(先生の現代文授業ノート)島崎藤村「小諸なる古城のほとり」
left★板書(+補足)★
「現代文授業ノート」(普通クラス)
   島崎藤村 「小諸なる古城のほとり」

〈出典〉
 ・初出 明治33年(1900)雑誌「明星」創刊号
     題名は「旅情」(28歳)
  翌年 詩集「落梅集」で
     「小諸なる古城のほとり」に改められる

〈作者〉
 ・明治5年(1872)〜昭和18年(1943)
 ・日本を代表する浪漫主義の詩人
         自然主義の小説家
 ・代表作 「若菜集」「破戒」「夜明け前」など

〈表現→魅力〉
 ・文語定型詩五七調のリズム
 ・音韻 O音・K音の繰り返し

〈概要→主題〉
 ・信州小諸にある古城を訪れた若き旅人の何となく
  物悲しい思い(旅情・旅愁)を詠んだ詩
    →冬のように厳しかった青春が終わり
     春のように明るい時代になろうとする
     もどかしいほのかな苦さを描く

right★発問☆解説ノート★
(詩)2014年9月(2020年10月改)

・明治32年、小諸義塾に赴任、結婚。翌年(明33)春
 に、城址(懐古園)でこの詩を詠む
。北に浅間を
 眺め、南の眼下に千曲川を見下ろす絶景であった。
 (「若菜集」(明30)の3年後、小諸には6年在住)
・後に2つの詩を合わせて「千曲旅情の歌」と題され
 「一、小諸なる古城のほとり」
 「二、千曲旅情のうた」とされた

・醜聞の多い人生(教え子や姪との禁断の恋)





・第一連・第二連・第三連、各六行から成る
・最初の二行



          <浅間山>
<新潟>←<長野>←<小諸><佐久>←←<東京>
<信濃川>←←<千曲川>←<千曲川>


left★板書(+補足)★
〈全体の構成〉 (←時間・場面・情景・心情)

【第一連】<古城のほとりに佇む旅人の思い>
      (早春の情景と若き旅人の旅情…午前)
  ・小諸にある古城のほとりに佇む
   旅人の何となくもの悲しい思い   (導入)
    ・時→午前(〜昼)(早春のある日)
    ・所→古城のほとり(川堤からの視点?)
【第二連】<古城からの春霞にかすむ眼下の遠景>
     (古城から遠くに見える田園風景…午後)
  ・小高い城跡から春霞にかすむ眼下の遠景
   眺める旅人(の思い)       (展開)
    ・時→午後(〜夕方)
    ・所→古城(城跡の岡)
         (僅かに青い麦・暖かい光・道を
          急ぐ旅人からは春が感じられる
【第三連】<川沿いの宿で飲む濁り酒と旅情>
  (募る寂寥を濁り酒で癒やす旅人の思い…夕方)
  ・古城を下った川沿いの宿で、一人濁り酒を飲む
   ことで寂寥を慰める旅人(の思い) (結び)
    ・時→夕暮れ(〜夜)
    ・所→古城〜宿
      (時が経過し、既に夕暮れとなった宿で
       旅愁がますます募り、その寂寥を一人
       濁り酒を飲むことで慰めようとする、
       寂しく心が満ち足りない思い)


〈舞台設定〉…(枠組み)5W1H
 (いつ)   早春の頃
 (どこで)  小諸にある古城のほとりで
 (誰が)   若き旅人が
 (何を)   旅の愁い(旅愁・旅情)を
 (どうした) 覚えた
   ↑
 (なぜ)   まだ春になりきらない侘しさに

right★発問☆解説ノート★
〈教材〉     (…暗唱するまで何十回も音読)

