left★原文・現代語訳★
「古典現代語訳ノート」(普通クラス)
   李翰「蒙求 / 叔敖陰徳」(両頭の蛇)

〈出典=『蒙求』〉
時代(746年以前)に成立した類書(故事集)
・書名は、『易経』の「童蒙求我」による
・(堯・舜の)伝説上の時代から南北朝時代までの
 有名な人物の逸話や伝記をまとめたもの
・教訓などを短編物語として600近く収めていて
 児童用教科書として用いられた
・日本でも、平安時代に伝わり、貴族・僧・武士階級
 の初学者を初め、広く読まれた
 →『枕草子』『源氏物語』から江戸時代の小説まで
  多くの文学作品に影響を与えた

〈作者〉
・李翰(中唐の人)

〈概要〉
〇両頭の蛇を見た事を泣きながら母に話しながらも、  他の人のために蛇を埋めた、という理性的で非凡な  孫叔敖の子供時代の逸話

right★補足・文法★
(類書)2021年12月




・童蒙=まだ幼くて、物の道理に暗い者





・「孟母三遷」「蛍雪の功」「漱石枕流」などの
 現代の我々にも馴染みの故事が多い






・後に楚の国の名宰相となる孫叔敖について書かれた
 もので、「叔敖陰徳」という四字の標題が付けられ
 いる。

全体の構成 【一】(起)両頭の蛇を見たと泣く孫叔敖 【二】(承)他人のために蛇を埋めた孫叔敖
【三】(転)陰徳は天が福を与えると言う母 【四】(結)陰徳により宰相となった孫叔敖
left★原文・現代語訳★
〈授業の展開〉

【一】(起)両頭の蛇を見たと泣く孫叔敖
                    (導入)
孫叔敖為嬰児、出遊而還、憂而不食。
 孫叔敖(そんしゅくごう)嬰児(えいじ)たりしと
 き、出遊して還(かへ)り、憂へて食らはず。
 =孫叔敖が幼ない子どもであったとき、遊びに出て   帰り、心配そうにして何も食べなかった。

其母問其故。
 其の母其の故(ゆゑ)を問ふ。
 =その母はその理由を尋ねた。

泣而対曰、「今日吾見両頭蛇。恐去死無日矣。」
 泣きて対(こた)へて曰はく、「今日吾両頭の蛇を
 見たり。恐らくは死を去ること日無からん。」と。
 =(孫叔敖が)泣いて答えて言うことには、「今日   私は頭が二つある蛇を見た。おそらく死を去って   いるのも日がないだろう(死ぬまでに日がない)   だろう。」と。

right★補足・文法★




・孫叔敖=春秋時代に、楚の国を覇者にする名宰相と      なる政治家
・嬰児=幼い子ども
・憂=心配そうにして






・両頭の蛇=頭が二つある蛇。枳首蛇(しゅしゅだ)と  呼ばれる伝説上の生き物で、大きさは小指くらいで  長さは30cm 位。背中に錦の模様があり、腹は鮮や  かな赤。両方に頭があるように見えるという
☆もうすぐ死ぬだろう、自分の死は近いだろう



left★原文・現代語訳★
【二】(承)他人のために蛇を埋めた孫叔敖
                   (展開@)
母曰、「今、蛇安在。」
 母曰はく、「今、蛇安(いづ)くにか在る。」と。
 =母が言うことには、「今、蛇はどこにいるのか。   」と。

曰、「吾聞、『見両頭蛇者死。』吾恐他人又見、已埋 之矣。
 曰はく、「吾聞く、『両頭の蛇を見る者は死す。』  と。吾他人の又見んことを恐れ、已(すで)に之を  埋(うづ)む。」と。
 =(孫叔敖が)言うことには、「私は聞いている、   『頭が二つある蛇を見た者は死ぬ。』と。私は他   の人がまた(その蛇を)見ることを恐れ、もうこれ   を埋めた。」と。

right★補足・文法★


・安=いずくにか…(どこに…か)




・矣=断定の置き字。書き下し文では書かない









left★原文・現代語訳★
【三】(転)陰徳は天が福を与えると言う母
                   (展開A)
母曰、「無憂。汝不死。吾聞之、『有陰徳者、天報以 福。』」
 母曰はく、「憂ふる(こと)無かれ。汝(なんじ)  死せず。吾之を聞く、『陰徳有る者は、天報ゆるに  福を以てす。』」と。
 =母が言うことには、「心配してはいけない。お前   は死なない。私はこう聞いている、『隠れた良い   行いのある者は、天は幸福をもって報いてくれる   (のだ)。』」と。

right★補足・文法★


・…すること無かれ=禁止の命令文
・死す=サ変動詞
・陰徳=人の知らない所で良い行いをすること
    誰にも知られず行う良い行為
 →「恐他人又見、已埋之矣」(←指示内容)
☆人の知らない所で良い行いをした者には、天が幸福  を与えてくれる



left★原文・現代語訳★
【四】(結)陰徳により宰相となった孫叔敖
                    (結び)
人聞之、皆喩其為仁也。
 人之を聞き、皆其の仁たるを喩(さと)るなり。
 =人はこれを聞き、彼の行為が人を思いやる仁徳に   よるものであることを皆が理解したのである。

及令尹、未治而国人信之。
 令尹(れいいん)たるに及び、未だ治めずして国人  之を信ず。
 =(だから、後に孫叔敖が)宰相へと出世した時に   は、まだ政治をしないのに国中の人は彼のことを   信じた(のだった)。

right★補足・文法★

・喩(さと)る=判断の基準にする(すぐに考える)
 →物事の道理を詳らかに知る、明らかに理解する
・仁徳=(儒教の説く)他人に対する思いやりの心
☆自分は死ぬことになっても、第二・第三の犠牲者は  出すまいと蛇を埋めた行為が知れ渡った結果、叔敖  は仁者だと理解されたということである。
・令尹=神官職の長。政治と祭事が一体だった古代は     宰相の位に相当する
 →「陰徳有る者は必ず陽報(はっきり現れる報い)    有り」という故事があった



left★原文・現代語訳★
〈要約〉
子供の頃、孫叔敖は「見た者は死ぬ」という両頭の蛇 を見たと泣いた事があったが、他人が見て死ぬことを 恐れて蛇は埋めていた。それに対して、「隠れた所で 良い行いをした者は、天は福をもって報いてくれる」 と母は言った。後に、宰相となるに至った孫叔敖は、 仁徳ある人として人々の信望が厚かった。


right★補足・文法★
〈参考……文学史〉
右の文について述べた次の文章の空欄に、当てはまる 言葉をそれぞれ漢字で答えよ。
 右の文の出典(本の名前)は、唐の時代に成立した 『(  1  )』という故事集で、作者は李翰であ る。伝説上の時代から南北朝時代までの有名な人物の (  2  )をまとめたもので、教訓などを短編物 語として六百近く収めていて、児童用の教科書として 用いられた。
右の文は、後に楚の国の名宰相となる(  3  ) について書かれたもので、「叔敖陰徳」という四字の 標題が付けられている。日本でも広く読まれ、「蛍雪 の功」「漱石枕流」などの馴染みの故事も多い。







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