left★原文・現代語訳★
「古文現代語訳ノート」(普通クラス)
世阿弥「風姿花伝/年来稽古条々」
〈作品=『風姿花伝』〉
〇室町中期1400年頃成立(略して『花伝書』)
〇世阿弥が父観阿弥の教訓をもとに書く
〇「年来稽古条々」(稽古の心得)・「物学(もの
まね)条々」(演じ方)・「問答条々」(芸道上
の心得)、猿楽の歴史、「花」「幽玄」の解説など
から成る
※幽玄=優雅な美で、舞台上で発現したものが花
〈概要〉
〇高度な芸能論(能楽書)
〇7歳〜50歳過ぎまでの年齢に応じた
生涯にわたる稽古の心得を説く。(→要旨)
〈全体の構成〉 (→要約→要旨)
【一】<無理せずに精進する稽古の心得>
十七、八より
=十七、八歳からより
このころはまた、あまりの大事にて、稽古多からず。
=この頃はまたやはり、あまりに大事な時期て、稽古
は多くないのが良い。
まづ、声変はりぬれば、第一の花失うせたり。
=先ず、声変わりしてしまうので、第一の花とも言う
べき声の美(魅力)が無くなってしまう。
体も腰高になれば、かかり失せて、過ぎしころの、声も盛りに、花やかに、易かりし時分の移りに、手立てはたと変はりぬれば、気を失ふ。
=身体も背が伸びて腰高になるので、(稚児の頃の愛
らしい)風情や趣が無くなって、過ぎた少年の頃の
声も盛りで見た目も華やかで何もかもが容易に魅力
となっていた時から変化していく時期で、今までの
能を演じる方法が急に変わってしまうので、失望す
るのだ。
結句、見物衆もをかしげなる気色見えぬれば、恥づかしさと申し、かれこれ、ここにて退屈するなり。
=挙句の果てに、観客たちも滑稽に思っているような
様子が見えてしまうので、演ずる方も恥づかしさが
あると申し、あれやこれやとあって、この時期で気
落ちして嫌になるのである。
このころの稽古には、ただ、指を指して人に笑はるるとも、それをば顧みず、内にては、声の届(とづ)かんずる調子にて、宵、暁の声を使ひ、心中(しんぢゆう)には願力を起こして、一期(いちご)の境ここなりと、生涯にかけて能を捨てぬよりほかは、稽古あるべからず。
=この頃の稽古では、ただもう人に指を指して笑われ
てもそれを気にせず、室内では声が届くような調子
で宵と暁それぞれに相応しい発声で稽古し、心の中
では神仏に願を立てて貫こうとし、一生の分かれ目
はここであると、生涯かけて能を捨てない決意をす
る以外には、稽古というものがあるはずはない。
ここにて捨つれば、そのまま能は止まるべし。
=ここで能を捨てれば、そのまま能の上達は止まるに
違いない。
【二】<声と姿の二つの幸運>
二十四、五
=二十四、五歳
このころ、一期の芸能の定まる初めなり。さるほどに、稽古の境なり。声もすでに直り、体も定まる時分なり。
=この頃は、一生の芸が確立する最初の時期である。
それ故、稽古の境目となるのである。声も既に元の
正常に戻り、体つきも成人として定まる時である。
されば、この道に二つの果報あり。声と身形(みなり)なり。これ二つは、この時分に定まるなり。
=だから、この能の道で二つの幸運な事がある。声と
姿である。この二つはこの時期に定まるのである。
年盛に向かふ芸能の生ずるところなり。
=全盛期に向かう芸が生じる所なのである。
【三】<一層精進すべき一時的な花>
さるほどに、よそ目にも、「すは、上手出いで来たり。」とて、人も目に立つるなり。
=それ故に、人目にも「そら上手な役者が現れた。」
と、観客も注目するのである。
もと名人などなれども、当座の花にめづらしくして、立ち合ひ勝負にも一旦勝つ時は、人も思ひ上げ、主(ぬし)も上手と思ひ染しむるなり。
=元は名声のあった演者などが競演相手であっても、
その場限りの新人の魅力に観客が清新さを覚えて、
その競演で優劣を競う勝負で新人が一時的に勝つこ
ともあり、その時は周囲の人も感心し本人も自分が
上手だと思い込むのである。
これも、まことの花にはあらず。年の盛りと、見る人の一旦の心のめづらしき花なり。
=これも本当の花ではない。年齢が若い盛りなのと、
観客が一時的に心で清新だと感じただけの花=魅力
なのである。
まことの目利きは見分くべし。
=物事の本質が見極められる観客は、この花が本物か
偽物かを見分けられるに違いない。
このころの花こそ初心と申すころなるを、極めたるやうに主の思ひて、はや申楽(さるがく)に側(そば)みたる輪説(りんぜつ)をし、至りたる風体(ふうてい)をすること、あさましきことなり。
