left★板書★
「現代文授業ノート」(普通クラス)
阿部勤也「西洋中世と愛の人格/世間と社会」
〈作品=「西洋中世と愛の人格」〉
〇西洋と日本の「人間関係の違い」に焦点を当て、
「世間とは何か」を解説
〈概要〉
〇社会論(世間論)
〇個人によって成立し構造を変えられる社会と違い、
世間は個人の行動の審判者でありその外に存在して
いる。(→要旨)
〈全体の構成〉 (→要約→要旨)
【一】その中である位置を持つべき世間
(序論…導入・話題提示)
〇日本人にとって世間とは
仕事・学校・趣味・出身などで関わる
互いに顔見知りの人間関係のこと
↓
(自分がその中で生きていくべき集団)
↓
その中である位置を持つ必要がある
〇日本人の交際範囲が世間を出ることは希
→外国における事故の報道のさいに日本人が含まれ
ているか否かが常に問題となるのも、そのため
【二】日本人読者を前提とする日本の新聞
(序論A)
〇世間が最も拡大されるのが日本人という言葉
→具体例(外国における事故の報道)
【三】個人の行動の審判者である世間
(本論)
〇お悔やみの電報・見舞い・葬式・贈り物
↓
世間と個人を結ぶ重要な絆
↓
世間とは、贈り物を媒介として結ばれた
互いに顔見知りの関係にある集団
↓つまり
〇世間は、個人の行動の審判者となる
準拠すべき集団
↓
一人前の人間として、認められ、顔向けできる
ように生きていく必要
【四】社会と異なり個人の外に存在する世間
(結論)
〇社会=個人によって成り立ち、
その構造も変えてゆくことができる
↓↑(二項対立)
〇世間=個人のプライヴァシーよりも優先され
個人の外に存在
〈150字要約〉
世間とは、日本人にとって仕事・学校・趣味・出身
などで関わる互いに顔見知りの人間関係のことで、
自分がその中で生きていくべき集団を意味する。
従って、世間とは、
個人の行動の審判者となる準拠すべき集団であり、
一人前の人間として認められ、顔向けできて
生きていくには、
世間の中である位置を持つ必要があるのだ。
個人によって成り立ちその構造も変えてゆくことが
できる社会とは違い、世間は個人のプライヴァシー
よりも優先され個人の外に存在して
いるものなのである。
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right★補足・発問★
(評論)2017年10月
〈作者〉
・昭和10年(1935)〜平成18年(2006)
・人間の息遣いを探りつつ、新しい社会史を目指そう
とする歴史学者
→(第三意味段落)
日本人は、個人の行動の審判者であり準拠集団でも
ある世間に認められないと、生きていけないから。
↑
個人は、世間によって認められ世間に顔向けできる
ようになったとき、一人前として扱われる。
→日本人という世間の枠でしか問題を捉えないため
→自分の世間の関係者がいるか否か
→葬式は世間に住む人にとって最も大きな行事の一つ
日常的に贈り物(お中元・お歳暮)を交換
→世間は、個人に規範意識を強制し、束縛力を持つ
・準拠=ある事を拠り所としてそれに従うこと
→個人の意思や力を超えたもの(無関係な存在)
↓
個人によって変えることができない
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