left★原文・現代語訳★   
(古文現代語訳ノート……普通クラス)
   「平家物語/木曽の最期」

〈出典=『平家物語』〉
鎌倉前期(中世)1219〜1243年頃成立
軍記物語 (の代表作)
 →栄華と権勢をを極めた平家一門だったが、
  源氏に追われ西海に滅亡する栄華盛衰の物語
 →第一部は平清盛、第二部は木曽義仲、
  第三部は源義経、最後は建礼門院を中心に描く
〇仏教的無常観(諸行無常・盛者必衰・因果応報)
 →無常な人間と常住(永遠)の自然
和漢混交文(文体)
 →合戦場面は漢文体
 →哀調を伴う王朝的な場面は、繊細優美な和文体
 →七五調(韻律)、対句・縁語・掛詞
琵琶法師の琵琶の伴奏「平曲」
 によって語られた
〇後の軍記物語・能・狂言・浄瑠璃・歌舞伎にも影響

〈時代背景〉
〇平安末期、混乱
 平家が衰退、滅亡へと進む

right★補足・文法★   
(軍記物語)2018年4月(2022年3月改)


〈作者〉
・未詳
信濃前司行長が作り、生仏(琵琶法師)に語らせた
 と『徒然草』にあるが、異説も多い
・原型が、多くの人を経て、現在のものが成立
 →語られるに従って異同が生じ、
  巻数・内容の差異から多くの異本




        
全体の構成 【一】(起)その日の木曽殿の装束と名乗り 【二】(承)敵の軍勢との最後の戦
【三】(転)木曾殿と今井の主従二騎 【四】(結)木曽殿と今井の最期
left★原文・現代語訳★   
〈解説〉
後白河法皇の子である以仁王の令旨に応じて、諸国の 源氏が平氏打倒の為に挙兵することになった。最初に 入京したのは、信州木曾で成人した木曽義仲だった。 1183年の事だが、粗暴な行動の多い義仲は、都の 人々の反感を買い、後白河法皇の信頼も失い、都から 追われることとなる。1184年、鎌倉にいる源頼朝 の差し向けた源範頼や源義経が率いる軍勢と戦って、 敗れてしまう。木曽義仲は、部下と共に都から逃げて いくことになり、粟津の戦で最期を遂げたのだった。
right★補足・文法★   

left★原文・現代語訳★   
〈授業の展開〉

【一】その日の木曽殿の装束と名乗り

〈木曽殿の装束〉

木曾左馬頭、その日の装束には、
=木曾左馬頭(義仲)は、その日の装束には、

赤地の錦の直垂(ひたたれ)に唐綾威(からあやをどし) の鎧着て、鍬形(くはがた)打つたる甲の緒締め、厳物 (いかもの)作りの大太刀はき、石打ちの矢の、その 日のいくさに射て少々残つたるを、頭高(かしらだか) に負ひなし、滋籐(しげどう)の弓もつて、
=赤池の錦の直垂(の上)に唐綾威の鎧を着て、鍬形  を打ち付けた甲の緒を締め、厳めしく立派に作った  太刀を腰につけ、石打ちの矢で、その日の戦に射て  少し残ったのを、 (矢が)頭より高く出るように  背負い、滋籐の弓を持って、

聞こゆる木曾の 鬼葦毛(おにあしげ)といふ馬の、
きはめて太うたくましいに、金覆輪(きんぷくりん) の鞍置いてぞ乗つたりける。
=世に名高い木曾の鬼葦毛という馬で、 非常に太く  たくましいのに、金で縁取りした鞍を置いて乗って  いた。

right★補足・文法★   




・木曾左馬頭=源義仲(1154〜1184)
 →木曾=信濃国(長野県)南西部
 →左馬頭=左馬寮の長官


・直垂=(鎧の下に着る)鎧直垂
・唐綾威の鎧=中国渡来の綾織りの絹を重ねて綴った        立派な鎧
・厳物作りの大太刀=厳めしく立派に作った大太刀
・佩(は)く=腰に付ける
・石打ちの矢=鷲などの尾の羽を付けた、大将用の矢
 →石打ちの矢の(同格=…で)…残ったる(もの)を
・頭高に=箙に入れた矢の先が頭より高く出るように      背負う様
・滋籐の弓=黒塗りで籐を巻き付けた弓

