先生の現代文授業ノート山崎正和「水の東西」
left★板書★
「現代文授業ノート」(普通クラス)
   山崎正和「水の東西」

〈作品・概要〉
「洋の東西を問わず」→タイトル
〇文化論
 →水を通して、日本と西洋の文化を比較
      (対比的に解説→二項対立)(→要旨)


〈全体の構成〉 (→要約→要旨)

【一】鹿おどしという東洋の水の紹介
       (日本の鹿おどし…導入・問題提起)

【二】噴水という西洋の水の紹介
             (西洋の噴水との対比)
@流れる水と、噴き上げる水
A時間的な水と、空間的な水
   流れる水・時間的な水
    ↓↑(二項対立=対比)
   噴き上げる水・空間的な水

【三】日本の伝統と水の文化
          (噴水についての東西の比較)
@噴水を作らなかった日本の伝統
A見えない水と、目に見える水
   見えない水
    ↓↑(二項対立=対比)
   目に見える水

【四】日本人が水を鑑賞する行為の極致
        (日本人の感性と水の鑑賞…結論)


〈全体の構成U→別解〉

【一】流れる水と、噴き上げる水
【二】時間的な水と、空間的な水
【三】見えない水と、目に見える水
【四】水を鑑賞する行為の極致


〈授業の展開〉

【一】鹿おどしという<東洋>の水の紹介
       (日本の鹿おどし…導入・問題提起)
○鹿おどしの紹介(→具体的説明)
 ・(何となく)人生のけだるさのようなもの
  を感じさせる
    ↑
    ↑
    ↑
単純な緩やかなリズムが無限に繰り返される
  (序) (破)  (急)
 ・(緊張…一気に…)何事も起こらない徒労
  (また一から始められる)
 ・(曇った音響が)時を刻んで(細かく区切って)
  庭の静寂と時間の長さ(を引きたてるだけ)
    ↓
    ↓
    ↓
<流れるものを感じさせる>
   ↓(水の流れ・時の流れ)
   ↓
 ・それせきとめ、刻むことによって、
  かえって流れてやまないものの存在を強調
    ↓    (永遠)
  (逆説的表現=矛盾→真理)


【二】噴水という<西洋>の水の紹介
             (西洋の噴水との対比)
@<流れる水と、噴き上げる水>

○ニューヨークでの鹿おどし
 ・日本の古い文化→素朴な竹の響き
      (→だが…聞くゆとりはない)
    ↑
    ↑
  (東洋=日本)
<流れる水>   → (自然
   ↓↑  (二項対立=対比…対句的表現)
<噴き上げる水> → (人工的
 (西洋)
    ↓
    ↓
 ・噴き上げる華やかな噴水→水の芸術
      (→気持ちをくつろがせる)

A<時間的な水と、空間的な水>

○西洋の噴水
 ・町の広場…風景の中心
        ↑
 ・壮大な水の造型
        ↑(…バロック彫刻さながら)
 ・(音を立てて)空間に静止(して見える
    ↓
    ↓
  (東洋=日本)
<時間的な水> → (聴覚的
  ↓↑  (二項対立=対比)
<空間的な水> → (視覚的
  (西洋)



【三】日本の伝統と水の文化
          (噴水についての東西の対比)
@<噴水を作らなかった日本の伝統>

○(そういう事を考えさせるほど)
 日本の伝統の中に噴水は少ない
 =日本人は古くから水を見ることは好んだが、
  噴水は作らなかった
    ↓↑  (二項対立=対比)
○西洋では噴水が発達
 ・西洋の乾燥した空気
 ・ローマ以来の水道技術
    ↓
<だが>
 そういう外面的な事情ばかりではない
    ↑
<日本人は、水の自然に流れる姿(美)を愛し>
 造型の対象とせず        (内面的事情)
    ↓
    ↓
    ↓
    ↓
A<見えない水と、目に見える水>

○(日本人は)西洋人と違う独特の好み
    ↓(仏教的な言葉に込められた思想)
「行雲流水」という思想は…
 感性によって裏づけられていた

 =<自然のままを良しとする感性を持っていた>
   ↓
 ・それは…積極的に
  <形なきものを恐れない>心の現れ
      (自然のままなら形なきものも愛する
                心として現れた)
    ↓
    ↓
    ↓
    ↓
    ↓
    ↓
     (日本の鹿おどし)
(形として)<見えない水>  → (聴覚的
       ↓↑  (二項対立=対比)
(形として)<目に見える水> → (視覚的
     (西洋の噴水)

