差はないと思う。

right★発問☆解説ノート★
・自分が関与…死の瞬間に対して



・ひっそりとして、何かに導かれて行くような心境

次の場面の出来事を暗示
☆ヒラヒラは生き物の生と死を暗に表しているのか?
 (表と裏)       (…多少怖い、好奇心)
☆風が吹くと、動かなくなった桑の葉は
 作者の行動で、死に至ったいもりを象徴するのか?
※省略が極端→意味が取りにくい弊害→意味は記さず
 →読者から疑問→後日、説明

偶然性を強調        (←自分が加害者)





・目の当たりに(死後・直前ではない)
  【死の直前】→→【死の瞬間】→→【死後】
    鼠      いもり     蜂
※表現上の特色
 ・「自分」の多用
 ・「偶然」の強調
    ↓
  ・罪悪感→偶然性
  ・加害者→被害者
   →視点の転換=生き物の寂しさへの共感を表す

         (支配) (存在の不確かさ)
<生と死が偶然性に左右される生き物の寂しさ>
 (同じ生き物として)一緒に感じた




・死ななかった自分は今…



・偶然性に支配された生と死は、境界が不確か




☆「頭だけが勝手に働く」ことが「生と死は両極では
 なくそれほど差はない」という気分にさせていった
               (→これも悪文!)





left★板書(+補足)★
【四】城崎を去った後日談
                    (結び)
(3週間の後)
              (冒頭との対応関係)
城崎を去る
    ↓
  3年以上…脊椎カリエスになる
       だけは助かった
        ↓
      (実際の出来事を3年以上経って執筆)

▼〈まとめ〉
療養して3週間で城崎温泉を去ったが、死に至る脊椎
カリエスには3年以上ならずに済んだ。(その後に、
「自分」はこの小説を執筆した)

right★発問☆解説ノート★
・3年以上経た後日談





・死に至る「脊椎カリエス」にならずに済んだことを
 強調               (→安堵感)








left★板書(+補足)★
〈補足〉
○主人公の設定
 事故の療養で一人で城崎温泉に来る
  →従って、「私」は孤独な状況
○状況の設定
 療養先で3つの小動物の死に遭遇
 →自分の生と死について思いを巡らす
○時間の設定(構成)
 ・療養先での3週間に遭遇した出来事を記す
 ・漠然とした時間(朝・夕方・ある午前…)
 ・事故・療養から3年以上経ってから回想

○3つの小動物の死への思い
 ・蜂………静かさ(への親しみ)・寂しさ
 ・鼠………寂しい嫌な気持ち・苦しみへの恐ろしさ
 ・いもり…妙に嫌な気・可哀想・生き物の寂しさ
○「静かさ」「寂しさ」に表された心境
 生き物の死に対する、穏やか・静か・安らかな心境
○表現・描写・文体の特徴  (×一部、参考資料)
 ・リアルな描写(細かな観察)
 ・擬態語・擬音語
 ・指示語の多用と曖昧ば表現(→多い悪文)
 ・簡潔で的確(?)
 ・風景から触発される思考
 ・心理状態を表す言葉や「自分」の多用
  →気分を絶対化し、漸層的に自分の内面を把握

right★発問☆解説ノート★

〈作者年譜〉明治年(19)〜昭和(19)
明治年 
(19)
        ↓
作風は





















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