  小諸なる古城のほとり        島崎藤村

【第一連】
小諸なる  古城(コジョウ)のほとり
雲白く  遊子悲しむ

緑なす  繁縷(ハコベ)は萌(モ)えず
若草も  藉(シ)くによしなし

しろがねの  衾(フスマ)の岡辺(オカベ)
日に溶けて  淡雪流る


【第二連】
あたたかき  光はあれど
野に満つる  香(カオリ)も知らず

浅くのみ 春は霞(カス)みて
麦の色  はつかに青し

旅人の  群(ムレ)はいくつか
畠中の 道を急ぎぬ


【第三連】
暮れ行けば  浅間も見えず
歌哀し  佐久の草笛

千曲川  いざよふ波の
岸近き  宿にのぼりつ

濁り酒  濁れる飲みて
草枕  しばし慰む


left★板書(+補足)★
〈授業の展開〉

【第一連】<古城のほとりに佇む旅人の思い>
     (早春の情景と若き旅人の旅情)(午前)
                    (導入)
小諸なる  古城(コジョウ)のほとり
  ・(早春の頃、信州の)小諸にある古城(に旅を    した。そ)のほとりで

<雲白く  遊子悲しむ>
  ・(李白の詩にもあったが、)雲が白く(流れて
   行き、同じように漂泊して佇む)一人の旅人は
   (何となく)もの悲しい思いでいた


緑なす  繁縷(ハコベ)は萌(モ)えず
  ・(周囲を見渡せば、まだ春浅くて)緑色をした
   ハコベはまだ芽ぐんでいない

若草も  藉(シ)くによしなし
  ・(また、まだ十分に伸びていない他の)若草も
   (腰の下に)敷いて座ることができない(ので
    立ったまま、春の情景を眺めていた

しろがねの  衾(フスマ)の岡辺(オカベ)
  ・(堤防辺りから、千曲川沿いの城址の上方に、
   朝日で輝く)白銀色の布団のような(柔らかく
   雪が積もった)岡(が見えて、そ)の辺りから

日に溶けて  淡雪流る
  ・春の陽(の光)に溶けて、淡い雪が(雪解け水
   となって千曲川に)流れていた

▼〈まとめ〉
小諸にある古城のほとりを訪れた若き旅人は、早春の 侘しい情景を眺めみながら、何となくもの悲しい思い を覚えた

right★発問☆解説ノート★

※明治32年(27歳)小諸義塾に赴任、翌年の春に詠む

・小諸=長野県、昔から交通の要衝。千曲川が流れ、
 城は、戦国時代に武田信玄の軍師・山本勘助が築城
・なる(存在)・古城→頭韻で「ふ」が「こ」と変化
音韻(O音・K音)の繰り返し
 →小諸なる 古城のほとり  雲白く 遊子悲しむ
  K音   K音(ふ→こ) K音K音  K音
  OOO音 OOOOO音  OO音
都を遠く離れた自らを旅人になぞらえ、旅人の感慨
 と漂泊の思い
を詠ったか←李白の詩を踏まえた表現
・遊子=旅人(=作者 → 東京〜仙台〜小諸)

・なす=…ような(に)(名詞・動詞に付く接尾語)
・繁縷=道端・田畑の雑草→春の七草
・萌ゆ=草木が芽を出す・芽ぐむ・芽吹く(ヤ下二)

・よしなし=手段・方法がない、できない、不可能だ
☆否定的表現→まだ春になりきらない侘しさを強調
・芭蕉の『奥の細道』(平泉)を踏まえた表現


☆雪が積もり真っ白に輝く掛布団に覆われたように、
 柔らかい曲線を描いて横たわる岡

          <太陽>
           ↓↓    <浅間山>
<山><山><山><山><山><山><山><山>
            <<城跡>><岡><宿>
< 畑 >< 畑 >     ↑<市街><市街>
----<街 道>----<街 道>--↑--<街 道>----
←←<千曲川>←←<千曲川>←↑←<千曲川>←←
             <<作者>><堤防>

※千曲川の南岸から、向こうの岡に建つ城跡を眺める

left★板書(+補足)★
【第二連】<古城からの春霞にかすむ眼下の遠景>
    (古城から遠くに見える田園風景)(午後)
                    (展開)
あたたかき  光はあれど
  ・(昼頃、小高い城址に上り、周囲を見渡すと)
   暖かい(春の)光はあるが

