left★原文・現代語訳★
「古文現代語訳ノート」(普通クラス)
   「十訓抄/祭主三位輔親の侍」

〈作品=『十訓抄』〉
〇鎌倉中期1252年成立
〇(内容)世俗説話集
 →史書・物語の教訓的な説話282話を十編に分類
 →平清盛・重盛などの美点を語る回顧的な性格

〈概要=「祭主三位輔親の侍」〉
〇王朝人の雅
 →祭主が、家の梅に来る鶯を見せようと時の歌詠み
  を招くが、一向に鶯が姿を見せないのを不審に思
  って侍に尋ねると、逃がさない為に鶯を射殺した
  と答えて風情を解さない侍に、驚き呆れて興覚め
  した、という説話         (→要旨)

〈全体の構成〉 (→要約→要旨)

【一】<家の梅に来る鶯を愛でる祭主>
七条の南、室町の東一町は、祭主三位輔親(さいしゅさんみすけちか)が家なり。
=七条の南で室町の東一町は、祭主の三位輔親の家で
 ある。

丹後の天の橋立をまねびて、池の中嶋をはるかにさし出して、小松をながく植えなどしたりけり。寝殿の南の廂をば、月の光入れむとて、ささざりけり。
=輔親は丹後の天の橋立をまねて、庭にある池の中の
 島を遠くに差し出すように造って、小松を長く植え
 たりなどしていた。寝殿の南の廂は、月の光を入れ
 ようとして、小屋根を差し出さなかったという。

春のはじめ、軒近き梅が枝に、鴬のさだまりて、巳の時ばかり来て鳴きけるを、ありがたく思ひて、それを愛するほかのことなかりけり。
=春の初め、軒に近い梅の枝に鴬が決まって午前十時
 頃にやって来て鳴いていたのを珍しく思って、それ
 を愛でて他の事は見向きもしない程であった。

【二】<鶯を待つ歌詠みと祭主>
時の歌よみどもに、「かかることこそ侍れ」と告げめぐらして、「明日の辰の時ばかりに渡りて、聞かせ給へ」と、ふれまはして、
=(それで)当時の有名な歌人たちに「こういうこと
 があるのです」と告げ回って、「明日の朝八時頃に
 お越しになって、お聞き下さい」とふれ回った。

伊勢武者の宿直してありけるに、かかることのあるぞ。人々渡りて、聞かむずるに、あなかしこ、鴬うちなんどして、やるな」といひければ、
=そして伊勢出身の侍で宿直していた者に、こういう
 ことがあるのだ。お客たちがやって来て聞く予定だ
 から、決して鴬を打ち叩くなどして、追いやったり
 するな」と言ったところ、

この男、「なじかは遣はし候はむ」といふ。
=この男は「どうして鶯をどこかに追いやったりしま
 しょうか、決して追いやりません」と言う。

輔親、「とく夜の明けよかし」と待ち明かして、いつしか起きて、寝殿の南面をとりしつらひて、営みえたり。
=輔親は「早く夜が明けてくれよ」と夜通し明けるの
 を待って、早く起きて寝殿の南側の部屋を接客する
 準備して、奇麗に整えることができた。

辰の時ばかりに、時の歌よみども集まり来て、いまや鴬鳴くと、うめきすめきしあひたるに、
=朝八時頃に当時の有名な歌人たちも集まって来て、
 今にも鴬が鳴くかと、ううんと苦心して歌を詠み出
 しすうすうと息づかいし合っているが、

さきざきは巳の時ばかり、必ず鳴くが、午の刻の下がりまで見えねば、「いかならむ」と思ひて、
=以前は午前十時頃に必ず鳴いた鶯が、正午を過ぎて
 も姿が見えないので、「どういうことだろうか」と
 思って、

【三】<鶯を射殺した侍に呆れる祭主たち>
この男を呼びて、「いかに、鴬のまだ見えぬは。今朝はいまだ来ざりつるか」と問へば、
=この男を呼んで、「どうしたのか、鴬の姿がまだ見
 えないのは。今朝はまだ来ていないのか」と尋ねる
 と、

「鴬のやつは、さきざきよりもとく参りてはべりつるを、帰りげに候ひつるあひだ、召しとどめて」といふ。
=この男は「鴬の奴は以前よりも早くやって参りまし
 たが、帰ってしまいそうでしたので、こちらに召し
 止めております」と言う。

「召しとどむとは、いかん」と問へば、
=「こちらに召し止めているとは、どういうことか」
 と輔親が尋ねると、

「取りて参らむ」とて立ちぬ。
=男は「取って参りましょう」と言って立ち去った。

「心も得ぬことかな」と思ふほどに、木の枝に鴬を結ひつけて、持て来たれり。
=「訳の分からないことだな」と思っていると、男は
 木の枝に鴬を結び(縛り)付けて持って来た。

おほかたあさましともいふはかりなし。「こは、いかにかくはしたるぞ」と問へば、
=全く驚き呆れてしまって、どうにも言い表しようが
 ない(程だ)。「これは、どうしてこうしたのだ」
 と尋ねると、

