left★板書(+発問)★    
(先生の授業ノート…普通クラス)
   高階秀爾 「『間』の感覚」

〈出典〉
・『西洋の眼 日本の眼』(2001年)

〈筆者〉
・1932(昭和7)〜
・美術史家・美術評論家
・主な著書 『』『』など

〈概要〉
・比較文化論(日本と西洋の違いを述べる)
・日本人は、どのような感覚・文化を持った民族か、  を(西洋美術史家の観点から)論述
                (→要約→要旨)


right★補足(+解説)★      
(評論)2012年2月(2023年9月改)


※随筆=自己の感想・意見・見聞・体験などを
    筆に任せて自由な形式で書いた文章(随想)
    ↓↑
 評論=物事の善悪・価値・優劣などを
    批評し論じた文章



※@一般論(常識)の否定=筆者の意見(問題提起)
 A具体例 
 B考察 
 C結論(意見の確認と補足)
 という構成
(二項対立=対比・具体例・指示語→主張)

全体の構成 【一】(起)自然に対する接し方の東西の相違
            (導入…自然との関係性)
    @花の美
    A花の絵(静物画)
    B風景画
【二】(承)建築における東西の相違と自然との関係性
       (考察@…建築における自然との関係性)
    〇日本の建築
    〇東西の例
    〇 〃 比較
【三】(転)内外の区別と意識の問題
      (考察A…関係性の内外を意識の中で区別)
    @日本人の行動様式(住まい方)と意識の問題
     (空間構造と住まい方・意識の問題・東西の例)
    A関係性への共通の理解と目に見えない区別
     (見えない区別・日本人の関係性・共通の理解)
【四】(結)日本文化の根底にある「間」の感覚
       (結論…関係性の広がりと日本文化)
    @関係性の広がり=「間」
    A「間」の感覚=日本人の原理
    B日本文化の解明

left★板書(+発問)★    
〈授業の展開〉

【一】(起)自然に対する(接し方の)東西の相違
            (導入…自然との関係性)
〇住居の構造・空間構成における東西の相違は
 生活様式・行動規範(住まい方)に反映する
    ↓
 <例>自然に対する接し方の東西の相違
    ↓
@<花の美>

共通点…愛好
 <だが>
 相違点
  ・西欧…自然から切り離された、切り花
      ↓↑(対比)
  ・日本…<自然の中>で楽しむ
               (花見・紅葉狩り)

A<花の絵(静物画)>

共通点…生活空間を飾る
 <しかし>
 相違点
  ・西欧…花瓶に生けられたもの
      ↓↑(対比)
  ・日本…自然の中の花
    ↓↓
    ↓↓
自然感情の違いを明白に示す
  =日本は西欧に比べ
   <自然に対して開かれている>

B<風景画>

共通点…旅行土産として流通
 <ところが>
 相違点
  ・西欧…描かれる対象は
      人工のモニュメント(記念の建造物)
      ↓↑(対比)
  ・日本…自然の情景
        ↓
      何よりも、人々の目は
      <自然に向けられていた>


▼〈段落まとめ〉
自然に対する接し方(関係性)における東西の相違が 花の美・花の絵・風景画を例として述べられている。 西欧が人工的なものを重視するのに対して、日本では 自然に対して開かれていて目が向けられている。

right★補足(+解説)★        



☆襖・障子などの仕切りによって、曖昧に句切る
    ↓↑(東西…対比=二項対立)
 強固な壁で遮断








☆外部から遮断した室内で→人工の環境に移した自然
   (自然そのものよりは人の手の加わったもの)
    ↓↑(対比)
 自然の美を愛する民族→自然の中に置いたまま

(美術作品…絵画)

☆豊かに飾り立てる



<自然観の相違>
 ・西欧→自然は<支配・征服>の対象。人工の力で
   ↑ そうする事が文化・文明と考える
   ↓(人間主体・合理主義・左右対称幾何学的)
 ・日本→自然は<調和・共生>の対象
    (自然との結びつきを重視して、求める)
    (余情余韻・幽玄美・自然を模した庭)










