left★原文・現代語訳★
「古文現代語訳ノート」(普通クラス)
和泉式部「和泉式部日記
/夢よりもはかなき世の中・薫る香に」
〈出典=「和泉式部日記」〉
〇平安時代中期(1007年頃)成立
〇作者 和泉式部
〇歌物語風の情熱的な恋の<歌日記>
〇内容 橘道貞と結婚するも夫婦仲が悪く、別居中に
為尊親王と親しくなるが、1002年に亡く
なってしまう。その死を悼む作者に翌年4月
故宮の弟敦道親王が使者を送り、以来二人の
恋愛が深まって行って親王邸に引き取られる
ことになるが、その10ヶ月の恋愛を描く
〈概要〉
〇為尊親王が亡くなった翌年(1002年)4月に、
その死を悼む作者へ、故宮の弟・敦道親王が使者を
送って、二人に愛情が芽生えて行く発端を描く
(→要約)
〈全体の構成〉 (→要約)
【一】<為尊親王の死を悼む日々>
<夢よりもはかなき世の中>を嘆きわびつつ明かし暮
らすほどに、四月十余日(うづきじふよひ)にもなり
ぬれば、木の下暗がりもてゆく。
=夢よりも儚い(今は亡き為尊親王との)男女の仲を
(いつも)嘆き悲しんで(日々を)明かし暮らすう
ちに、(陰暦)四月十日過ぎにもなったので、(葉
が多くついて)木の下が次第に暗くなってゆく。
築地(ついひぢ)の上の草青やかなるも、人はことに
目もとどめぬを、あはれとながむるほどに、
=築地(土塀)の上の草が青々としているのも、他の
人は特に目も止めないのに、しみじみとした思いで
ぼんやり眺めている時に、
近き透垣(すいがひ)のもとに人のけはひのすれば、
誰ならむと思ふほどに、故宮(こみや)に候ひし小舎
人童(こどねりわらは)なりけり。
=近くの透けた垣根の辺りに人の気配がするので、誰
だろうかと思っていると、亡き宮様(為尊親王)に
お仕えしていた小舎人童であったよ。
【二】<弟宮の使者からの花橘>
あはれにもののおぼゆるほどに来たれば、「などか久
しう見えざりつる。遠ざかる昔の名残にも思ふを。」
など言はすれば、
=しみじみ悲しくものが思われる頃に(小舎人童が)
来たので、「どうして長い間(姿を)見せなかった
のか。遠くなっていく昔の(亡き宮様との事を思い
出させる)名残とも(貴方のことを)思っているの
に」などと(侍女に)言はせると、
「そのことと候はでは、なれなれしきさまにやと、つ
つましう候ふうちに、日ごろは山寺にまかりありきて
なむ。
=「これといった用事もありませんでは、(お伺いす
るのは)馴れ馴れしく出過ぎた様だろうかと、遠慮
していますうちに(月日が経ち)、普段は(あちら
こちらと)山寺に参っておりました。
いと頼りなく、つれづれに思ひたまうらるれば、御代
はりにも見たてまつらむとてなむ、帥宮(そちのみや)
に参りて候ふ。」と語る。
=(宮様が亡くなって以来)あまり頼りとするものが
なく、することもなく手持ち無沙汰に思われますの
で、(亡き宮様の)お代わりにお世話し申し上げよ
うと(思って、弟宮の)帥宮様(の所)に参上して
お仕えしております」と(小舎人童は)語る。
「いとよきことにこそあなれ。その宮は、いとあてに
けけしうおはしますなるは。昔のやうにはえしもあら
じ。」など言へば、
=「(それは)とても良いことであるようだ。(しか
し、)その帥宮様は、とても上品で、よそよそしく
取り澄ましていらっしゃるそうだわ。昔の(宮様に
対する)ように(お仕えること)は必ずしも出来る
訳ではないだろう」などと(私が)言うと、
「しかおはしませど、いとけ近うおはしまして、『常
に参るや。』と問はせおはしまして、
=「(お噂は)そうでいらっしゃいますが、(実際の
帥宮様は)たいそう親しみやすくいらっしゃって、
(私にも)『(お前は)いつも(和泉式部の所に)
参上するのか』とお尋ねにいらっしゃって、
『参り侍り。』と申し候ひつれば、
=『参上します』と(私が宮様に)お答え申しました
ところ、
【三】<弟宮の帥宮に贈った歌>
『これ持て参りて、いかが見給ふとて奉らせよ。』と
のたまはせつる。」とて、
=『(それならば)これを持って(和泉式部の所に)
参上して、どのように御覧になるかと言って、差し
上げよ』と(帥宮様は)おっしゃいましたよ」と、
(子舎人童が)言って、
橘の花を取り出でたれば、「昔の人の」と言はれて、
=橘の花を取り出したので、「昔の人の」と(私は)
自然と口にして(しまった。すると)、
「さらば参りなむ。いかが聞こえさすべき。」と言へ
ば、言葉にて聞こえさせむもかたはらいたくて、
=「それならば(帥宮様の所へと)戻って参ります。
(帥宮様には)どう申し上げたらよいでしょうか」
