left★原文・現代語訳★  
「古典現代語訳ノート」(普通クラス)
   (漢詩) 杜 甫

〈出典=『唐詩選』〉
・明の李攀竜(1514〜1570)の編
・唐代の詩465首を詩体別に集めた書物
・『唐詩選』は、李白・杜甫を初め
 初唐・盛唐の詩を重んずる

〈作者〉
・712〜770年 盛唐の詩人、字は子美
・並び称される李白(詩仙)に対し、詩聖と言われる
 →ことに律詩(八句の詩)に優れる
・社会と人生を直視し、その矛盾や苦悩を詠う
・著作 『杜工部集』(詩文)など
    『春望』『登岳陽楼』(詩)は有名

right★補足・文法★        
(漢詩)2019年6月(2021年10月改)


〈作者…補足〉(→参考資料)
712〜770(盛唐)、李白とともに唐代最高の詩人。
湖北省襄陽県の人であるが、洛陽に近い河南省鞏県で 生まれた。三十五歳ころまで、呉・越・斉・趙の間を 遊歴、この間に李白、高適と交わり、詩を賦したりし ている。役人として職に就いたり、解かれたり、左遷 されたり、また戦争に巻き込まれたりもした。
760年、剣南節度使の厳武に見出され、四川省成都 の郊外に草堂を建てて住んだ。この時期は杜甫の一生 の内で比較的平穏な時期であった。
765年厳武が死に、蜀の地が乱れた為、また貧と病 に苦しみながら、四川・湖北・湖南の地を流浪して、 770年湖南省耒陽県で不遇のうちに生涯を終えた

left★原文・現代語訳★  
〈漢詩の基礎〉
〇漢詩(近体詩)の形式
 ・絶句(四句) 五言絶句 (五字の句×四句)
         七言絶句 (七字の句×四句)
 ・律詩(八句) 五言律詩 (五字の句×八句)
         七言律詩 (七字の句×八句)
〇漢詩の構成
 ・絶句(四句) 起・承・転・結
 ・律詩(八句) 首聯・頷聯・頸聯・尾聯

押印(韻を踏む)
 =句末に同じ響きの語を置き、リズム音楽性を出す
 ・五言詩→偶数句末
 ・七言詩→偶数句末と第一句末(但し、例外あり)

対句(表現)
 2つの句・文などで
 ・文法構造・字数が同じ ・内容・語感が対応
 ※律詩では頷聯(第三・四句)と頸聯(第五・六句)

right★補足・文法★        
〈参考〉…唐詩の歴史区分
初唐 唐成立 (618年)〜    (7世紀)
盛唐 玄宗皇帝〜安史の乱    (8世紀前半)
中唐 安史の乱〜  (8世紀後半〜9世紀初頭)
晩唐 〜唐滅亡 (907年)    (9世紀)



全体の構成 @(首聯) A(頷聯)
B(頸聯) C(尾聯)
left★原文・現代語訳★  
  月 夜    杜甫
   月夜
   =月の夜

(首聯)
今夜 ?州月   閨中 只独看
  今夜フ州の月
  閨(けい)中只(た)だ独り看(み)るらん
  =今夜        (妻子が避難している)
   フ州の(空に輝く)月を、
   (妻も)部屋の中から
   ただ一人で見ている(こと)であろう。

(頷聯)

遥憐 小児女   未解 憶長安  (←対句)
  遥かに憐(あは)れむ小児女(しょうじじょ)の
  未だ長安を憶(おも)ふを解せざるを
  =(私が)遥か遠く(長安)から憐れに思うのは、
   小さな子供たちが
   長安(で軟禁されている父の身)を思いやる
   こともまだ理解できないこと(幼さ)だ。

   (頸聯)

香霧 雲鬟湿   清輝 玉臂寒  (←対句)
  香霧に雲鬟(うんくわん)湿(うるほ)ひ
  清輝に玉臂(ぎょくひ)寒からん
  =香しい(影絵が浮かび上がるような)夜霧の中で
   (妻の)雲のように豊かに(結い上げた)美しい
   髪は(しっとりと)潤い(黒々と艶があり)、
   清らかに輝く(月の)光を受けて
   玉のように美しい腕は
   (真っ白に)冷たく輝いていることだろう。

(尾聯)

何時 倚虚幌   双照 涙痕乾
  何(いづ)れの時か虚幌(きょくわう)に倚(よ)り
  双(なら)び照らされて涙痕(るいこん)乾かん
  =(一体)いつになったら
   誰もいない部屋の(窓の)カーテンに寄りかかり
   (妻と)二人並んで(月の光に)照らされながら
  (再会の)涙の痕を乾かすことができるのだろうか

right★補足・文法★        





・フ州=当時、杜甫の妻子が安史の乱(755〜763)を
 逃れて避難していた所。今の陝西省富県。
・閨=婦人の部屋






・小児女=当時、杜甫には二男二女があった
・当時、杜甫は長安で軟禁状態になっていた







・香霧=香(かぐわ)しい霧。花園や婦人の部屋に立ち  込める(シルエットを浮かび上がらせるような)霧
・雲鬟=雲のように美しく豊かな女性の髪(まげ)
 →髷=髪を頭頂に束ね、髻(もとどり)を結ったもの
    を折り返したり曲げたりした部分or髪形全体
・清輝=清らに輝く月の光
・玉臂=美しいひじ、玉のように美しい腕
☆夫を思う美しく愛おしい妻への気持ちを表現(?)