☆日本人の自然観は、(建築では)
 壁によって内外を明確に区分する西欧建築と違い、
 中間領域を媒介として内部は外部の自然へつながる




☆人工的なものを重視する西欧と、自然に対して目が  向けられている日本との対比を述べる

left★板書(+発問)★      
【二】(承)建築における東西の相違と自然との関係性
     (考察@…建築における自然との関係性)
〇日本の建築
  <自然>に向かって開かれ  (た構造を持ち)
  <内と外とが連続>して、
  間の境界が曖昧な
  中間領域
が生じる
    =<軒下>・濡れ縁・渡り廊下
    ↓
<例>日本の伊勢神宮とアテネのパルテノン神殿
 共通点…外観はよく似た形状
        ・柱を支持材
        ・三角形の断面の切妻型の屋根
 <だが>
 相違点
  ・西欧…屋根は平面を覆う所で終わる
      ↓↑(対比)
  ・日本…軒先が大きく伸び、軒下という空間
            ↑ (内か外かは微妙)
        雨が多いという、風土的特性に由来
    ↓
〇建築における東西の相違
  ・西欧…壁という強固な物理的遮蔽物によって
      <内と外を明確に区分>
      ↓↑(二項対立=対比)
  ・日本…中間領域を媒介として
      <内は自然に外へつながる>

▼〈段落まとめ〉
建築における東西の相違と自然との関係性が、日本の 伊勢神宮とアテネのパルテノン神殿を例として述べら れている。西欧が壁によって内と外を明確に区分する のに対して、日本は自然に向かって開かれた構造で、 内と外とが連続した曖昧な軒下が生じる特徴がある。

right★補足(+解説)★      
・自然に対する接し方における東西の相違
 →例1.絵画、例2.建築
☆襖・障子などの建具は、
 取り払えば庭と一続きに見える
 ・障子は、遮りながら、外の明るさを取り込む
 ・簾は、遮りながら、外が見える
 ・板敷の間は、敷居をまたぐと縁側になり、
        そこは半分外のようなもの
 ・土間・たたき…

・木造・石造の違い、スケールの差




☆「軒(廂)」は「つきでる」という意味で、
 屋根の突き出た部分。その下方が「軒下」である
☆日本の建築の大きな特徴
人との関係性によって、内にも外にもなり得る性質
☆雨から守るために、建物を覆うような屋根

☆日本人は自然を受けているだけではない。庭園は、  配置なども自然らしく見えるようにと人間が懸命に  努力して手を加えているのであり、鹿おどし・滝・  小川などの流れる水を取り入れたりもした。
 それに対して、西欧は人工的に水を噴き上げる噴水  を作った、アラブも砂漠の民は水がないと安心でき  ないから、どこでも水の音が聞こえるようにした。



☆壁によって内と外とを明確に区分する西欧建築と、  自然に向かって開かれた構造で、内と外が連続する  日本建築との対比を述べる。

A<関係性への共通の理解と目に見えない区別>

left★板書(+発問)★    
【三】(転)内外の区別と意識の問題
    (考察A…関係性の内外を意識の中で区別)
@<日本人の行動様式(住まい方)と意識の問題>

<ところが>
〇日本人は
 内部と外部が連続している
 <空間>
の中に住みながら
    ↓↑      (それにもかかわらず−
    ↓↑(対比)   むしろ、
    ↓↑       それであるからこそ−)
 住まい方において、
 <内と外とを厳しく区別する>
 という<行動様式>
を示す



































    ↑
 (二項対立=対比)
    ↓

<だが>
A<ニセガネ作り(ホンモノの形而上学)>
         (逆説の作用とは逆のニセガネ)
    ↓
<従って>(…結論)

▼〈段落まとめ〉
ホンモノの代わりが、ホンモノに代わってホンモノに
なってしまうという逆説の作用が、太古から現在まで ホンモノのおカネを作り続けてきたのだ。
だが、ニセガネ作りはホンモノの形而上学に支配され
てホンモノの金銀に似せたものを作ったが、ニセモノ
でしかなく、決してホンモノにはなれなかった。
これに対して、両替屋はホンモノのおカネの代わりと
して、預かり手形という単なる紙切れを発行しただけ
だが、逆説の作用によってホンモノのおカネになって しまった。

right★補足(+解説)★      
表面的な目に見える相違点から
 背後に潜む意識の問題へ、論は深まっていく
 →関係性の内外を、意識の中で目に見えない区別