野に満つる  香(カオリ)も知らず
  ・野に立ち込める(春らしい若草の快い)香りも
   感じられない

浅くのみ 春は霞(カス)みて
  ・(遠く眼下の田園風景を見下ろせば)ただ浅く
   春霞みにかすんでいて

麦の色  はつかに青し
  ・(初夏に収穫を待つ畑に植えられた)麦の色が
   僅かに青い(のが見える)

旅人の  群(ムレ)はいくつか
  ・(日の傾くまで眺めていると)旅人(たちの姿
   もある。そ)の群れは、幾つかが

畠中の 道を急ぎぬ
  ・(日暮れが近づくからか、街道ではなく)畠の
   中の道を急いでい(るのが見え)た

▼〈まとめ〉
昼頃、小高い城址に上った旅人は、まだ春になりきら ない春霞で霞む田園風景を、眼下に眺めた

right★発問☆解説ノート★

・写実的・具象的な情景描写

・ロシアの小説家ゴーゴリの文(上田敏の訳)を踏ま
 えた表現


☆当然あってよいはずの春らしい香りが存在しない



・早春のイメージ

★視線の時間的変化
 第一連(近くの情景)→古城のほとりに一人佇む
   千曲川の南から北の岡に建つ城跡を眺める
 第二連(遠く視覚拡大)→小高い城址から見下ろす
   旅人の群れが道を急ぎながら、視界から遠方に
   消えていく
★時間の経過
 午前(第一連)→午後(第二連)→夕方(第三連)


☆薬売り・種物売り・教師だろうか、夕刻が近づいて
 いるのを気にしている(時刻を気にしながら急ぐ)
 →旅人の孤独な心を否応なしにあきたてる





left★板書(+補足)★
【第三連】<川沿いの宿で飲む濁り酒と旅情>
 (募る寂寥を濁り酒で癒やす旅人の思い)(夕方)
                    (結び)
暮れ行けば  浅間も見えず
  ・(時間が経過し)日が暮れて行くと、(北側に
   聳えていた)浅間山も見えなくなってきた

歌哀し  佐久の草笛
  ・(東の方では)歌が哀愁を帯びて(聞こえて)
   いる。佐久(の野で誰か)の(吹く)草笛が

千曲川  いざよふ波の
  ・(日が暮れてきたので、古城を下り)千曲川が
   ためらう(ように流れる)波の(打ち寄せる)

岸近き  宿にのぼりつ
  ・岸に近い(所にあり、泊まる予定だった)宿に
   上っ(て行っ)た

濁り酒  濁れる飲みて
  ・(宿に着いて、旅愁は募るばかりだった。その
   寂寥を癒そうと、一人で)濁り酒の濁っている
   のを飲んで

<草枕  しばし慰む>
  ・(草を枕に寝る)旅(の愁い)を、暫くの間は
   慰め(ることができ)た。

▼〈まとめ〉
日が暮れていくと、浅間山は見えなくなり、佐久から
哀しい調べも聞こえて、旅愁は募るばかりであった。
旅人は古城を下って川沿いの宿に行き、濁り酒を飲み
暫くは旅情を慰めることができた

right★発問☆解説ノート★


☆浅間=群馬・長野の県境にある2,568mの活火山
☆否定的表現の反復
    (悲しむ・萌えず・よしなし・光はあれど)
 →まだ春になりきらない春の侘しさに、旅の愁い
  かきたてられて、人生の寂寥を感じている
★倒置法…唐の草笛を詠んだ詩を踏まえた表現
☆視覚から聴覚へと、時間と共に変化
 →日が暮れて、眺望がきかなくなる
・千曲川=屈曲が多いことから命名。長野県東部を北
     に流れて信濃川となり、日本海へ注ぐ
・いざよふ=ためらう、進まないで止まりがちになる
 →まだ雪解け水が少なく、水量が増していず、川の
  流れが淀んでいる
・万葉集の柿本人麻呂の歌を踏まえた表現
・…つ(完了の助動詞)
・千曲川北岸の中棚温泉がモデル