・聞こゆる=(ヤ下二)その名の聞こえた、名高い
・鬼葦毛の馬=白に濃褐色の混じった毛色の、強い馬
・金覆輪の鞍=金色の金具で縁取りした鞍
・大音声=大声



left★原文・現代語訳★   
〈木曽殿の名乗り〉

鐙踏んばり立ちあがり、大音声(だいおんじゃう)を あげて名のりけるは、
=鎧を踏ん張って立ち上がり、大声をあげて名のった  ことには、

「昔は聞きけんものを、木曾の冠者、今は見るらむ、 左馬頭兼伊予守、朝日の将軍源義仲ぞや。甲斐の一条 次郎とこそ聞け。互ひによい敵ぞ。
義仲討つて、兵衛佐に見せよや。」
=「昔は(噂に)聞いたことがあるであろう、木曾の  冠者(という者)を、(そして)今は(目に)見て  いることであろう、(我こそは)左馬頭兼伊予守、  朝日の将軍源義仲であるぞ。(お前は)甲斐の一条  次郎と聞く。互いに(戦うには)良い敵だ。
 (この)義仲を討ち取って、兵衛佐(総大将の頼朝)  に見せるがよい。」

とて、をめいて駆く。
=と言って、大声で叫んで馬に乗って疾走する。

一条の次郎、
=一条次郎は、

「ただ今名のるのは大将軍ぞ。あますな者ども、もら すな若党、討てや。」
=「ただ今名乗ったのは大将軍だ。余すことなく討ち  取れ者どもよ、討ちもらすな若者どもよ、討て。」

とて、大勢の中に取りこめて、われ討つ取らんとぞ進 みける。
=と言って、(義仲を)大勢の中に取り囲んで、我こそ  討ち取ろうと進んだ。

▼(段落まとめ)
その日、立派な鎧甲を身に付けた木曽殿は、鬼葦毛と いう馬に乗って大声で名乗りを上げ、敵の軍勢の前に 進み出た。

right★補足・文法★   


・大音声=大声




・昔は聞きけん(過去推量)ものを(詠嘆=…のになあ)
 →名乗りをあげる時の、自分を誇示する決まり文句
・冠者=元服して冠を付けた若者
・見る(上一)らむ(現在推量)
・伊予守=伊予(愛媛県)の国守
・…ぞ(念押し・断定)や(呼びかけ・詠嘆)
・甲斐の一条次郎=甲斐(山梨県)の源忠頼
・…とこそ(係助詞)…聞け(已然形)=…と聞く
・兵衛佐=敵側の総大将の源頼朝(1147〜1199)。
     当時、兵衛府の二等官だった


・をめく=大声で叫ぶ、喚(わめ)く





・あますな=(射ち余すな)一人残らず討ち取れ
・若党=若い郎党(家来)、侍
・討て()や(間投助詞、詠嘆=…なあ・呼びかけ=…よ)












left★原文・現代語訳★   
【二】敵の軍勢との最後の戦

〈次々と現れる敵の軍勢との最後の戦〉

木曾三百余騎、六千余騎が中を縦様・横様・蜘蛛手・ 十文字に駆け割つて、後ろへつつと出でたれば、五十 騎ばかりになりにけり。
=木曾(の軍勢)三百余騎は、(敵の軍勢)六千余騎の中  を、縦に、横に、四方八方に、十文字に馬に乗って  駆け破って、 (敵の)後ろへさっと出たところ、  (味方の軍勢は)五十騎ほどになってしまった。

そこを破つて行くほどに、土肥次郎実平、二千余騎で ささへたり。
=そこ(の敵)を打ち破って行くうちに、 土肥次郎  実平が、二千余騎で(行く手を)阻んでいた。

それをも破つて行くほどに、あそこでは四、五百騎、 ここでは二、三百騎、百四、五十騎、百騎ばかりが中 を駆け割り駆け割り行くほどに、主従五騎ほどにぞな りにける。
=それも打ち破って行くと、 あそこでは四五百騎、  ここでは二三百騎、百四五十騎、百騎ほどの(敵の)  中を  何度も馬に乗って駆け破って行くうちに、  (とうとう木曾勢は)主従五騎になってしまった。

right★補足・文法★        




・縦様・横様・蜘蛛手・十文字に=大勢の敵を相手に                 奮戦する様子
・なり()に(完了)けり(過去)





・土肥次郎実平=相模(神奈川県)の一族













left★原文・現代語訳★   
〈巴御前の奮戦〉

五騎がうちまで巴(ともゑ)は討たれざれけり。
=(その)五騎の中まで巴は討たれなかった。

木曾殿、
=木曽殿は、

「おのれは、疾う疾う(とうとう)、女なれば、いづち へも行け。われは討ち死にせんと思ふなり。
もし人手にかからば自害をせんずれば、木曾殿の最後 のいくさに、女を具せられたりけりなんど、いはれん 事も、しかるべからず。」
=「お前は早く早く、女だから、どこへでも(落ちて)  行け。自分は討ち死にしようと思っているのだ。
 もし人手にかかるならば自害をするつもりなので、  木曾殿が最後の戦いに、女を連れておられたなどと  (人から)言われるような事も、ふさわしくない。」

