摂津峡・花の里温泉   (茨木IC→R171)

「山水館」渓谷露天風呂

 高槻から、北西に車で15分ほど行くと、摂津峡がある。山を越えれば京都府亀岡市という、大阪府北東部にある小さな温泉地だ。春は桜で有名な摂津峡桜公園の入口付近である。傍らには清流「芥川」が流れている。
 平安時代に書かれた『伊勢物語』の中で、「昔男」と共に京都から逃れて来た「女」が鬼に食われたという、例の川である。


 『伊勢』と言えば、淀川を挟んだ対岸の一帯はかつて「交野ヶ原」と呼ばれ、「渚院」があったと言われる。現在の京阪御殿山駅(枚方市渚元町)辺りで、隣国・百済からの渡来人も居住する、風光明媚な地であったらしい。
 東宮争いに敗れた惟喬親王(844〜897年)は、『伊勢』主人公とされる業平を伴って、この別荘を幾度か訪れたという。狩りをし酒宴を催しては、和歌を詠んだりして、憂さを晴らしたのだろう。
 「世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」
 その時、在原業平が詠んだ有名な歌で、桜の美しさを逆説的に讃えたものだ。歌碑があるようで、また一度訪れたい。


 再び、芥川に話を戻そう。近くには、素戔嗚尊(スサノオノミコト)神社があり、継体天皇陵と言われる今城塚と、1.5km南西に同じく太田茶臼山古墳もある。更に下流には筑紫津もある。「スサノオ」「古墳」などや、「キ」「塚」「筑紫」という地名が現存することからも窺えるように、古代史の宝庫のような所である。


 「難波の海 難波の海 漕ぎもて上る 小舟大船 筑紫津までに 今少いのぼれ 山崎までに」
 平安時代に詠われた「難波の海」という古謡・催馬楽である。「淀川河口の難波の海から、淀川を漕ぎながら遡上する小舟や大きな船がある、ときに筑紫津にいたり、今少し漕ぎ上れば、やがて山崎の津にいたるであろう」の意になる。
 「難波の海」とは上町台地東側の沼沢「河内湖」のことだ。問題は、歌意からは山崎津の少し下流と考えられるのに、九州の地名を冠する「筑紫津」である。継体大王の重要な河港として、芥川が淀川に合流する付近の潟地にあったに違いない。芥川の右岸に筑紫津神社と継体大王の今城塚が存在する事実や、埴輪に見られる「船絵」の分析などから、そう考えるのが自然である。
 『継体紀』『土佐日記』の帆船記事からも、古墳時代前期において外洋帆船が淀川を遡って枚方や山崎の地まで到着していたことは、十分考えられる。様々な地域の物資の搬入のための河港は、必須の施設であったのだろう。 

摂津峡・花の里温泉へのドライブ
▼ R1-枚方大橋-R170(外環状線)-高槻八丁畷-R171を西-
▼ (高槻)今城-右折、芥川沿い府道を北(亀岡方面)で
京阪神より所要1時間。
 (名神高速)茨木ICからは、R171を北東-高槻今城-芥川沿い府道-摂津峡公園で10分。鉄道では、JR高槻駅からバスで15分。

 「枚方ゆ 笛吹き上る 近江のや 毛野の若子い 笛吹き上る」
 『継体紀』24年、毛野臣の亡骸が対馬から帰還した時、彼の妻が残した歌である。淀川南岸の枚方(平潟)にも外洋船を受け入れるだけの河津があったのだ。それは樟葉宮を近くにのぞむものでもあったのだろう。

 今城塚と筑紫津からは、『継体紀』21年条の「磐井の乱」や「百済救援」のことが連想されるが、その時のことなのである。近江毛野臣の6万が派遣されたが、大規模な軍団が仕立てられたのは間違いない。その部隊は、この筑紫津で編成され、整然と船出した可能性が高い。遣唐使船ほどでないかもしれないが、準構造船ではなく、70〜80人程度を舟運できる規模のものであったと考えるしかない。

 古代において淀川は大動脈であり、継体が政権の軸足を置いて、樟葉宮(枚方)・筒城宮(京田辺)・弟國宮(長岡)を順次営んだのも十分に理解できる。
 古代への妄想はこれくらいにして、湯めぐりに戻ろう。


 摂津峡温泉は、このような芥川に沿った道の突き当たりにある。更に奥に、車が対向できないような道を行くと、木々が鬱蒼として薄暗い所に出る。そこもまた温泉が湧出している。2軒の温泉宿と1軒の日帰り施設とがあり、日帰り入浴はいずれもOKである。高層ビルが林立する都心から、わずか1時間ほどでこんな所に来ることができるとは、驚きである。

 泉質は、含ラドン-アルカリ性単純温泉・ナトリウム-炭酸水素塩温泉(純重曹泉)・弱放射能冷鉱泉など21-42℃、無色(微白濁色)・強ヌルヌル感のある「美人の湯」で、温泉は自噴している。一般的適応症の他に、美肌・神経症・不眠症などにも効能がある。
 通ってきた府道を、そのまま北の亀岡方面に行けば、樫田温泉や湯の花温泉があるが、それはまた次の機会ということにしよう。

