left★原文・現代語訳★
「古文現代語訳ノート」(普通クラス)
   「平家物語/忠度の都落ち」

〈作品=『平家物語』〉
〇鎌倉前期(中世)1219〜1243年頃成立
軍記物語
 →栄華と権勢をを極めた平家一門だったが、
  源氏に追われ西海に滅亡する栄華盛衰の物語
 →第一部は平清盛、第二部は木曽義仲、
  第三部は源義経、最後は建礼門院を中心に描く
〇仏教的無常観(諸行無常・盛者必衰・因果応報)
 →無常な人間と常住の自然
和漢混交文(文体)
 →合戦場面は漢文体
 →哀調を伴う王朝的な場面は、繊細優美な和文体
 →七五調(韻律)、対句・縁語・掛詞
琵琶法師の琵琶の伴奏「平曲」
 によって語られた
〇後の軍記物語・能・狂言・浄瑠璃・歌舞伎にも影響

〈概要〉
〇源平合戦での非業の死を前にして風雅の道に徹する
 忠度の生き方と、それを偲んで俊成が「千載集」に
 入集(1187年)した忠度の歌。

〈時代背景〉
〇平安末期、混乱
 平家が衰退、滅亡へと進む

〈主人公=薩摩守忠度〉
・熊野別当の娘と結婚
 →若い頃は熊野で育つ
・勇猛な武将(平家きっての武勇の人
 優れた歌人(風流人事の人)
 →当時の歌の権威である俊成の門弟
  平家一門は歌の才能、多くの歌詠みと交流
・都落ちの翌年、一の谷の合戦で討ち死に(41歳)

〈全体の構成〉 (→要約→要旨)

【一】忠度の来訪と俊成との対面

薩摩守忠度は、いづくよりや帰られたりけん、
=(都落ちした)薩摩守忠度は、どこから(都に)お
 帰りになったのだろうか、


侍五騎、童一人、わが身ともに七騎取つて返し、五条三位俊成卿の宿所におはして見給へば、門戸を閉ぢて開かず。
=侍五騎、童一人、自分と全部で七騎で(都へ)引き
 返し
、五条三位俊成卿の邸にいらっしゃってご覧に
 なると、邸の門は閉じて開かない。

「忠度。」と名のり給へば、「落人帰り来たり。」とて、その内騒ぎ合へり。
=「忠度であります。」とお名乗りになると、「落武
 者が帰って来た。」と言って、邸内の者が騒ぎ合っ
 ている。

薩摩守馬より下り、みづから高らかにのたまひけるは、
=薩摩守は馬から下り、ぞ自身で声高らかにおっしゃ
 ったことには、

「別の子細候はず。三位殿に申すべきことあつて、忠度が帰り参つて候ふ。門を開かれずとも、この際まで立ち寄らせ給へ。」とのたまへば、
=「特別の事情はございません。三位殿に是非とも申
 し上げたいこと
があつて、忠度が帰って参ったので
 あります。門をお開きにならなくとも、この門の近
 くまでお出ましになって下さい。」とおっしゃると

俊成卿、「さることあるらん。その人ならば、苦しかるまじ。入れ申せ。」とて、門を開けて対面あり。事の体、何となうあはれなり。
=俊成卿、「然るべき事情があるのだろう。その人な
 らば、差し支え(不都合)あるまい。お入れ申し上
 げよ。」と言って、門を開けてご対面になる。その
 場の様子は、言いようもなく感慨深いものがある。

【二】忠度の述懐

薩摩守のたまひけるは、「年ごろ申し承つてのち、おろかならぬ御事に思ひ参らせ候へども、
=薩摩守がおっしゃったことには、「長年の間、和歌
 のご指導
を頂いて後、あなた様をおろそかに存じ上
 げていたのではありませんが、

この二、三年は、京都の騒ぎ、国々の乱れ、しかしながら当家の身の上のことに候ふ間、疎略を存ぜずといへども、常に参り寄ることも候はず。
=この二・三年は、京都の騒動や地方の諸国の動乱が
 起こり、それが全て当家(平家一門)の境遇に関す
 る事でありますので、おろそかに存じ上げませんと
 いっても、いつもお傍近くに参上することもありま
 せんでした。