・中国の陶淵明の詩を踏まえた表現
・濁り酒濁れる→同音反復→音律の効果



・草枕=旅(の仮寝)、旅愁・旅情・旅の愁い
☆濁り酒を飲んで、旅の寂寥や疲れを癒すのだが、
    ↓
 暫くの間だけで、酔いが醒めた後の寂しさは、以前
 にもまして強くなる → 寂しく心が満ち足りない





left★板書(+補足)★
〈主題〉
旅は人生そのものだという、旅人としての作者の愁い と悲しみが、時間の推移や情景の変化と共に深まって いく様を描く
    ↓
小諸にある古城を訪れた若き旅人は、山国のまだ春に
なりきらない侘しさに旅の愁いを覚え、人生における
旅愁・寂寥が募ってくる
のを感じ、千曲川の畔の宿で
一人濁り酒で慰める

right★発問☆解説ノート★
XX〈主題2…参考資料100字〉
小諸の古城を訪れた若い旅人は、まだ春になりきらな い山国の春の侘しさに、旅の愁いをかきたてられる。 旅人はその憂いを千曲川のほとりで、一杯の濁り酒で 慰めつつ、人生における旅愁・寂寥を感じている。





left★板書(+補足)★
〈参考1…〉
・雲白く 遊子悲しむ
 →李白の詩「友人ヲ送ル」を踏まえる
  「浮雲ハ遊子ノ意」(流れる雲は
            旅立つ君の心)

  「落日ハ故人ノ情」(沈む夕日は
            見送る私の心そのものだ)
・若草も 藉くによしなし
 →芭蕉の『奥の細道』(平泉)を踏まえる
  「国破れて山河あり、城春にして草あおみたり、
  と笠うち敷きて、時の移るまで涙おとしはべりぬ
・あたたかき  光はあれど
 →ロシアの小説家ゴーゴリの文(露上田敏の訳)を
  踏まえる
  「日は既に久しく、朗らかなる空にあがりて、
   野辺に温かき光はみてり
・歌哀し  佐久の草笛
 →唐の詩人・岑参(シンジン)の「胡茄歌」における
  辺境の異民族が吹く草笛を踏まえる
・千曲川  いざよふ波の
 →『万葉集』巻三、柿本人麻呂の「もののふの 八
  十宇治川の 網代木は いさよふ波の 行方知ら
  ずも」を踏まえる
・濁り酒…しばし慰む
 →中国の陶淵明の詩を踏まえた表現
  「己酉歳九月九日」に、  「濁酒且(シバラ)ク
   自(ミズカ)ラ陶(タノシ)ム」とある


〈参考2…作者の文学〉
明治30年(1897)近代詩の夜明けを告げる
     「若菜集」刊行(25歳)
     青春の情熱をみずみずしく謳い上げた。
         (前期浪漫主義…北村透谷)
            ・真の人間解放を目ざす
            ・透谷を慕う藤村
             →「若菜集」
明治39年(1906)後に、小説へと転じ「破戒」発表
     人間のあるがままの(真実の)姿を描こう
     とする自然主義の立場に立つ(34歳)
     「春」以後、目は自己の内面に向けられ、
     「家」「新生」が生まれた。人間の          (人間の醜い面ばかり描く…真)
            明治後期〜大正前期
              ↓↑
            ・漱石・鴎外…(知)
            ・耽美派…美
            ・白樺派…善
晩年   「夜明け前」が書かれ、「父とその時代」
     を追究した

〈付録〉14某高2年2末問題

【四】近代詩の歩みについて記した次の文の空欄に当
   てはまる言葉を答えよ。(八点)
 明治十五年に発表された『新体詩抄』は、和歌・俳
 句・漢詩などの( 1 )な詩を離れた新しい詩を
 求め、西洋の詩を模範として新しい詩のあり方を示
 そうとした。
 明治二十二年に森鴎外らによる訳詩集『於母影』が
 出て、新体詩は芸術的香りを高めた。明治三〇年に
 ( 2 )は内面の要求を情熱的かつ率直にうたっ
 た『若菜集』を発表した。それは日本の近代叙情詩
 の真の出発点となった。
 また上田敏は『( 3 )』によってフランスの象
 徴詩の紹介をした。形式・文体の上からみると伝統
 的な五七調・七五調の文語定型詩であったが、明治
 末期には北原白秋が文語自由詩を発表し、室生犀星
 が後に続いた。更に大正時代には、( 4 )が『
 道程』を、萩原朔太郎が『月に吠える』を出し、こ
 こに口語自由詩は真に完成し、自分の考え・感情を
 自由に表現する道が開かれた。
 そして昭和・現代では、詩人の個性に即して求める
 方向に進んでおり、散文詩なども書かれるようにな
 った。