温泉施設 花の里温泉 山水館 湯元摂津峡温泉 かじか荘 祥風苑 (美人湯)
花の里温泉 山水館

渓流沿いの小道(山水館の入口)
【所在】 高槻市原3-2-2
【電話】 0726-87-4567
【時間】 13:00-19:00。但し、15時に男女入れ替え。例えば14時半に行けば30分間しか利用できない。
【料金】 【入浴】\1,300。昼食セットプラン「花の里弁当」¥2,800・キジ鍋・ボタン鍋・会席\6,000などあり。【宿泊】\15,000-。
【泉質】 含ラドン-アルカリ性単純温泉28℃・ナトリウム-炭酸水素塩温泉(純重曹泉)42℃,pH9.4。2種の自家源泉が自噴し、湧出量600d/日。重曹泉は規格の2.5倍で、白い肌を作る「美人の湯」である。湯は加温・循環で、無色・無味無臭。上から源泉が流れ込む露天風呂はヌルヌル感がある。冷たい源泉と熱い湯と交互に入れば爽快である。
【効能】 疲労回復・神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・冷え性・痔疾・慢性消化器病などの一般的適応症。飲用では、二日酔い・胃酸過多・胃もたれ・便秘・コーヒーなどに。

秘湯の雰囲気(右端の囲いは女性露天)(2003.06)
【施設】 摂津峡の最も奥の渓流沿いにある風情ある宿(33室)。車の対向が無理なほど道は狭い。洋風ガラス張り内湯タイル風呂・8mもの自然の巨石を利用した大石見風呂・気泡風呂・野趣ある渓谷沿い露天岩風呂(天然奇岩の眺め・黒川温泉と似た雰囲気)・28℃源泉浴槽・打たせ湯がある。サウナはなし。P15台(下の口駐車場で30台。旅館駐車場までは道が狭く、通行証が本当は必要)。
【評価】 ★★★★★(2003.04)十数年前まで近畿では数少ない混浴であったという露天風呂は、屏風岩・奇岩も眺められて野趣あふれ、実に素晴らしい。テレビで放映されたり、「日刊スポーツ」で2001年11月露天風呂選手権大阪府No1として紹介されたりしたこともある。摂津峡入口に佇む「かじか荘」から更に奥に行った、木々が鬱蒼としてたいへんな所にあるが、数回は訪れてしまった。送迎バスがJR高槻駅北口より運行している(11:00,13:00,16:00)。
湯元 摂津峡温泉 かじか荘

【所在】 高槻市塚脇5
【電話】 072-688-6426
【時間】 12:00-19:00(90分間以内、但し、実際はそれ以上も可)。
【料金】 【入浴】\1,200。昼食セットプラン「とくとくセット」(入浴+バスタオル+弁当+コーヒー、通常\3,600を割引、但し日祝日を除く)¥3,000・懐石・はも鍋・すっぽん鍋\8,000などがある。【宿泊】\14,000-。
【泉質】 (アルカリ性低張性)単純弱放射能冷鉱泉21℃,pH9.4。自家源泉で、主成分は、ナトリウム・炭酸水素塩・ラドンなど。湯は、加温・一部掛け流しで、無色・無味無臭。重曹泉のようなヌルヌル感があり、泉源に近い1階の川沿い露天風呂は特に濃厚である。
【効能】 疲労回復などの一般的適応症の他に、慢性消化器病・高血圧症・動脈硬化症・胆石症・皮膚病など。
【施設】 摂津峡桜公園前の橋の畔にある落ち着いた風情の宿(18室)。洋風ガラス張り内湯タイル風呂(清流の眺め)・打たせ湯・露天岩風呂・釜風呂風の蒸し風呂・眺めも良い川岸露天大岩風呂がある。サウナなし。P30台。
【評価】 ★★★★☆(2003.04)蒸し風呂が、何と言っても一番印象的である。水をかけて熱く熱した石の上に筵を敷き、その上に浴衣を着て寝ることになるが、サウナ以上の発汗作用があり、冷たい陶器の枕も心地よい。またフロントの対応も良い。シャトルバスは、平日のみJR高槻駅北口より運行している。

2階の露天風呂(桜が美しい)

1階の川沿い露天風呂(鶴か都鳥かが眺められる)
祥風苑 (美人湯)

施設玄関
【所在】 高槻市塚脇4-20
【電話】 072-689-6700
【時間】 10:00-24:00
【料金】 【入浴】\800、土日祝日は\900。【宿泊】なし。
【泉質】 (アルカリ性)ナトリウム-炭酸水素塩温泉42℃,pH9.1。自家源泉(規格の2.5倍の濃度の療養泉)が自噴し、湯量豊富。主成分は、ナトリウム336mg・炭酸水素642mg/kgで、無色。近畿で強ヌルヌル感が一番の「美人の湯」である。

屋上露天風呂
【効能】 疲労回復などの一般的適応症の他に、アトピーなど。
【施設】 湯が新たに湧出した、「山水館」の併設する日帰り入浴施設で、橋の畔の「かじか荘」の手前にある。内湯(タイル風呂・電気風呂・強力ジェット風呂・水風呂・サウナ)・露天岩風呂・屋上露天風呂(岩風呂・源泉壺湯・板囲いの隙間より山々や田畑が眺望)などがある。P150台。
【評価】 ★★★☆☆(2003.07)スーパー銭湯だが、天橋立温泉や曽爾高原温泉などと同じくらい、強ヌルヌル感がすごい。
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