とのたまひけれども、なほ落ちも行かざりけるが、
あまりに言はれ奉つて、
=と仰ったけれども、(巴は)それでも落ちて行きも  しなかったが、
 あまりに(何度も木曾殿から)言われ申して、

「あつぱれ、よからう敵がな。最後のいくさして見せ 奉らん。」
=「ああ、良い敵がいればいいのになあ。最後の戦い  をして(義仲殿に)お見せ申し上げたい。」

とて、控へたるところに、武蔵の国に聞こえたる大力 、御田八郎師重、三十騎ばかりで出で来たり。
=と言って、馬を止めて控えている所に、武蔵の国で  名高い力持ちの、御田八郎師重が、三十騎ばかりで  現れた。

巴、その中へ駆け入り、御田八郎に押し並べて、むず と取つて引き落とし、わが乗つたる鞍の前輪に押し付 けて、ちつともはたらかさず、首ねぢ切つて捨ててん げり。
=巴は、その中へ馬に乗って駆け入り、 御田八郎に  (自分の)馬を強引に並べて、(御田を)ぐいっと  つかんで(馬から)引きずり落とし、自分が乗った  (馬の)鞍の前輪に押しつけて少しも身動きさせず、  首をねじ切って捨ててしまった。

そののち、物具脱ぎ捨て、 東国の方へ落ちぞ行く。 手塚太郎討ち死にす。手塚別当落ちにけり。
=(巴は)その後、(鎧、甲などの)武具を脱ぎ捨て、  東国の方へ落ち延びて行った。手塚太郎は討ち死に  する。手塚別当も落ち延びて行った。

▼(段落まとめ)
敵の軍勢は次々と現れて、木曾殿の軍勢は戦ううちに 主従五騎となってしまった。その中には巴御前もいた が、女ゆえに逃げて行くように何度も言われ、最後の 戦をして落ち延びて行き、手塚太郎や手塚別当も姿を 消してしまった。

right★補足・文法★   


・巴=木曾義仲の愛妾で、武勇に優れた美女





・疾う疾う(ウ音便)=早く早く
・いづち=どこ
・自害()を()せ()んずれ(意思「んず」已)ば(ので)
・具せ(サ変)られ(尊敬)たり(存続)けり(詠嘆)
 なんど(「などと」の転)
・しかるべからず=よろしくない、ふさわしくない





・のたまふ=仰る(「言ふ」尊)
・言は()れ(受身)奉つて(「奉りて」音便)




・あつぱれ=(感)ああ、素晴らしい
・…がな=(願望)あればいいのになあ



・控へたる(存続)=馬を止めて待機していた





・押し並(なら)ぶ=強引に並べる
・前輪=鞍の前の方の高くなっている部分
・働かす=動かす、身動きさせる
・捨ててんげり←捨て(下二)に(完了)けり(過去)の転






・物具=鎧・甲などの武具
・手塚太郎・手塚別当=義仲の部下











left★原文・現代語訳★   
【三】木曾殿と今井の主従二騎

〈木曾殿と今井の主従二騎〉

今井四郎、木曾殿、主従二騎になつて、
のたまひけるは、
=今井四郎と木曾殿は、主人と従者の二騎になって、
 (木曾殿が)おっしゃったのには、

「日ごろは何とも覚えぬ鎧が、今日は重うなつたるぞ や。」
=「いつもは何とも感じない鎧が、今日は重くなった  ことだよ。」

今井四郎申しけるは、
=今井四郎が申し上げたことには、

御身もいまだ疲れさせ給はず。御馬も弱り候はず。
何によつてか、一領の御着背長を重うは思し召し候ふ べき。それは御方に御勢が候はねば、臆病でこそさは 思し召し候へ。兼平一人候ふとも、余の武者千騎と思 しめせ。
=「お体もまだお疲れになっておりません。お馬も弱  っておりません。どうして一領の御鎧を重くお思い  になることがありましょうか。それはお味方に軍勢  がございませんので、気後れでそうお思いになるの  です。この兼平一人が(付き従って)おりましても、  他の武者千騎(がいるの)とお思いください。

