(先生の現代文授業ノート)中原中也「一つのメルヘン」
left★板書(+補足)★
「現代文授業ノート」(普通クラス)
   中原中也「一つのメルヘン」

〈出典〉
 ・初出 昭和11年(1936)「文芸汎論」
     作者29歳
 ・後に 昭和12年『在りし日の歌』を残して早世
                  (30歳)

〈作者〉
 ・明治40年(1907)〜昭和12年(1937)
 ・ダダイズム・フランス象徴詩の影響を受けた
  独自の暗喩表現・音楽性(リズム感)に特徴
 ・詩集 第一詩集『山羊の歌』(1934年、27歳
     第二詩集『在りし日の歌』(1938年)
         (中也没後、小林秀雄が刊行)
 ・弟・父・恋人・親友を次々と失い、愛児もわずか
  2歳で亡くなった、喪失感(哀しみ)・退廃感が   作風に表れる  (虚無的な寂寥感)

〈表現〉…詩形の特徴
 ・口語自由詩(一部、七五調定型の響き?)
     →各連の最終行以外は、連用中止法や文語
     →口語の要素が重視されず
 ・四四三三行、四連で成り立つソネット形式
          (ヨーロッパの伝統的な詩形)
 ・同じような言い回しの繰り返し(リフレイン)表現
  →各連の最終行
   (歌うようなリズム・音への繊細さ・音楽的)
  →オノマトペ「さらさらと」
        (音楽性・リズム→聴覚的に表現)
 ・文末表現の特徴=「ゐるので(ありま)した」
  →物語風の言い回し、メルヘンの題に相応しい

〈概要→主題〉
 ・<虚無的な寂寥感に満ちる作者自身の心象風景>
  を、音楽性や暗示性によって<象徴的に表現>
  した、四連構成の詩
       (具体的な情景描写が目的ではない)

right★発問☆解説ノート★
(詩)2015年10月(2020年10月改)

・メルヘン=童話・お伽話・夢物語
     →<空想的物語であることを指示>

愛児(2歳)が死亡、悲嘆のあまり神経衰弱












・世の中・人間に背を向け、何の価値も見出さない?










・サ行の効果的な使用
 →それに・さればこそ・さて・それで・さらさらと
        (鉱物質の乾いた珪石のイメージ)








left★板書(+補足)★
〈全体の構成・展開〉(←時間・場面・情景・心情)
                →起承転結の構成

【第一連】<季節・場所・状況の設定>
小石ばかりの河原に


  (作者の虚無的な寂寥感)

【第二連】<状況の説明付加>
陽が珪石の粉末のように


  (癒された訳ではない内面?)

【第三連】<状況の急な変化>
一つの蝶がとまり

  (心を癒すきっかけとなる良い出来事)

【第四連】<物語の完結>
水は…さらさらと流れていた……

  (一時的には癒された虚無的な寂寥感)


right★発問☆解説ノート★
〈教材〉
    一つのメルヘン         中原中也

【第一連】
秋の夜は、はるかの彼方に、
小石ばかりの、河原があって、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射してゐるのでありました。

【第二連】
陽といっても、まるで珪石か何かのやうで、
非常な個体の粉末のやうで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもゐるのでした。

【第三連】
さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでゐてくっきりとした
影を落としてゐるのでした。

【第四連】
やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄流れてもゐなかった川床に、水は
さらさらとさらさらと流れてゐるのでありました……
              (『在りし日の歌』)

left★板書(+補足)★
〈授業の展開〉

【第一連】<季節・場所・状況の設定>

秋の夜、はるか彼方の
  <小石ばかりの河原に>
   ↓↑
  陽がさらさらと
  射していた

▼〈まとめ〉
何もない小石ばかりの河原に、陽がさらさらと射して いたという情景描写により、作者自身の虚無的で荒涼 とした寂寥感を、象徴的に表現している

right★発問☆解説ノート★




★(植物・動物などの有機物がなく)他に何もない
 虚無的で荒涼とした生命感のない寂しさ
→作者心象
 →水が流れていず、生物の姿もない非現実的な情景
☆「夜」と「陽」の矛盾は、空想的な夢物語だから
・さらさらと(擬態語)=乾いた感じ→5回繰り返し
・ゐるのでありました
→@物語性を高める「ですます」調A文語表記「ゐ」