=この頃の一時的な花こそ初心時代の未熟な芸と申す
段階であるのに、芸を極めたように本人が思って、
早くも能楽の正道から外れた変則的な演じ方をし、
最上の名人の域に達したような芸風を示そうとする
ことがあるが、これは嘆かわしいことである。
たとひ、人も褒め、名人などに勝つとも、これは一旦めづらしき花なりと思ひ悟りて、いよいよ物まねをもすぐにし定め、名を得たらん人に事を細かに問ひて、稽古をいや増しにすべし。
=たとえ人も褒め名人などに勝つことがあっても、こ
れは一時的な珍しいだけの花であると心で悟って、
ますます役になりきる演じ方もまともにしようと心
に決め、名声を得ているような演者に芸の事を細か
に聞いて、稽古に一層精進しなければならない。
【四】<一時的な花に惑う初心時代>
されば、時分の花をまことの花と知る心が、真実(しんじち)の花になほ遠ざかる心なり。ただ、人ごとに、この時分の花に迷ひて、やがて花の失するをも知らず。
=だから、若い年齢から生じる一時的な芸の美しさや
魅力を自分に備わった本当の花だと誤って思い込む
心が、真実の花から更に遠ざかっていく心なのだ。
ただ人は皆この一時的な花に惑わされて、すぐにそ
の花が失せてしまうことにも気付かない。
初心と申すはこのころのことなり。
=初心時代の未熟な芸と申すのはこの頃のことを言う
のである。
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right★補足・文法★
(評論)2017年10月(12月改)
〈作者=世阿弥〉
・室町中期(1363〜1443)
・能役者・謡曲作家
・「序破急」の作劇法・「夢幻能」の創造
・晩年、将軍の怒りに触れて佐渡に配流され不遇
※序破急=能・俳諧の導入・展開・完結の三段階
※夢幻能=実在しない霊をシテ(主役)とし、
死後の時点から生前を回想する形式で、
余情豊かな美的世界が広がる
・年来=長い年月
・条々=心得
・また=更に重ねて、その他に、同じように、やはり
・大事=重大な事柄、程度が甚だしい、大切である
←何故かというと
・花=芸の美しさ・魅力
・掛かり=(能楽論・歌論)風情・趣・言葉の調子
・はたと=ぴしゃりと(物が当たる)・きっと(睨み
つける)・急に・突然
・気=心の動き・状態・性質、気持ち・気分・感情、
根気・正気・意識・気迫・生気
・結句=起承転結の最後の句。結局、挙句の果て
・をかし=滑稽だ
・見ゆ=見える・見られる(見せる)
・退屈=物事に飽きて嫌になる、気落ちする
・ただ=ただもう、むやみに、全く
・顧みる=振り返って後ろを見る、 気にかける、
心に留める
・宵、暁の声…=宵・暁が稽古の時間(?)
・願力=神仏に願を立てそれを貫こうとする意気込み
・さるほどに=そうしているうちに、ところで、さて
・されば=それ故、ところで
・果報=報いが良い事、幸運な事
・年盛=(としざかり)全盛期
・すは=そら、それ、あっ
・目立つ=特に人目につく
→目に立てる(←下二)=注目する
・名人=一芸一道を極めた人
・当座=その場、その時限り
・珍し=賞美する(愛づ)に相応しい、素晴らしい、
めったにない、目新しい、清新だ
・立合勝負=複数の演者が同じ舞台で同時または交互
に競演すること
・一旦=一時的に、一先ず、一度
・目利き=物の真髄(本質)・価値を判断する能力が
あること(人)
・初心=初学・未熟者。(能楽論)若年に学んだ芸の
経験、未熟な芸
・側む=横を向く、正道から外れる、片寄る、見向き
もしなくなる、よそよそしくなる
・輪説=雅楽で変則的な奏法をする
・至る=ある地位・時に達する、極点に達する、
極まる・最上の状態に達する
・風体=身なり、姿、外見。詠風、芸風、様式。
・あさまし=意外で驚く・驚き呆れる・嘆かわしい
・物まね=(能楽論)対象である実物をまねて演じる
こと、その役になりきること。声音や身振りなどを
まねること
・すぐ=真っ直ぐだ・まともだ・正直だ
・いや(弥)=(接頭)だんだんと甚だしくなる、
いよいよ、ますます
・時分の花=世阿弥の能楽論で、演者の年齢・肉体の
若さによって生じる芸の美しさ・魅力。当座のもの
で、一時的に珍しがられる芸の魅力
・なほ=それでもやはり、依然として、いっそう、
その上にまた、再び
・毎(ごと)=その動作をする度に、そのいずれもが
→人ごと=人はみな、誰でも皆
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