・虚幌=人気のない部屋の窓のとばり(カーテン)
☆妻との再会を心から待ち望む思いを表現(?)






left★原文・現代語訳★
〈要約→主題〉
▼軟禁されていた長安で月を眺めながら、地方に避難  していた小さな子どもを憐れみ、愛しい妻を思って  詠んだ詩

〈解説・鑑賞〉
757年(作者45歳)、安禄山の乱で捕まり、国都 長安で軟禁状態の時、遠く離れた家族を思って詠んだ 詩で、有名な「春望」もこの時期に作られた。

〈概要・表現〉
五言律詩(五字の句×八句)
・首聯・頷聯・頸聯・尾聯(起承転結)の構成
・押韻→看・安・寒・乾
・対句→頷聯(三句と四句)・頸聯(五句と六句)

〈参考〉
安史の乱=755〜763年、玄宗皇帝の晩年に、
 節度使(辺境警備のための軍団の統率者)の安禄山
 と史思明が起こした反乱。以後、唐の中央集権体制
 は弱体化し、盛唐時代は終焉する
 →8年間に及ぶ戦乱の3年目(作者46歳)の作品

right★補足・文法★    

〈参考〉…あるテキストより一部引用
今夜フ州の空にかかる月を、妻は閨で独り眺めている ことだろう。可哀そうな幼い子供たちは、父が長安で とらわれの身になっていることなど、まだ何もわかる まい。妻は豊かな髪を夜霧に湿らせ衣から出た美しい 白い肌は月の光に寒々と照らされていることだろう。 いつになったら、帳に寄り添って二人涙の乾いた顔を 月の光に照らす日が来るだろう。

「月夜」(YouTube 解説)
ヘンデル「協奏曲ト短調」

全体の構成 @(首聯) A(頷聯)
B(頸聯) C(尾聯)
left★原文・現代語訳★  
  春 望    杜甫
   春望
   =春の眺望

(首聯)
国破山河在  城春草木深  (←対句)
  国破れて山河在り
  城春にして草木深し
  =国都長安は(戦乱で)破壊されてしまったが、
   (自然の)山や河は(昔のまま変わらずに)あり、
   (荒廃した)城内にも春がやって来て、
   草木が深く生い茂っている(が、人影はない)。

(頷聯)

感時花濺涙  恨別鳥驚心  (←対句)
  時に感じては花にも涙を濺(そそ)ぎ
  別れを恨んでは鳥にも心を驚かす
  =(このいたましい)時世(を心)に感じては、
   (見て快い筈の)花を見ても涙を流してしまい、
   (家族との)別れを恨めしく思っては、
   (心慰む筈の)鳥(の声)にも心を驚かされる。

(頸聯)

烽火連三月  家書抵萬金  (←対句)
  烽火三月(さんげつ)に連なり
  家書萬金に抵る
  =(戦火を告げる)狼煙(のろし)は
   三ヶ月もの(長い)間、上がり続き、
   (家族からの)手紙は(なかなか届かないので)、
   (何万もの)金に相当するほど貴重に思われる。

(尾聯)

白頭掻更短  渾欲不勝簪
  白頭掻(か)けば更に短く
  渾(す)べて簪(しん)に勝(た)えざらんと欲す
  =(年をとり、白くなった)白髪頭は
   かくと(心労の為に)更に毛も短くなっていて、
   (役人が頭に付ける冠を止める)簪も、全く
   髪に挿せないほどになってしまったことだ。

right★補足・文法★        





・国=国都長安
・城=城壁に囲まれた、長安の街
安史の乱を指す(作者46歳)
☆無常なる人事と悠久の自然との対比





☆平和であれば、家族や友人たちと一緒に、美しい花
 を愛で、可愛いい小鳥のさえずりに耳を傾けたもの
 だが、戦時の現在では、それは叶えられそうにない






・烽火=戦を告げる狼煙(のろし)・戦火・戦争








・…ト欲ス=…しそうである
・…ニ勝エズ=…たえることができない
・簪=役人が頭に付ける冠を止める簪(かんざし)





left★原文・現代語訳★
〈要約→主題〉
▼757年、安史の乱で国都長安が荒廃した様を目に
 した時の、人の世の無常と悠久の自然との対比への
 感慨と、国や妻子を思う心労によって衰えた我が身
 への嘆き、を詠む               

〈鑑賞〉
757年(作者46歳)、国都の長安が荒廃した様を
見て詠った作品である。前半は変化する人の世と悠久
の自然
という眼前の景の対比による感慨を詠み、後半
国を憂い妻子を思う心労によって急に衰えた我が身
への嘆きを詠んで、結んでいる。

〈概要・表現・鑑賞〉
五言律詩(五字の句×八句)
・首聯・頷聯・頸聯・尾聯(起承転結)の構成
・押韻→深・心・金・簪
・対句→頷聯・頸聯だけでなく、首聯も対句である
「春望」(YouTube 解説)

right★補足・文法★    
〈参考〉
安史の乱=755〜763年、玄宗皇帝の晩年に、
 節度使(辺境警備のための軍団の統率者)の安禄山
 と史思明が起こした反乱。以後、唐の中央集権体制
 は弱体化し、盛唐時代は終焉する
 →8年間に及ぶ戦乱の3年目(作者46歳)の作品


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