矢七つ八つ候へば、しばらく防き矢つかまつらん。あ れに見え候ふ、粟津の松原と申す、あの松の中で御自 害候へ。」
=矢が七八本ございますので、しばらく防ぎ矢を致し  ましょう。あそこに見えます(のは)、粟津の松原と  申します、あの松林の中で御自害なさいませ。」

とて、打つて行くほどに、また新手の武者五十騎ばか り出で来たり。
=と言って、(馬に鞭を)打って行くと、また新手の  武者が五十騎ほど現れた。

「君はあの松原へ入らせ給へ。兼平はこの敵防き候は  ん。」
=「殿(我が君)はあの松原へお入りください。兼平は  この敵を防ぎましょう。」

と申しければ、木曾殿のたまひけるは、
=と申したところ、木曾殿の仰ったことには、

「義仲、都にていかにもなるべかりつるが、これまで 逃れ来るは、汝と一所で死なんと思ふためなり。
所々で討たれんよりも、ひと所でこそ討ち死にをもせ め。」
=「義仲は、都でどのようにでもなるはず(討ち死に  するはず)であったが、ここまで逃げて来たのは、  お前と同じ所で死のうと思ったからだ。別々の所で  討たれるよりも、同じ所で討ち死にをしよう。」

とて、馬の鼻を並べて駆けんとし給へば、今井四郎馬 より飛び降り、主の馬の口に取りついて申しけるは、
=と言って、(今井の馬と)馬の鼻を並べて駆けよう  となさるので、今井四郎は馬から飛び降り、主君の  馬の口に取りすがって申し上げたことは、

「弓矢取りは、年ごろ日ごろいかなる高名候へども、 最期のとき不覚しつれば、長き疵にて候ふなり。
=「武士は、 長年にわたり常日頃どれほどの高名が  ありましても、最期の時に思わぬ失敗をしてしまう  と、末代までの不名誉となるのです。

御身は疲れさせ給ひて候ふ。続く勢は候はず。 敵に 押し隔てられ、言ふかひなき人の郎等に組み落とされ させ給ひて、討たれさせ給ひなば、
=お体はお疲れになっておられます。後に続く軍勢は  ありません。敵に間を隔てられ(離れ離れになり)、  取るに足らない人の家来に(馬から)組み落とされ  なさって、お討たれになってしまいましたならば、

『さばかり日本国に聞こえさせ給ひつる木曾殿をば、 それがしが郎等の討ち奉つたる。』なんど申さんこと こそ口惜しう候へ。ただあの松原へ入らせ給へ。」
=『あれほど日本国で名高くていらっしゃった木曾殿  は、誰それの家来がお討ち申し上げたぞ。』などと  申すようなことがあれば残念でございます。直ぐに  あの松原へお入りください。」

と申しければ、
木曾、「さらば。」とて、粟津の松原へぞ駆け給ふ。
=と申したので、
 木曾殿は、「そのよう(に言う)ならば。」と言っ
 て、粟津の松原へ馬に乗って駆けて行きなさる。

right★補足・文法★   









・日ごろ=いつも、常日頃
・…ぞ(念押し・断定)や(呼びかけ・詠嘆)






・疲れ(下二)させ(尊敬)給は(尊敬)ず(打消)
・弱り()候は(丁寧)ず(打消)
・一領=鎧などを数える単位
・御着背長=大将が着用する大鎧
・思し(尊敬)めし(尊敬)候ふ(丁寧)べき(当然)
・…こそ(係助詞)さ(副)は() 思し(尊敬)召し(尊敬)
 候へ(丁寧、已然形)
・余=その他、それ以外、余り、わたくし、自分




・防ぎ矢()つかまつら(謙譲)ん(意思)
・粟津=滋賀県大津市粟津町





・打つて行く=馬に鞭打って(進んで)行く












・いかに()も()なる()べかり(当然)つる(完了)
☆最期を遂げる
※汝と一所で→義仲は都で戦いに敗れ、今井の安否を  気遣って勢田に行く途中、打出の浜(粟津の南)で  今井と巡り合った
・…こそ(係助)…せ(サ変)め(意思、命)=…しよう









・弓矢取り=武士
・高名=手柄
・不覚=思わぬ失敗
・長き疵=末代までの不名誉


・言ふかひなし=取るに足りない、つまらぬ
・郎等=家来
・討た()れ(受身)させ(尊敬)給ひ(尊敬)な(完了)ば()





・聞こえ(ヤ下二)させ(尊敬)給ひ(尊敬)つる(完了)=
・それがし=誰それ(名を具体的に出さない)、私
・奉つたる=奉り(謙譲)たる(完了)の音便
・申さ()ん(仮定)こと()こそ()口惜しう()候へ(已然)