君すでに都を出でさせ給ひぬ。一門の運命、はや尽き候ひぬ。
=我が君(帝)は既に都をお出ましになりました。平
 家一門の運命は、もはや尽きてしまいました。

撰集のあるべき由承り候ひしかば、生涯の面目に、一首なりとも御恩をかうぶらうど存じて候ひしに、やがて世の乱れ出できて、その沙汰なく候ふ条、ただ一身の嘆きと存じ候ふ。
勅撰和歌集の編集があるだろうという事をお聞きし
 ましたので、我が生涯の名誉として、一首であって
 もあなた様のご恩情をこうむって入集させて頂きた
 い
と存じ上げておりましたのに、すぐに世に源平の
 内乱が起こって、その編集のご命令がありませんこ
 とは、ただもう私一身にとっての嘆きと思い申し上
 げております。

世静まり候ひなば、勅撰の御沙汰候はんずらん。
=世が静まりましたならば、勅撰和歌集のご下命があ
 りましょう。

これに候ふ巻き物のうちに、さりぬべきもの候はば、一首なりとも御恩をかうぶつて、草の陰にてもうれしと存じ候はば、遠き御守りでこそ候はんずれ。」とて、
=ここにあります巻物の中に、相応しい歌がありまし
 たならば、一首であってもあなた様のご恩情をこう
 むって勅撰集に入集させて頂いて
、草葉の陰(私が
 死んだあの世)であっても嬉しいと存じましたなら
 ば、遠いあの世からあなた様をお守り申し上げるこ
 とに致しましょう。」と言って、

日ごろ詠み置かれたる歌どものなかに、秀歌とおぼしきを百余首書き集められたる巻き物を、今はとてうつ立たれける時、これを取つて持たれたりしが、鎧の引き合はせより取り出でて、俊成卿に奉る。
=普段からお詠みなっておいた数々の歌の中で、秀歌
 と思われるものを百首余り書き集めなさっていた巻
 物を、もはやこれまでと思って都を出立された時、
 これを取り出して携えていらっしゃたが、(その巻
 物を)鎧の引き合はせから取り出して、俊成卿に差
 し上げる。

【三】俊成の約束(と二人の別れ)

三位これを開けて見て、「かかる忘れ形見を賜たまはりおき候ひぬる上は、ゆめゆめ疎略を存ずまじう候ふ。御疑ひあるべからず。
=三位はこれを開けて見て、「このような忘れ形見を
 頂いておきました上は、決して疎かにはいたさない
 つもりです。お疑ひなさいますな。

さても、ただ今の御渡りこそ、情けもすぐれて深う、あはれもことに思ひ知られて、感涙おさへがたう候へ。」とのたまへば、
=それにしても、この度の大変な時のご来訪は、風雅
 な道にかけるお心
もとりわけ深く、しみじみとした
 思いも一段と感じられので、感動の涙をこらえるこ
 とができません。」とおっしゃると、

薩摩守喜びて、「今は西海の波の底に沈まば沈め、山野にかばねをさらさばさらせ。浮き世に思ひ置くこと候はず。さらばいとま申して」とて、
=薩摩守は喜んで、「今となっては西海の波の底に沈
 むのならば沈んでもよい
、山野に屍をさらすのなら
 ばさらしてもよい。辛い世の中に思い残すことはあ
 りません。それではお別れ(の挨拶)を申し上げて
 参ります(失礼します)。」と言って、

馬にうち乗り、甲の緒を締め、西をさいてぞ、歩ませ給ふ。
=馬に乗り、甲の緒を締め、西に向かって(西を目指し
 て)、馬を歩ませなさる。

三位後ろをはるかに見送つて立たれたれば、忠度の声とおぼしくて、
=三位がその後ろ姿を遠くになるまで見送つてお立ち
 になっていると、忠度の声と思われる声で、

「前途程遠し、思ひを雁山の夕べの雲に馳す。」と高らかに口ずさみ給へば、
=「これから先の行程は遠い、(途中で超える)雁山
 に浮かぶ夕べの雲に(別れが悲しい)我が思いを馳
 せる。」と声高らかに吟じなさるので、

俊成卿いとど名残り惜しうおぼえて、涙をおさへてぞ入り給ふ。
=俊成卿はますます名残り惜しく思われて、涙を抑え
 て邸内にお入りになる。

【四】戦乱後の後日談(勅撰集入集)