left★板書(+補足)★
【第二連】<状況の説明付加>

陽が射すといっても
  珪石…の粉末のやうで
   ↓
  さらさらと
  音を立てていた

▼〈まとめ〉
陽が射すといっても、冷たい鉱物質の珪石がさらさら
と音を立てていたという描写により、作者の虚無的な
寂寥感が癒された訳でないことを、象徴的に表現して
いる

right★発問☆解説ノート★


・珪石=ガラス質・鉱物質の半透明な石
    純度が高いものが水晶。不純物を含むものが
    石英で、地球上の砂の大部分。
   →虚無的で冷たく硬い感じ
・…やうで→文語表記
・されば=だから






left★板書(+補足)★
【第三連】<状況の急な変化>

さて小石の上に(ちょうど今)
  <一つの蝶がとまり>
   ↓
  淡い…くっきりとした
  影を落としていた

▼〈まとめ〉
そうしていると、一つの蝶が来て、淡いが確かな影を
落としたという情景描写により、作者の虚無的な内面
を癒すきっかけとなる良い出来事が起こったことを、
象徴的に表現している

right★発問☆解説ノート★


・さて=そうしていると → <変化(起承転結)>
・今しも=ちょうど今(「しも」=強意の副助詞)
★一つの蝶=美しくて儚い、一つの命あるもの
  →<きっかけとなる良い出来事>があること
  →亡くなった娘が夢の中に現れたこと?
  →母親のように優しく包んでくれる女性の出現?
・淡い…くっきりとした=淡いが、確かな…





left★板書(+補足)★
【第四連】<物語の完結>

やがて蝶がみえなくなると
  流れていなかった川床に
   ↓
  水は
  <さらさらとさらさらと流れていた……>

▼〈まとめ〉
やがて流れていなかった川床に水はさらさらと流れて
いた……という描写により、作者の虚無的な寂寥感が
一時的には癒されて人間らしい気分が感じられたこと
を、象徴的に表現している


right★発問☆解説ノート★


☆やがて→時間的な経過(…空白)
★他に何もなく虚無的で荒涼とした寂しい河原が、
 <潤いがあり、生き物の気配や人間らしい気分も>
 感じられ(てホッとす)る河原に変わった
☆蝶と水の共通性→無機的だった風景に、生命の要素
        (生きているという感じ)を与える
☆さらさらと→(繰り返し)音楽性(適度な流れ?)
☆流れてゐるのでありました……→(逆接的余韻?)
 →@生き物の気配や人間らしい気分が、十分に感じ
   られるのではない

  A水の流れが続いているが、暫くの間でしかない

left★板書(+補足)★
〈主題〉
生命のない無機的な世界に、一つのはかない生命・魂
が出現
すると、生命のある有機的世界に変質したこと
を描写することで、虚無的な寂寥感に満ちながらも、
それを癒すきっかけとなるような出来事により、暫く
懐かしく人間らしい世界を見出すことができたという
作者自身の心象風景を、象徴的に表現した。
  ↑
〈主題2〉
秋の夜、鉱石の粉末の無機的で乾いた陽が降り注ぐ、
何もなく寂しく荒涼とした所に、はかない一つの生命
が訪れると、潤いがあり生命の感じられる、有機的で
優しく懐かしい世界が開けてきた。

right★発問☆解説ノート★
XX〈主題3…参考資料〉
鉱物の結晶のような陽が射す、無機的な河原に、蝶が
訪れると水が流れ出すという、秋の夜の幻想的な物語

〈自分勝手な解釈〉
虚無的で寂しく乾いた心を持つ青年が、一つ束の間の
救いが訪れることで、暫くはホッとする懐かしい世界
を見出せた時のことを、象徴的に表現した詩だろう。
これも難解で、理解を超えたような詩だ。





left★板書(+補足)★
〈補足1…参考〉
ダダイズム=第一次世界大戦中(1914年〜)欧米
 で起きた既成の秩序・常識を否定する芸術運動。
 戦争による破壊と殺戮は「人間に理性はあるのか」  という疑問を抱かせ、<理性を根本的に否定>し、  芸術・全文明さえも否定するような考え方が現れ、  意識的な作為を否定し、意識の下に存在する広大な  無意識下による偶然性・無作為性・無意味性の中に  美を見出そうとした

象徴詩=19世紀末、自然主義の客観主義への反動  としてフランスからヨーロッパ諸国に広まった詩。  外界の写実的描写よりも、内面世界の主観的表現を  重視する。即ち<掴み難い想念の世界(主題)>
 詩句の<音楽性・映像性・暗示性によって象徴化>  して表現し、直接的に叙述しない。フランスの詩人  ボードレール・ランボー・ベルレーヌらが有名。