★(簡略化して言い換えた一文)
 空間構造はつながっているように見えながら、
 行動様式では内と外は明確に区別されている
★(筆者の考えの表現)行動様式が意識の問題ならば
 @意識の上で区別がついている(行動様式に現れて   いる)ので
 A共通理解の上に立つ共通の意識があれば
 B目に見える形での(物理的に)区別が存在しなく   てもよい






















★形而上学=形だけではなく、それ以上の本質・根本
      原理を追究(研究)する学問



・ホンモノのおカネと同一の価値を得よう


具体例Aと照応















left★板書(+発問)★        
【四】ホンモノのおカネを作る極意と補足(結論)
                 (結論と補足)
@<ホンモノのおカネを作る極意>
              (結論…意見の確認)
 ホンモノのおカネに<似せるのではなく>
 ホンモノのおカネに<代わってしまう>ことである

A<ホンモノのおカネを作るための条件> (補足)

 <大きな資力や金蔵がある>こと
    ↓↑
  なければ
  ホンモノを作り出す逆説は成立せず
    ↓
 <それ故>
 ・ホンモノの形而上学に任すか
 ・ホンモノについて陰鬱に科学するか
                (他に道はない)

▼〈段落まとめ〉
ホンモノのおカネを作る極意は、ホンモノのおカネに
似せるのでなく、ホンモノのおカネに代わってしまう
ことである
但し、大きな資力や金倉がなければ、ホンモノを作り
出す逆説は成立しない。それ故、ホンモノの形而上学
に任すか、ホンモノについて陰鬱に科学するか、他に
道はない

right★補足(+解説)★      




・序段と照応




・両替屋のように

・普通の者には、
 ホンモノのおカネを作ることはできない

・ホンモノとは何かという本質にこだわって
 ホンモノに似せたニセガネを作るか
・ホンモノについて陰気で憂鬱に科学的な研究をして
 こんな文章を書いたりするか


left★板書(+発問)★    
夏目漱石「夢十夜 第一夜」解説動画
夏目漱石「夢十夜 第一夜」解説アニメ

    ヘンデル「協奏曲ト短調」

〈要約〉
〈要旨150字=24×6〉
ホンモノのおカネを作る極意は、ホンモノのおカネに
似せるのでなく、ホンモノのおカネに代わってしまう
ことである。但し、資力による信用を基にした保証が
なければ、ホンモノを作り出す逆説が成立することは
ない。それ故、ホンモノの形而上学に任すかホンモノ
について陰鬱に科学するか、他に道はない。

〈要旨200字=24×8+8〉
江戸時代に発行された預かり手形の例は、ホンモノの
おカネの単なる代わりだったはずの紙切れが、資力に
よる信用を基にホンモノに取って代わってホンモノの
おカネになった、という逆説を示す。このような逆説
の作用が、太古から現在までホンモノのおカネという
ものを作り続けてきた。従って、ホンモノのおカネを
作る極意は、ホンモノに似せたニセガネを作るのでは
なく、ホンモノのおカネに代わってしまうことである
と言える。

right★補足(+解説)★      
〈要旨100字〉(…参考資料)
本来のホンモノのおカネに代わって、それ自身がホン
モノのおカネになるという逆説が、古今を通じてホン
モノのおカネを作り続けてきた。ホンモノのおカネの
作る極意は、ホンモノのおカネに代わってしまうこと
なのだ。



〈要旨200字=24×8〉(…参考資料)
江戸時代の両替屋の預かり手形の例は、ホンモノのお
カネの単なる代わりであるはずの紙切れが、本来のホ
ンモノのおカネに代わって、それ自身がホンモノのお
カネになるという逆説
を示している。この逆説の作用
こそが太古から現在までホンモノのおカネというもの
を作り続けてきた。ホンモノのおカネの作る極意は
ホンモノのおカネに似せたニセガネを作らないことで
あり、ホンモノのおカネに代わってしまうことなのだ