その後、世静まつて、千載集を撰ぜられけるに、忠度のありさま、言ひ置きし言の葉、今さら思ひ出でてあはれなりければ、
=その後、世が静まつて、(俊成卿は)「千載集」の
 編集で歌をお選びになった時に、(自分に巻物を託
 しに来た)忠度の(生前の)有様や言い残した言葉
 を、今改めて思い出してしみじみと感慨深かったの
 で、

かの巻物のうちに、さりぬべき歌いくらもありけれども、勅勘の人なれば、名字をばあらはされず、「故郷の花」といふ題にて詠まれたりける歌一首ぞ、「よみ人しらず」と入れられける。
=(忠度が託した)例の巻物の中に、ふさわしい歌は
 何首もあったけれども、帝のお咎めを受けた者であ
 るので、姓名は明らかになさらず、「故郷の花」と
 いう題で忠度がお詠みになっていた歌一首だけを、
 「詠み人知らず」として入集なさった。

さざ波や  志賀の都は  荒れにしを
      昔ながらの  山桜かな
=(さざ波が寄せる)志賀の都は(古京となり)荒れ
 てしまったが、長良山では昔のままに美しく咲いて
 いる山桜だなあ

その身朝敵となりにし上は、子細に及ばずといひながら、恨めしかりしことどもなり。
=忠度はその身が朝廷の敵となってしまった以上は、
 (細かい事を)とやかく言うことではないとはいう
 ものの、残念だった事の一つである。
                   (巻第七)

〈補足→巻九『忠度の最期』〉
・一段と武人らしく剛勇に描かれる
・「あないとほし、武芸にも歌道にも達者にておはし
 つる人を」と、その死が惜しまれている

※別れに際し、忠度が朗読した詩句
       シ  ス  ヒヲ       ノ ニ
前 途 程 遠  馳 思 雁 山 之 暮 雲
          二           一
       カナリ ス  ヲ         ノ  ニ
後 会 期 遥  霑 纓 於 鴻 臚 之 暁 涙
          二            一
           (大江朝綱『和漢朗詠集』)
(注)
 雁山=中国山西省にある山
 後会期遥カナリ=もはやいつ会えるかも分からぬ
 霑=うるほす
 纓=(えい)冠の紐
 鴻臚=外国の使者のための宿泊用の鴻臚館
(解説)
 唐の使者の帰国に際し、送別の情を述べたもの
 →忠度は、自身の旅立ちの情を託して、朗詠
 →後に続く「後会期遥カナリ」と言おうとした
 =詩句の一部を吟じて後の句は口にせず、
  余情を込める奥ゆかしい心遣い
 →俊成は、忠度に既に討ち死にの覚悟のあることが
  うかがえる
ので深いあわれを思わずにいられず、
  涙をおさえて後姿を見送ったのである。

※(「さざ波や 志賀の都は……」の歌について)
 藤原為業邸での歌合の折の題詠
 →大津の旧都は、柿本人麻呂(7C)の名歌(『万
  葉集』)以来、王朝和歌でも歌い継がれる
 →無常を詠んだ感傷的な歌だが、
  美しい調べ(31音のうち18音がア音)の歌
 =声調美を重んじた俊成は、
  『古来風体抄』でも例歌として挙げる
right★補足・文法★
(物語)2016年1月(2017年10月改)


〈作者→未詳〉
・信濃前司行長が作り、生仏(琵琶法師)に語らせた
 と『徒然草』にあるが、異説も多い
・原型が、多くの人を経て、現在のものが成立
 →語られるに従って異同が生じ、
  巻数・内容の差異から多くの異本

〈「忠度の都落ち」粗筋〉
平家一門は、木曽義仲の軍に敗れ西国へと落ちて行った。しかし、忠度は危険を顧みずに途中から都へ引き返し、歌の師である藤原俊成に自らの歌集一巻を託した。そして、翌年の一の谷の合戦(1184年)で非業の死を遂げたのだった。俊成は、死を前にして風雅の道に徹する忠度に感動して、「千載集」編集の際に朝敵として死んだ忠度の歌を一首「詠み人知らず」として入集させたのだった。(1183〜1187年

〈主題〉
風雅の道のために名を惜しむ武将忠度の優雅な姿と、
和歌にまつわる忠度と俊成との交情の美しさ




 桓武天皇----平忠盛----清盛----重盛
          |--  |--
          |--  |--
          |--  |--
          |--忠盛|--
              |--徳子(建礼門院)
                 |
                 |--安徳天皇
                 |
               高倉天皇



