left★板書(+補足)★
〈授業の展開〉
【一】(起)帰国途上の船内で(手記を書く豊太郎)
(小説の枠組と執筆動機)
▼<セイゴン港に停泊する船内にて>
・現在=ドイツ〜帰国途上のセイゴン港船内にて
(明治22年2月、27歳)
〇石炭をば早や積み果てつ
(石炭を早くも積み終わった)
=<手記を書く準備ができた>
・電灯の光が晴れがましいのも虚しいものだ
←(対比)→孤独な様・沈んだ心
・船に残るのは自分一人 (手記を書こう)
▼<書けない日記と過去の回想@>
〇五年前…洋行の官命を蒙りこのセイゴンの港まで…
・5年前、西洋留学という官庁の命令を受け
このサイゴンの港まで来た(明17.22歳)
・見聞する全てが新鮮で、筆に任せて紀行文を書き
当時の新聞に掲載された
↓↑(現在との対比)
〇こたびは途に上りしとき、日記ものせむと…
・今回は帰国の旅に出た時、日記を書こうと思って
買った<冊子も、まだ白紙のまま>であるのは
↑ (明22.27歳)
・ドイツで……(無関心)無感動な性格を
身に付けてしまったからだろうか
あらず、これには別に故あり
(そうではない…別に理由がある)
▼<書けない日記と過去の回想A>
〇げに東に還る今(こたび)の我は、
西に航せし昔(五年前)の我ならず
(実際、東に帰る今の私は、
西に向かって航海した昔の私ではなく)
・学問こそやはり心に満足できない所も多い
が、浮き世の辛さも知ったし、
・人の心が頼みにならないことは言うまでもなく、
自分と自分の心さえ変わり易く頼み難いことも
悟ることができた
・昨日の「是」は今日の「非」となるような
瞬間に変わる感じ方や印象を、
書き写して誰に見せることができようか。
↓
・これが<日記の書けない>理由であるか
あらず、これには別に故あり
〇嗚呼、ブリンヂイシイの港を出でゝより、
早や二十日あまり… (明22、2月)
(ああ、南イタリアのブリンヂイシイ港を出て
以来このセイゴンまではや20日余り経った)
・普通なら初対面の乗客とも交際して、旅の
憂さを慰め合うのが船旅の習慣であるのに
・ちょっとした病気を言い訳にして、室内にばかり
籠っていて、(大臣と)同行の人々にも話をする
ことが少ないのは
↑
<<人知らぬ恨み>>に頭のみ悩ましたればなり
(誰も知らない悔恨に頭を悩まして
ばかりいたからである)
・この恨みは
(初め)ひとはけの雲のように私の心を掠めて、
スイスの山の景色やイタリアの古い遺跡
を見ても、私の心に留めさせず
(中頃)厭世的になり自分をはかなく思い、毎日
9回も腸が捩じれるほどの激しい惨痛を
(苦悩を)私に負わせ
(今は)心の奥に凝り固まって、一点の翳だけと
なったが、書を読み物を見る毎に、鏡に
映る姿や声に応える木霊のように、限り
ない懐旧の情を呼び起して、幾度となく
私の心を苦しめる
↓
▼<手記の執筆動機> (手記の目的)
〇嗚呼、いかにしてか<この恨みを銷せむ>
(ああ、いかにしてこの悔恨を消そうか)
・もし他の恨みだったならば、漢詩や和歌に
詠んだ後は心地も清々しくなるだろうが、
・これだけは余りに深く心に彫り付けられたので、
書いても清々しくなることはないだろうと思うが
・今宵は誰もいず、ボーイが来て電気のスイ
ッチを切るには時間がまだあるようなので
↓
いで、<<その概略を文に>>綴りて見む
(さあ、その−悔恨を抱くに至ったベルリン
体験の−概略を手記に綴ってみよう)
▼〈まとめ〉
5年前に官命を受けて留学したが、帰路は、その体験
による「人知らぬ恨み」のために頭を悩ませていた。
その恨みを消そうと試み、セイゴン港に停泊中の船内
で概略を手記に書き始めた。
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right★発問☆解説ノート★
※冒頭は、擬古文の口語訳も重視
・明治17年(1884,22歳)〜22年(27歳)ドイツ留学
作者は〜明治21年(26歳)
・…果て(…し終わる)つ(完了=…した)
☆(明日)出航する準備は整った (←石炭の補給)
・隠喩(暗喩←→直喩・明喩)
@帰国途上の作者はエリスが自分を追って乗船した事
を知っていた A人知らぬ恨みに頭を悩ましていた
(ホーチミン市)
★留学は5年間、現在はサイゴン港に寄港と分かる
→作中と実際の事跡とが微妙に重なる
(鴎外も明17.9月、明21.8月寄港)
☆明るい前途を信じ、希望に満ちた意気揚々たる心境
・さらぬも=たいしたことのない、そうでなくても
★往路(5年前)では紀行文がいくらでも書けたが、
復路(現在)では日記が全く書けない。
ドイツで無感動の習性を身に付けてしまったからで
あるが、他に大きな理由がある。
・憂き節=辛い・悲しいこと
★復路(現在)で日記が全く書けないのは、
自分自身も信じられなくなったからでもあるが、
他に大きな理由がある。
・天方大臣に同行した帰国ルートは
ベルリン−スイス−イタリア−ブリンヂイシイ(伊)
−スエズ運河−……−セイゴン(ベトナム)−横浜
(鴎外は別コース)
★室内に籠ってばかりなのは(日記が書けないのも)、
「人知らぬ恨み」(悔恨)に頭を悩ましていて、
思い出す度に辛くなったからである
☆「人知らぬ恨み」の対象
@官長に中傷した同郷の人や留学生仲間
A免官に追いやった官長
B豊太郎が昏睡状態の時に、事を処理した相沢
C優柔不断で主体性のなかった弱い自分自身
D悲劇的な結末へと導いた運命的なもの
→作品末尾の「一点の彼を憎む心」に照応する
☆深層意識下に固まった翳のようになった「恨み」で
あるが、折に触れて表層意識上に湧出する心的外傷
(トラウマ)になっている、心理構造
★<日記が書けない理由>は
@ドイツで無感動の習性が身に付いてしまったこと
A自分自身も信じられなくなったこと
でもあるが、最大の理由は
B「人知らぬ恨み」(悔恨)に頭を悩ましてばかり
いて、思い出す度に辛くなったことである
★心の晴れようはないかも知れないが、
<この恨みを消そうとして手記を記す>のである
→留学生活をしていた自分と向き合い、変遷を整理
して全貌を回想しようとしたが、「恨み」を記す
ことがベルリン体験の検証となるのである
☆「人知らぬ恨み」に悩まされていることが
日記の書けない理由で、手記の執筆動機でもある。
従って、それが何かを検証して解明することは
「舞姫」の主題を追究することでなる
→悩みは文章化すれば、一つの解決手段ともなる
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