    ↓

【四】日本人が水を鑑賞する行為の極致
        (日本人の感性と水の鑑賞…結論)
流れを感じる事が目的ならば
 (水を実感するのに)水を見る必要さえない
    ↓
    ↓
▼<離れた所でただ断続する音を聞いて
 <その間隙に自然に流れるものを
 <間接的に心で味わうもの
         (として鹿おどしを作り上げた)
    ↓
    ↓
    ↓
  鹿おどしは      (最高の趣・味わい)
 <日本人が水を鑑賞する行為の極致
                (を表す仕掛け)







〈要約350字=24×14〉
▼日本の鹿おどしは、単純で緩やかなリズムが無限に繰り返され、我々に流れるものを感じさせる
▼自然に上から下へ「流れる水」、時の流れも感じさせる「時間的な水」である鹿おどしに対して、西洋の噴水は人工的に下から上へ「噴き上げる水」、空間に静止して壮大な水の造型として見える「空間的な水」であり、東西の二つは対照的な性格を持っている。
▼日本人は水の自然に流れる姿を愛して、形がない水を見ないで鑑賞する方法を考え出したが、この鹿おどしと噴水は「見えない水」と「目に見える水」とも対比される。
音の間隙自然に流れる水を心で感じ取る鹿おどしは、水を離れた所で鑑賞するという日本人の心にぴったりの最高の仕掛けと言える。
right★発問・解説ノート★
(評論)2011年9月(2019年5月改)


〈作者〉
・1934(昭和9)年〜 劇作家・評論家
・人間を劇的存在と見る人間観をもとに
 広範な文明批評を展開
・著書「劇的な日本人」「鴎外 闘う家長」
 戯曲「世阿弥」など



▼日本の鹿おどしは、単純で緩やかなリズムが無限に繰り返され、我々に流れるものを感じさせる

▼日本の鹿おどしに対して、西洋人は華麗な噴水に心をくつろがせていて、二つは「流れる水と、噴き上げる水」と対比される。
 また、西洋の噴水は壮大な水の造型であり、音を立てて空間に静止して見えて、東西の二つは「時間的な水と、空間的な水」と対比される性格を持っている。


▼日本人は古くから水を見ることは好んだが、噴水は作らなかった。日本人が水の自然に流れる姿を愛したためだろう。
 日本人は形ないものを恐れない感性を持っていて、鹿おどしと噴水は、「見えない水と、目に見える水」とも対比される。


▼日本人は、自然に流れる水を鹿おどしの音の間隙にさえ心で感じ取った。鹿おどしは、水を離れた所で鑑賞するという日本人の心に実にぴったりの最高の仕掛けである。

・導入部が長いが、分かり易い段落分け(←出版社)
【一】時間を流れる水
【二】空間に静止する水
【三】形なきものを恐れない心
【四】日本人の感性






・庭園施設
☆(何事も起こらず)同じ事の繰り返し
 (徒労に近く)常に変化に富むものではない
 人の日常生活や人生と似ている(象徴している)

・「サラサラ=序……コォーン=破……シーン=急」
・一気呵成=ひと息に詩や文章を作り上げる、
・徒労=無駄な力を費やす
 →何かが起こるかのような期待を抱かせながら、
  結局は何も起こらない虚しい営み
・緩やかなリズムが、
 音が響いた直後の静けさを際立たせ、
 ゆったりとした時の流れを感じさせる
※音と静寂さを結び付けた俳句(→松尾芭蕉)
 ・古池や 蛙飛び込む 水の音
 ・閑かさや 岩にしみいる 蝉の声


☆それ=流れるもの
音が鳴ることで想像
 →筒の中に水がたまる
 →定期的に時間が経つ




(東西文化の対比を提示→対句)





<自然>上から下へ、筧から鹿おどしに流れる水
 →音を鳴らして水や時間の流れを示す水
 →日本の文化…田園的・時間的・聴覚的
  ↓↑           (二項対立=対比)
<人工的>下から上へ、華やかに噴き上げる水
 →空間に一つの造型として静止している水
 →西洋の文化…都市的・空間的・視覚的