都落ちする途中の平家武将
 →『源平盛衰記』では「淀の河尻」から
・いづくよりや帰られたりけん=(どこから)+疑問
 +(帰ら)+尊敬+完了+過去推量
 →係り結び=や……けん(連体形)→疑問文
・童武者=元服前の童形の十十従者
騒然とした都へ僅かな手勢で引き返すのは命懸け
 =これを最期と思い切った悲壮な覚悟
 =自分の歌が埋もれてしまうのを残念に思う
・促音便「つ」=取つて返し←取りて返し
・五条三位俊成卿藤原定家の父、俊成。歌壇の重鎮
 当時七十歳
・おはす=いらっしゃる(「行く・あり」の尊敬
・見給ふ=ご覧になる(←決まった言い方がある時)
→都は無政府状態→危害
 or朝敵を邸内に入れたら、お咎めを覚悟
 =都落ちをする平家の者どもが来て、何か災いをす
  るのかと恐れ騒いだ

→下馬の礼=戦う意思のないのを伝える
→貴人の訪問では、従者がまず訪問の次第を伝えるの
 がだが→差し迫った事がある様子


・子細=(詳しい)事情、(特別の)理由、一部始終
 事細かなこと、差し支えとなる事柄、異議
・候ふ=あります、ございます(「あり」の丁寧)
→このままでは勅撰集への入集はかなわないが、歌人
 として生きた己の存在を世に残しておきたい
と強く
 思った=歌にかける並々ならぬ情熱
 →それを察して迎え入れる俊成の思い

→都落ちの最中にも訪ねて来るのは余程の事→事情
=和歌の師弟関係→安否を心配
 →門弟である以上、咎めを受けても構わない
 →風雅の道を志すたしなみのある武人であることを
  知っていた(信頼・思いやり)
=歌壇の大御所→落ち着いて堂々とし、立派な度胸
 ある人物

→都落ちでの対面→語り手(作者)の感想


・申し承る=こちらからお願い(尋ね)申し上げ
      ご指導をお受けする
・おろかなり=おろそか・疎略・いいかげんだ
・思ひ+参らせ(謙譲)+候へ(丁寧)+ども(逆)
→「和歌を疎略に思わない」の解釈も
→師・俊成への深い敬意と歌道への思い

優れた武人として描かれる一門の責任ある者の気概
・しかしながら=(副詞)そっくりそのまま、全て、
 結局←しか(副詞)+し(強意)+ながら(接助)
=形式名詞→軍記などの和漢混交文では、接続
 助詞(原因・理由=……ので、から)
のように使う
→武勇に優れ、戦陣の最前線に立つ


→君=安徳天皇
・出で(下二)+させ(尊)+給ひ(尊)+ぬ(完)
→都へ二度と戻ることはない、と考えている


撰=詩歌・文章を「選」びぬいて書物にまとめること
→忠度は俊成のご恩を受けて一首だけでも勅撰和歌集
 に入れてもらおうとした→歌人としての栄誉
・やがて=すぐに、そのまま
・沙汰=指図、命令、処置、訴訟、評判、噂
条=(形式名詞)……のこと
・一身=全身、自分の体全体
 →体全体で感じる我が身にとっての甚だしい嘆き




→世が平穏に=平家の滅亡
・候は(丁寧)+んず(推量)+らん(現在推量)
 =「候は(丁寧)+ん(推量)」を強めた言い方

・さり+ぬ(強意)+べき(当然)+もの
 =勅撰和歌集に入れるのに適当な歌
二度繰り返し→強い願い=歌道に対する執着心
・草葉の陰=墓の下、自分が死んだあの世→死の覚悟
・んず=「む」を強めたもの
・遠き御守りで→「で」=「にて」が中世初めに変化





→当時の歌詠みは、日頃自分が詠んだ歌を書き留めて
 おくのが習慣→選んでもらうため
 →都落ちに際して懐に入れる
 →歌詠みとしての全てが込められている
→もうこれが最後の門出と意を決し
・鎧の引き合はせ=胴を合わせる所