〈要約〉

第一段落: 日本とヨーロッパの違いは、住居の構造や空間構成といった目に見えるものだけでなく、日常の生活様式や行動規範にそのまま反映されている。   対比: 日本の考え方、ヨーロッパの考え方  具体例:  1、花の愛し方。ヨーロッパでは花瓶に生ける切り花として花を愛するが、日本では花見や紅葉狩りのように自然そのまま愛することを好む。 2、絵画史。ヨーロッパの名画を見ると町全体の眺めや教会、広場といった人工のモニュメントが題材となるが、日本の名画を見ると、桜や梅、花菖蒲など、自然の情景が題材として好まれているようだ。 3、建築。ヨーロッパでは外と内を物理的な壁で分ける。一方で日本は中間領域のような場所を作ることで、自然に内部から外部へと繋がる構造になっている。(軒下やぬれ縁、渡り廊下などが中間領域の例)。 第二段落: ところが、中間領域のような内部と外部をわけない住居に住んでおきながら、日本人は内と外を厳しく区別するという行動様式を示す。  具体例: 住居内では靴を脱ぐという習慣。スリッパで畳の部屋に入らない。便所では専用のスリッパに履き替える。などなど、行動としては明確に区別しているのである。 第三段落: このような区別は物理的というより心理的な区別であり、価値観の問題である。  具体例: ヨーロッパでは壁で物理的に空間を区別する。しかし日本では鳥居や関守石のように、その気になれば簡単にまたげるもので空間を区別する。 第四段落: このように意識的な区別する関係性の広がりを、「間」という言葉で呼んだ。間とは「空間」「客間」のように空間の広がりでもあり、「昼間」「晴れ間」のように時間的広がりでもあり、「仲間」のように人間関係の広がりでもある。「間合い「を見定めることが日本人の行動様式の原理であり、読み違えると「間が悪い」ことになり「間違い」を犯す。この「間」の感覚はまだ日本人の間に生き続けており、住居の構造を規定し、美意識や倫理とも結びつく。この構造の解明が日本文化を理解することにつながるのだ。 ??の補足: ????という感覚になる評論ですね。最初の花や絵の具体例で自然の話かな?と思いきや、住居の「ウチとソト」に話が飛び、最後に「間」というよくわからんワードが飛び出すという、「結局何がいいたいの?」と突っ込みたくなるお話です。  特に最後の「間」の話。結局「間」とはなんでしょうか? はっきり定義もしてくれないし、説明も足りない。しかし筆者はこの「間」こそが大事で、これを解明すれば日本文化が理解できると力説している。「間」の説明にもっとページを割いて細かく説明してほしいものです。  ということでこの「間」の感覚を外国人に説明することを想定して??が言語化してみました。 「間」とは関係性であると定義してみます。例えば日本人の部屋はくるくると役割が変わります。布団を敷くことにより寝室。ちゃぶ台を置いて家族が揃うとそこはリビング。お客様がくると客間。部屋そのものではなく、人や道具の関係性で役割が決まるんですね。  人間関係も同じです。私個人という人格で私の振る舞いがきまるのではなく、そこに誰がいるのか、人間関係の「間」で私の振る舞いが決まります。「空気を読む」とも言い換えましょうか。本文中に「鳥居や関守石は物理的にはなんの障害にもならない。障害になるには鳥居の意味についての共通の理解を持つ集団が必要になる」とありますが、その場にいる人々が共通して「カラスは白い」と決めたらカラスは白くなるのです。  物理的な境界ではなく、心理的な境界を作る。それをその場にいる集団で共有する。それが「間」の感覚です。「結界」みたいですね。 どんな話か理解できたでしょうか? ======ここから宣伝====== 古典文法のアプリ作ってます。高校一年生が対象です。定期テスト対策にどうぞ。 Cheat 古典文法 Facebook twitter Hatena0 Pocket 関連記事を表示 日本人の「自然」 2020-03-07 カテゴリー 第一学習社/新訂国語総合 タグ 日本思想日本文化 コメントを残す メールアドレスが公開されることはありません。 コメント 名前 メールアドレス サイト 日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策) 第一学習社/新訂国語総合 前の記事 木を伐る人/植える人 2020-09-08 第一学習社/新訂国語総合 次の記事 わからないからおもしろい 2020-08-15 読みたい文章のタイトルや著者名を入力 Copyright c Summary All Rights Reserved. Powered by WordPress with Lightning Theme & VK All in One Expansion Unit by Vektor,Inc. technology.

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