明38(1905)上田敏『海潮音』(訳詩集)
 ・フランスの象徴詩を紹介
 ・(ドイツの詩人)カールーブッセ「山のあなた」

  山のあなたの空遠く
  「幸」住むと人のいふ
  噫(ああ)、われひとと尋(と)めゆきて
  涙さしぐみ(涙ぐみて)かへりきぬ。
  山のあなたの空遠く
  「幸」住むと人のいふ

〈補足2〉
△「さらさらと」という繰り返しの効果
 ・オノマトペ(擬態語・擬音語)
  →具体的イメージの効果
 ・音感→乾いた感じ・軽い感じ・滑らかな感じ
 【第一連】陽射しの比喩→乾いた感じ・軽い感じ
 【第二連】珪石の粉末→一層乾いた感じ・軽い感じ
 【第四連】川の水の比喩→滑らかな感じ(?)

△小石ばかりの河原
 ・涸れた河原→賽の河原のイメージ
    ↓
  死んだ子供が行く所と言われる冥途んお三途の川
  の河原。ここで子供は父母の供養のために小石を
  積み上げて塔を作ろうとするが、絶えず鬼に崩さ
  れる、そこへ地蔵菩薩が現れて子供を救うという
    ↓
 ・賽の河原に地蔵菩薩が子供を救いに来るように、
  蝶が一つの生命として訪れると、水が流れ始める

△「陽」「蝶」の存在的イメージ
 ・陽
  →夜の河原に降り注ぐ陽射し→非現実的・幻想
  →さらさら→珪石の粉末にたとえ→乾いて透明
  →蝶の出現によって、太陽光線が水に変化


right★発問☆解説ノート★
 ・蝶
  →唯一の生物→秋には残り少ない儚い命
   →その生命が無機的な河原に生命を引き寄せた
  →蝶が去った後、水が流れ出す
    河原を変質→生物の息吹→幻想から現実へ
  →水→生命の比喩
    ↓
  蝶は、無機的な世界を、生命のある有機的な世界
  に変質させた
、魔法使いのようなもの?
    ↓
△「一つのメルヘン」という題
 水が流れていず生物の姿もない非現実的な河原に、
 一つの蝶が訪れると、急に河原に流れ始める。暫く
 すれば、花や鳥など色々な生き物たちの姿が見える
 ようになるかも知れない。死の河原は、一つの蝶と
 いう魔法のようなものの出現により、生の河原へと
 変化した
のである。何とも救われる夢物語である

〈補足3…作者年譜〉
明治40年(1907)〜昭和12年(1937)
     山口県湯田温泉生まれ。代々開業医の名家      の長男で、医者になることを期待される。
     生後間もなく、陸軍軍医の父の任地である
     旅順・広島・金沢と移る。
大正03年(1914)故郷山口の小学校に入学
     成績優秀で神童と呼ばれる。
     8歳の時、弟が病死して、文学に目覚め、
     フランス語を学ぶ。
大正09年(1920)山口中学
     短歌制作に没頭、学業を怠る(13歳)
大正12年(1923)落第、京都の立命館中学に転校
     フランス象徴派文学を知り、詩作を始める
     女優志望の長谷川泰子と同棲(16歳)
大正14年(1925)二人で上京するが、同棲中の
     <長谷川泰子が小林秀雄の元へ去る>
     衝撃は詩作の深い動機づけとなる(18歳)
大正15年(1926)日本大学予科(19歳)
    衝撃の中「朝の歌」を書く(詩人として出発)
     (孤独な精神の揺らぎの中で夢を追想)
昭和04年(1929)大岡昇平らと雑誌「白痴群」創刊
     雑誌「生活者」に初期詩篇の一篇「無題」
     として「サーカス」発表(作者22歳)
昭和08年(1933)東京外国語大学卒業
     遠縁の上野孝子と結婚、アパートには小林      秀雄・大岡昇平らがよく訪れる(26歳)
昭和09年(1934)長男誕生
     第一詩集『山羊の歌』出版
     象徴派的作風が注目される(27歳)
昭和11年(1936)愛児(2歳)が死亡
     悲嘆のあまり神経衰弱(29歳
昭和12年(1937)療養生活。10月、
     (急性)結核性脳膜炎で死去(30歳)
     350編以上の詩を残す
翌 13年(1938)第二詩集『在りし日の歌』      (没後、託された小林秀雄が刊行)

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