「昨日の仰せに、鴬やるなと候ひしかば、いふかひなく逃し候ひなば、弓箭(ゆみや)とる身に心憂くて、神頭をはげて、射落として侍り」と申しければ、
=「昨日の仰せで、鴬を追いやるなとのことでしたの
 で、ふがいなく逃がしましたならば弓矢をとる身と
 して情けなくて、矢を弓につがえて射落としたので
 す」と申したので、

輔親も居集まれる人々も、あさましと思ひて、この男の顔を見れば、脇かいとりて、いきまへ、ひざまづきたり。
=輔親も集まっていた人々も驚き呆れた事だと思い、
 この男の顔を見ると、男は脇に腕を組んで堂々と息
 荒くして跪いていた。

【四】<風情を解さない侍への興覚め>
祭主、「とく立ちね」といひけり。
=祭主の輔親は「早く立ち去れ」と男に言った。

人々をかしかりけれども、この男の気色におそれて、え笑はず。独り立ち、二人立ちて、みな帰りにけり。
=招かれた人々は滑稽に思ったが、この男の表情に恐
 れて笑うことができなかった。(そして)一人立ち
 二人立ちして、みんな帰ってしまった。

興さむるなどは、こともおろかなり。
=興覚めしたことなどは、どんな言葉でもとても言い
 尽くせない程であった。

※伊勢大輔=平安中期の女流歌人(?〜1062?)
 大中臣輔親の娘。20歳頃一条天皇中宮彰子に出仕
 献上された八重桜の受け取り役を紫式部から譲られ
 「いにしへの 奈良の都の 八重桜
        今日九重に にほひぬるかな」
 と一首を詠んで歌才を認められたという
 藤原頼通の時代には内裏歌合など多くの歌合に出詠
 後宮歌壇の中心として活躍。中古三十六歌仙の一人
 『拾遺和歌集』などの勅撰集に50余首入集
right★補足・文法★
(説話)2018年1月


〈作者〉
・未詳→六波羅二臈左衛門入道説がある


※大中臣輔親=平安中期の歌人(954〜1038)
 神祇官人で、祭主大中臣能宣の長男、伊勢大輔の父
 伊勢神宮祭主、後に神祇伯正三位に至る
 宮中・摂関家の歌壇で重用され、
 三条・後一条・後朱雀天皇の大嘗会和歌を詠進
 中古三十六歌仙の一人
 『拾遺和歌集』などの勅撰集に31首入集






・祭主=祭祀を主宰する人・伊勢神宮の神職の長
    中臣氏の世襲



・ささざりけり=小屋根を差し出さなかった
        格子戸を閉ざさなかった
・廂=@建物の壁から屋根が突き出ている部分、その
    他の小さな突き出しは「庇」と呼ぶ。軒★★
    日除け・雨除けの為に、窓・出入口・縁側の
    上に差し出した小さな屋根
(片流れ)
   A寝殿造りで、母屋の外側に張り出して付加さ
    れた細長い下屋部分。周囲に妻戸・格子戸を
    立て外に簀子縁を巡らす。廂の間・広縁・軒
   B帽子の額の上に突き出た部分、つば
・愛づ=(めづ・下二段)心惹かれる・魅せられる
    感動する・賞美する・称賛する・褒める











・宿直=(とのゐ)宮中などに宿泊して、勤務や警護
    すること・夜間に傍で仕え相手を務めること
・あなかしこ=ああ恐れ多い・もったいない
       ああ恐ろしい
       恐れ入ります・失礼ですが
       決して・ゆめゆめ(…禁止)
・うちなんどして、やるな=打ち叩くなどして
             追いやったりするな★★




・待ち得=待ち迎える、待ちに待って手に入れる
・待ち明かして=ようやく待った夜明けになって
        夜通し夜が明けるのを待って




・うめく=(「う」は擬声語、「むめく」とも)声に
     ならぬ声を出して嘆息する・ため息をつく
     うんうんと苦しみながら詩歌を詠み出す
     苦吟する
・すめく=すうすうと息づかいをする
 →苦心して歌を詠む?













・あひだ=(平安後期以降、接続助詞ふうに用いて)
     …の故に・…から・…ので(原因・理由)












・心得=(下二)理解/納得する・承知/用心する
    心得/たしなみがある



・言ふ計り無し=言う事は尽きない
        言い表しようがない




・神頭をはぐ=神頭の矢を弓につがえる
 →神頭=(じんどう)尖っていない矢じりの一種






・脇かいとりて、いきまへ=脇に腕を組み堂々として
        得意げで威勢良く息を吐き散らして
        弓を脇に挟んで息を荒く??★★













・疎か(なり)=いい加減だ・疎略だ・通り一遍だ
 →…とは疎か=言葉ではとても本当の事を言い尽く
  せない程だ・…と言ってもまだ言い足りない程だ
 →…は疎か=…は言うまでもなく・…どころか










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