left★板書(+発問)★
夏目漱石「夢十夜 第一夜」解説動画
夏目漱石「夢十夜 第一夜」解説アニメ
ヘンデル「協奏曲ト短調」
〈要約〉
〈要旨150字=24×6〉
ホンモノのおカネを作る極意は、ホンモノのおカネに
似せるのでなく、ホンモノのおカネに代わってしまう
ことである。但し、資力による信用を基にした保証が
なければ、ホンモノを作り出す逆説が成立することは
ない。それ故、ホンモノの形而上学に任すかホンモノ
について陰鬱に科学するか、他に道はない。
〈要旨200字=24×8+8〉
江戸時代に発行された預かり手形の例は、ホンモノの
おカネの単なる代わりだったはずの紙切れが、資力に
よる信用を基にホンモノに取って代わってホンモノの
おカネになった、という逆説を示す。このような逆説
の作用が、太古から現在までホンモノのおカネという
ものを作り続けてきた。従って、ホンモノのおカネを
作る極意は、ホンモノに似せたニセガネを作るのでは
なく、ホンモノのおカネに代わってしまうことである
と言える。
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right★補足(+解説)★
〈要旨100字〉(…参考資料)
本来のホンモノのおカネに代わって、それ自身がホン
モノのおカネになるという逆説が、古今を通じてホン
モノのおカネを作り続けてきた。ホンモノのおカネの
作る極意は、ホンモノのおカネに代わってしまうこと
なのだ。
〈要旨200字=24×8〉(…参考資料)
江戸時代の両替屋の預かり手形の例は、ホンモノのお
カネの単なる代わりであるはずの紙切れが、本来のホ
ンモノのおカネに代わって、それ自身がホンモノのお
カネになるという逆説を示している。この逆説の作用
こそが太古から現在までホンモノのおカネというもの
を作り続けてきた。ホンモノのおカネの作る極意は、
ホンモノのおカネに似せたニセガネを作らないことで
あり、ホンモノのおカネに代わってしまうことなのだ
〈要約〉
第一段落: 日本とヨーロッパの違いは、住居の構造や空間構成といった目に見えるものだけでなく、日常の生活様式や行動規範にそのまま反映されている。
対比: 日本の考え方、ヨーロッパの考え方
具体例:
1、花の愛し方。ヨーロッパでは花瓶に生ける切り花として花を愛するが、日本では花見や紅葉狩りのように自然そのまま愛することを好む。
2、絵画史。ヨーロッパの名画を見ると町全体の眺めや教会、広場といった人工のモニュメントが題材となるが、日本の名画を見ると、桜や梅、花菖蒲など、自然の情景が題材として好まれているようだ。
3、建築。ヨーロッパでは外と内を物理的な壁で分ける。一方で日本は中間領域のような場所を作ることで、自然に内部から外部へと繋がる構造になっている。(軒下やぬれ縁、渡り廊下などが中間領域の例)。
第二段落: ところが、中間領域のような内部と外部をわけない住居に住んでおきながら、日本人は内と外を厳しく区別するという行動様式を示す。
具体例: 住居内では靴を脱ぐという習慣。スリッパで畳の部屋に入らない。便所では専用のスリッパに履き替える。などなど、行動としては明確に区別しているのである。
第三段落: このような区別は物理的というより心理的な区別であり、価値観の問題である。
具体例: ヨーロッパでは壁で物理的に空間を区別する。しかし日本では鳥居や関守石のように、その気になれば簡単にまたげるもので空間を区別する。
第四段落: このように意識的な区別する関係性の広がりを、「間」という言葉で呼んだ。間とは「空間」「客間」のように空間の広がりでもあり、「昼間」「晴れ間」のように時間的広がりでもあり、「仲間」のように人間関係の広がりでもある。「間合い「を見定めることが日本人の行動様式の原理であり、読み違えると「間が悪い」ことになり「間違い」を犯す。この「間」の感覚はまだ日本人の間に生き続けており、住居の構造を規定し、美意識や倫理とも結びつく。この構造の解明が日本文化を理解することにつながるのだ。
??の補足: ????という感覚になる評論ですね。最初の花や絵の具体例で自然の話かな?と思いきや、住居の「ウチとソト」に話が飛び、最後に「間」というよくわからんワードが飛び出すという、「結局何がいいたいの?」と突っ込みたくなるお話です。
特に最後の「間」の話。結局「間」とはなんでしょうか? はっきり定義もしてくれないし、説明も足りない。しかし筆者はこの「間」こそが大事で、これを解明すれば日本文化が理解できると力説している。「間」の説明にもっとページを割いて細かく説明してほしいものです。
ということでこの「間」の感覚を外国人に説明することを想定して??が言語化してみました。
「間」とは関係性であると定義してみます。例えば日本人の部屋はくるくると役割が変わります。布団を敷くことにより寝室。ちゃぶ台を置いて家族が揃うとそこはリビング。お客様がくると客間。部屋そのものではなく、人や道具の関係性で役割が決まるんですね。
人間関係も同じです。私個人という人格で私の振る舞いがきまるのではなく、そこに誰がいるのか、人間関係の「間」で私の振る舞いが決まります。「空気を読む」とも言い換えましょうか。本文中に「鳥居や関守石は物理的にはなんの障害にもならない。障害になるには鳥居の意味についての共通の理解を持つ集団が必要になる」とありますが、その場にいる人々が共通して「カラスは白い」と決めたらカラスは白くなるのです。
物理的な境界ではなく、心理的な境界を作る。それをその場にいる集団で共有する。それが「間」の感覚です。「結界」みたいですね。
どんな話か理解できたでしょうか?
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日本人の「自然」
2020-03-07
カテゴリー
第一学習社/新訂国語総合
タグ
日本思想日本文化
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