 ★噴き上げる華やかな噴水が
  空間に静止して見える
  壮大な水の造型(水の芸術)→視覚で鑑賞


・趣向を凝らす=人の興味を引くような工夫
        を念入りにする(面白さ・趣き)
・息をのむ=驚いて思わず息が止まる
・日本の鹿おどしは、自然を模した庭園の一部分
 情趣を高めるもので、自己主張が少ない
 →流れを堰き止めて、時を刻む水

▼西洋の噴水が、人工的に下から上へ噴き上げる水
 空間に静止した目に見える水
 造型の対象として直接視覚で味わうものである
 のに対して、    ↓↑
▼日本の鹿おどしは、自然に上から下へ流れる水
 時間の流れも感じさせ形がなく目に見えない水
 鳴る音の間隙から間接的に聴覚で味わうものである
         (←形のないものも好む日本人)





☆鹿おどしが「流れる水・時間的な水」なのに対して
 噴水は「噴き上げる水・空間的な水」と対照的な事
☆せせらぎ・滝・池・中の島・庭園などは
 人工的ながら、自然を模倣する形で作られている
 →伝統の枠組みに合わないものは受け入れず
西洋は人工的なものを美とした
 →自然は征服の対象→水は造型の対象


☆噴水を作らなかった日本の外面的事情
 ・空気が湿潤だから、噴き上げる水は不要
 ・(西洋に比べ)水道技術が発達せず
自然観の相違
 ・西欧=自然は<支配・征服>すべき対象であって
   ↑ そうする事が文化・文明と考える
   ↓(人間主体・合理主義・左右対称幾何学的)
 ・日本=自然は<調和・共生>すべきもの
    (余情余韻・幽玄美・自然を模した庭)


水に(定まった)形がない事について
 →形なきものを恐れない→「水は方円の器に従う」
・行雲流水=空を行く雲や流れる水のように
 一切を自然に任せる(物事に執着せず)
・「思想」以前に、「感性」を持っていた
それ「行雲流水」を良しとする感性
    ↓
 →水の自然に流れる姿を愛する
 →自然のままなら形なき水も愛する
 →形として目に見えない水も愛する
 →実際に目で見る必要はない
 →<見ないで>水の流れを<心で>感じ取る
 (音によって流れるものを耳で実感し心で味わう)
 →実際に水を見ないで水を鑑賞するという方法
  を考え出す    (→日本文化の性格を象徴)

形がなく見えない水の自然に流れる美を、そのまま
 受け入れて聴覚で鑑賞
    ↓↑  (二項対立=対比)
☆空間に静止して見える水を、
 造型の対象として視覚で鑑賞





・水の流れ・時の流れ
☆形として目に見えない水を愛する
・断続=切れたり続いたりする←→連続

☆実際に目で見ず、鹿おどしの立てる音を聞くことで
 その間隙に水や時間の流れを感じ取り
 間接的に心で味わう
 →仕掛けそのものを見ることに意味はなく
  音を通して、水を離れた所で鑑賞する
 →芸術の粋を尽くしたもの
    ↓
☆水を(恐れることのない)形なきものとして捉え、
 形なき水の自然な流れを愛する日本人固有の感性
 ぴったりの(鑑賞をする)最高の仕掛け
 →余分な装飾を削ぎ落として自然な姿に近づけ
  行雲流水のように自然のままに生きるという
  日本人の心が現れている
 →日本人の心と行為が一致した最高の形



〈要約100字〉
「鹿おどし」と噴水という、水を使った性格の異なる東西二つの芸術は、日本と西欧との文化の異質性を象徴するものである。


〈補足…第二段まとめ→文章化〉
水の自然な流れ時を刻むのを鑑賞する「聴覚的」な「鹿おどし」に対して、
西洋の噴水は下から上へと人工的に噴き上げる水を目で見て楽しむ「視覚的」な水の芸術である。壮大な水の造型としてバロック彫刻さながらに、音を立てて空間に静止しているように見え、風景の中心になっているもの、それが西洋の噴水である。
日本の庭園にある施設とは全く対照的だと言える。

貴方は人目の訪問者です。