と(子舎人童が)言うので、(文章の言葉)にして
申し上げるのも気恥ずかしいので、
「何かは。あだあだしくもまだ聞こえたまはぬを、は
かなきことをも。」と思ひて、
=「何と言おうか。(帥宮様は)浮ついているという
噂もまだされていらっしゃらないのに、たわいない
歌でも(差し上げておこう)」と(私は)思って、
<薫る香に> よそふるよりは ほとどぎす
聞かばや同じ 声やしたると
と聞こえさせたり。
=(花橘の)薫る香に、ことよせ(て昔の人を思って
い)るよりは、(花橘に鳴く)ほととぎす(の声が
聞きたいの)だ。(貴方の声も)聞いてみたいわ。
(兄宮様と)同じ声をしているのかと(思うから)。
と(帥宮への歌を詠み)申し上げた。
【四】<帥宮の返歌と返事しない和泉式部>
まだ端におはしましけるに、この童隠れの方に気色ば
みけるけはひを、御覧じつけて、
=(小舎人童が和泉式部の手紙を持って邸に戻ると、
帥宮は)まだ縁先にいらっしゃった(が、その)時
に、この童が物陰で(戻ったのを知らせるような)
意味ありげな様子をしていた気配を、お見つけにな
って、
「いかに。」と問はせ給ふに、御文(ふみ)をさし出
でたれば、御覧じて、
=「どうであったか」とお尋ねになるので、(和泉式
部の)お手紙を差し出したところ、(帥宮は)御覧
になって、
同じ枝(え)に 鳴きつつをりし ほととぎす
声は変わらぬ ものと知らずや
と書かせ給ひて、賜ふとて、
=同じ(花橘の)枝に鳴きながら共にいたほととぎす
(のようなもの)だ。(亡き兄宮と私は)声は変わ
らないものと(貴方は)知らないのか(それなら、
確かめてみては如何か)。
とお書きになって、(小舎人童に)お与えになろう
として、
「かかること、ゆめ人に言ふな。すきがましきやうな
り。」とて、入らせ給ひぬ。
=「こういうことは、決して他の人に言うなよ。好色
めいているようだ。」と言って、(帥宮は邸内に)
お入りになった。
もて来たれば、をかしと見れど、常はとて御返り聞こ
えさせず。
=(その歌を小舎人童が和泉式部の所へ)持って来た
ので、(和泉式部は)面白いと思って見るけれど、
常に(返事をするの)はどうかと思って、ご返事は
申し上げなかった。
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right★補足・文法★
(日記)2019年7月
〈作者〉
・和泉式部 大江雅致の娘、本名・生没年は未詳
→三人称で書かれていて、異説もある
・奔放な恋愛に生きた美人で、恋を情熱的に詠った
平安時代中期を代表する女流歌人
・エピソードが多い小式部内侍は娘 (父は橘道貞)
・世の中=男女の仲
→冷泉天皇の第3皇子為尊親王(敦道親王の兄)と
の仲が、前年(1002年)の6月の親王の死に
よって終わった
・四月十余日→親王の死の翌年(1003年)の4月
・故宮=帥宮の兄、為尊親王(ためたかしんのう)。
和泉式部と恋仲だったが、一年前に亡くなる
・小舎人童=貴族の家で、身辺の雑用を務める少年
→故宮に仕えていた少年で、現在は帥宮に仕える
・貴族女性は、侍女を経由して小声で会話した
☆遠ざかる昔→故宮との昔の思い出
・帥宮=大宰帥(大宰府の長官)を務める親王
→冷泉天皇の第3皇子で、
故宮の弟、敦道親王(あつみちしんのう)
・思ひ()たまう(補動・丁寧・下二段・ウ音便)
らるれ(自発)
☆登場人物は、故宮・帥宮の兄弟・小舎人童・作者
・…あ(あん→「ん」無表記)なれ(伝聞・推定)
・けけし=よそよそしい・取り澄ましている
・…なる(伝聞・推定)は(終助詞・詠嘆)
・気近し=近い・親しみやすい・打ち解けている
・五月待つ 花橘の 香をかげば
昔の人の 袖の香ぞする (『伊勢』)
=五月を待って咲く橘の花の香りをかぐと、
昔親しんだ人の袖の香りがすることだ。
★和泉式部が故宮をまだ思っているのか知りたくて、
帥宮は橘の花を贈ったのだろう
・よそふ=かこつける・ことよせる・譬える・比べる
→あるものに他のものを寄せて関係づける
・花橘の薫る香にかこつけて亡き宮様を偲ぶよりは、
ほととぎすの鳴く声のように貴方の声を聞きたい。
亡き宮様と同じ声をしているかどうか、と思って。
☆帥宮に会ってみたい、と和泉式部は言っている ?
・気色ばむ=様子を作る・意味ありげな様子をする
→それとなく合図をする(様子)
☆帥宮は和泉式部に会ってみないかと誘っている ?
☆亡き兄宮の妻だった人に、誘うような歌を贈る ?
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