left★原文・現代語訳★
〈授業の展開〉
子曰、「学而時習之、不亦説乎。
(子曰く、「学びて時に之を習ふ、
亦(また)説(よろこ)ばしからずや。)
=先生が言うには、「学問をして(その学んだことを)
機会のある度に繰り返し復習する。(すると理解が
深まって身についてくる。)
(それは)何と嬉しいことではないか。
有朋自遠方来、不亦楽乎。
(朋(とも)有り遠方より来る、
亦楽しからずや。)
=(学問に励んでいると、自分と同じく学問に志す)
友人が、遠方からも訪ねて来るようになる。
(そして学問について語り合い、互いを高め合う)
(それは)何と楽しいことではないか。
人不知而不慍、不亦君子乎」
(学而第一−1)
(人知らずして慍(いきどほ)らず、
亦君子ならずや」と。)
=(しかし、世の中や人々は様々であって、)
自分のことを他人が認めてくれない事があっても、
(学問は自分のためにするものだから)
心に不平不満を持ったりはしない。
(それは)何と立派な人物ではないか」と。
▼〈鑑賞〉(感想・補足…まとめ)
@学問の喜び、A友と高め合う喜び、B君子への道、
という学問の3つの過程(段階)を述べた章である。
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right★補足・文法★
・子=先生→孔子を指す。男子に対する敬称。
・学=(古典を)学問する→詩(詩経)・書(書経)
などの古典を読み、礼(儀式・行事や日常生活
での礼儀作法)・楽(音楽)を学ぶ。
・習=繰り返し復習・練習(して習熟)する。
・不亦…乎(また…ずや)=何と…ではないか(詠嘆)
→「亦」は「…もまた」の意ではない
・説=心の中に喜びが湧いてくる。
音は「エツ」で、「悦」と同じ。

ヘンデル「協奏曲ト短調」
★人が自分の学識や人格を認めてくれなくても
・慍=心に不満を持つ、腹を立てる
(いきどおる・うらむ・うらむ)
・君子=学識・人格に優れた人、徳の高い立派な人。
・学而=『論語』の第1番目の編のことで、
「学而第一」とも言われる。
編の名称は文章の最初の2文字をとっている
※参考…『論語』からとった名称・人名がある。
「学習」「時習館」「有朋堂」「三省堂」(名称)
「伊藤博文」「山県有朋」「広田弘毅」…(人名)
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