→忘れずにいてもらうために、残した忘れがたい品。
 「形見」に「難し」の意を含む ・ゆめゆめ(副詞)〜まじ(打消意思)
 =決して〜ないつもりだ
・御疑ひ+ある+べから(命令)+ず


・さても(接)=話題を転ずる時に発する語
・ただ今=(「今」を強める)目下、いま現在、
     こんな大変な時
・御渡り=身分の高い人がいらっしゃる、ご来訪
・思ひ知る=身にしみて分かる
 →都落ちする有為転変のはかなさや死の覚悟を、
  嘆く俊成の気持ち

→・念願かなった晴れ晴れとした気持ち(喜び)
 ・決然とした文句→武人忠度の躍如たる姿
・西海=瀬戸内海や九州の海 ・さらす=野晒しにする
・浮世(憂き世)=悲しみや苦しみに満ちた辛い世。
         「無常の世の中」ではない
・いとま=別れ(を告げること)、別れの挨拶



・緒=(細い)ひも
→再び颯爽と戦陣に向かう姿
 →歌人忠度から武人忠度への変化(戻る)
→平家一門は既に西国へ落ちていた






→別れに際し、詩句を朗読
 =再会し難いことを悲しむ気持ち
 →引用の詩句の、省いた後半部に思いを託している
 →風流人事を弁えた人物であることを重ねて強調
・馳す=(サ下二)走る・走らせる

→最も美しいクライマックス
 =一門の後を追う忠度の後姿を見送って立つ
  俊成の耳に、遥かに吟ずる朗詠が聞こえる、
  という絵を見ているかのような場面



→1185年、壇ノ浦の合戦で平家が滅び、
 一応世間が治まった
・『千載集』=7番目の勅撰和歌集(1187年)。
 →「八代集」(古今・後撰・拾遺・後拾遺・金葉・
  詞歌・千載・新古今和歌集)の一つ。
→『千載集』の成る3年前(1184年)、
 一の谷の合戦で戦死


→その折の約束を果たそうと思って、読んでみると
→勅撰集に入れるのにふさわしい
・勅勘=勅命による勘当→朝敵
 →平家追討は、後白河院の勅命による
・故郷=古京→当時の都だった京都に対して、
 古く都だった所(天智天皇の志賀の都)を指す
・「花」=桜
・詠み人知らず=作者不明


※枕詞=特定の語に掛かる、五音以下で訳は不要の語
 →さざ波や=琵琶湖南西岸の志賀・大津・比良など
  に掛かる→細かに立った波の寄せてくるイメージ
※掛詞=同音異義で、一語に二つ以上の意味がある語
 →ながら=昔「のままで」+桜の名所「長良山」

・子細に及ばず=とやかく言うことではない(言える
 ものではない)、かれこれ言うまでもない
・及ばず=〜する所まではいかない、〜できない
・恨めしかり=残念だ、心残りだ(力及ばぬ不本意な
 事態に対しての嘆き)→作者の思い
名を伏せて、一首しか入集
     ←風雅の道に執着する忠度のたっての依頼
 →忠度の無念を思い(同情し)、
  作者がその身になって嘆く
 →物語を聞いた人・読んだ人の思いを、
  語り手(作者)の言葉が代弁

X〈構成〉
【一】
平家一門が都を落ちた後、薩摩守忠度はわずか七騎で引き返して来て、歌の師である五条三位俊成の邸宅を訪れた。俊成は忠度と知って、快く対面する。
【二】
X忠度は無音を謝し、勅撰集の撰進が沙汰やみになったのを残念に思い、撰がある際は自分の和歌を採択してほしいと懇願して巻物を俊成に託した。
【三】
X俊成は忠度の歌道執心に感動して涙し、承知の旨を伝えると、忠度は宿願を果たして晴れ晴れと心も軽く決別の詩句を吟じ、再び西へ落ちて行った。
【四】
後日、俊成は忠度の遺志をくんで、巻物の中から一首を選び、よみ人知らずとして『千載集』に採録した。

X〈板書〉
自分の歌が埋もれてしまう
 →残念--悲壮な覚悟
    ↓
戦乱--勅撰集--沙汰やみ
 →歌人としての名誉
    ↓
忠度の述懐--詠草を託す
    ↓
詩句を口ずさみ--再び西へ
    ↓
後日談-戦乱あけ-勅撰の沙汰
 →一首だけ、詠み人知らず


貴方は人目の訪問者です。