right★発問☆解説ノート★
〈参考3…作者年譜〉
明治5年(1872)岐阜県馬籠村(中津川、当時は長野
     県)生まれ。7人兄弟の末っ子、
     父は国学者、生家は本陣問屋・庄屋の名家
     明治維新の改革で没落
明治14年(1881)上京、親戚・知人宅で成長
明治20年(1887)明治学院に入学、受洗
     父が(発狂?)郷里の座敷牢内で亡くなる
明治22年(1889)一高受験に失敗、文学に志す
     明治学院卒業後、北村透谷の影響を受け
     雑誌「文学界」に参加、詩や小説を発表
明治25年(1892)明治女学校の教師(20歳)
     教え子の佐藤輔子と恋(に悩む)、辞職
明治29年(1896)仙台の東北学院の教師
     新体詩(抒情詩)を書く
     兄の逮捕・透谷の自殺・母や愛する元教え
     子の病死→後に発表する「春」に描かれる
明治30年(1897)浪漫主義の詩集「若菜集」
     刊行(25歳)、青春の情熱を歌う詩は若者に
     熱狂的に受け入れられ、詩人・藤村の名は
     一躍有名になる(文壇登場)
    「初恋」初出は前年(明29)「文学界」10月号
★明治32年(1899)信州小諸義塾に赴任(27歳)
     国語と英語の教師。知人の紹介で秦冬子
     結婚(函館の問屋の三女、明治女学校卒)
     翌年に長女誕生、子にも恵まれ幸せな日々
     冬子の儲けた子は7人、6年間小諸に在住
<明治33年(1900)「旅情」>初出(28歳)
     雑誌「明星」創刊号では「小諸なる古城の
     ほとり」という題名ではなかった
明治34年(1901)詩集「落梅集」刊行
     「小諸なる古城のほとり」と題名を改める
明治38年(1905)上京。詩での現実の表現に限界を
     覚え、教師を辞めて東京で、本格的に小説
     に取り組む
明治39年(1906)自然主義文学の先駆「破戒」
     自費出版(34歳)
     栄養失調等で3人の娘失う
明治41年(1908)「春」発表 (「文学界」時代の
     青春の彷徨を描いた自伝小説)
明治43年(1910)四女出産後、妻の冬子死亡
    (4人の子を残される) 「家」刊行
大正2年(1913)藤村と子の面倒のため家事手伝いで
     同居の次兄の次女こま子と過ち、懐妊、
     子は養子に出し関係を断ち切る。苦悩から
     の逃避のため、フランスへ渡る(41歳)
     フランスで「桜の実の熟するとき」を執筆
大正5年(1916)帰国(第1次大戦のため)
     こま子と関係が再燃
大正6年(1917)慶應義塾大学文学科講師
大正7年(1918)「新生」発表
          (復活したこま子との
           関係に苦悩、清算する決意)
昭和3年(1928)前年創刊の婦人文芸誌『処女地』
     同人の加藤静子(32歳)と再婚(56歳)
昭和4年(1929)歴史小説「夜明け前」
    「中央公論」に連載。(父をモデルとした
     主人公の近代日本の胎動期、苦しみを書い
     た大作、幕末から明治へと移り変わり明治
     維新を迎える大混乱の時の様子が描かれる
昭和10年(1935) 〃 完成(63歳)
     文豪としての地位を確立(日本ペンクラブ
     初代会長・帝国芸術院会員)
昭和18年(1943)脳溢血(71歳)

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