・さらば=それならば




left★原文・現代語訳★   
〈今井四郎の名乗りと奮戦〉

今井四郎ただ一騎、五十騎ばかりが中へ駆け入り、鐙 踏ん張り立ち上がり、大音声あげて名乗りけるは、
=今井四郎はただ一騎で、五十騎ほどの(敵の)中へ  駆け入り、鎧を踏ん張って立ち上がり、大声をあげ  て名乗ったことは、

「日頃は音にも聞きつらん、今は目にも見給へ。木曽 殿の御乳母子、今井四郎兼平、生年三十三にまかりな る。さる者ありとは、鎌倉殿までも知ろし召されたる らんぞ。兼平討つて見参に入れよ。」
=「常日頃は噂にも聞いていたであろう、今は(その  私を)目でも御覧あれ。木曾殿の御乳母の子、今井  四郎兼平、年は三十三になり申す。そのような者が  いるとは、鎌倉殿までもご存知であるだろう。この  兼平を討って(首を鎌倉殿の)お目にかけよ。」

とて、射残したる八筋の矢を、差し詰め引き詰め、散 々に射る。死生は知らず、やにはに敵八騎射落とす。
=と言って、射残した八本の矢を、次々に手早く弓に  つがえて、容赦なく射る。(矢が当たった相手の)  生死は分からないが、たちまち敵八騎を射落とす。

そののち打ち物抜いて、あれに馳せ合ひ、これに馳せ 合ひ、切つて回るに、面を合はする者ぞなき。分捕り あまたしたりけり。
=その後、太刀を抜いて、あちらに馬を走らせ戦い、  こちらに馬を走らせ戦い、敵を切って回ると、顔を  合わせて立ち向かう者がいない。敵の命をたくさん  奪ったのだった。

ただ、「射取れや。」とて、中に取りこめ、雨の降る やうに射けれども、鎧よければ裏かかず、あき間を射 ねば手も負はず。
=(そこで敵は) ただ、「射止めよ。」と言って、  (兼平を)中に取り囲んで、雨が降るように(矢を)  射たが、(兼平の)鎧が良いので(矢が)裏まで貫通  せず、鎧の隙間を射ないので傷も負わない。

▼(段落まとめ)
次々と現れる敵の軍勢を前に、木曾殿は今井とわずか 主従2騎となった。今井は、主君の名誉を守るため、 粟津の松原で自害することを勧め、自らはただ一騎で 敵陣に向かい奮戦する。

right★補足・文法★   








・聞き()つ(完了)らん(現在推量)
・御乳母子=ご後見役の子(諸説あり)
※今井の父兼遠は、義仲の守り役だった
・生年=生まれてからの年、年齢
・まかり(+動詞)=…ます、致します(謙譲・丁寧)
・鎌倉殿=源頼朝
・知ろし(尊敬)めさ(尊敬)れ(尊敬)たる(存続)
 らん(現在推量)ぞ(念押し)
・見参に入れよ=ご覧に入れよ

・差し詰め引き詰め=矢継ぎ早に射る様
・やにはに=その場ですぐ、ただちに




・打ち物=刀剣など
・面を合はする=正面から立ち向かう
・分捕り=敵を殺傷して、敵の首や武器を取る<こと





・裏かかず=(鎧が良いので)矢が鎧の裏まで通らず
・あき間=鎧の隙間












left★原文・現代語訳★   
【四】木曽殿と今井の最期

〈木曽殿の最期〉

木曽殿はただ一騎、粟津の松原へ駆け給ふが、正月二 十一日、入相ばかりのことなるに、薄氷は張つたりけ り、深田ありとも知らずして、馬をざつと打ち入れた れば、馬の頭も見えざりけり。
=木曾殿はただ一騎、粟津の松原へ馬に乗って駆けて  お行きになるが、一月二十一日(の)、日の入る頃の  ことなので、薄氷が張っていた、深い田があるとも  知らないで、馬をざっと勢いよく乗り入れたので、  (深く沈んで)馬の頭も見えなくなった。

あふれどもあふれども、打てども打てども働かず。
=(馬の横腹を)鐙で蹴っても蹴っても、鞭で打っても  打っても(馬は)動かない。

今井が行方のおぼつかなさに、 振り仰ぎ給へる内甲 (うちかぶと)を、三浦の石田次郎為久、追つかかつて よつ引いて、ひやうふつと射る。
=(木曾殿は)今井の行く先が気がかりで、振り向いて  顔を上げなさった甲の(正面の)内側を、三浦の石田  次郎為久が、追いかけて(弓を)十分に引き絞って、  ひゅうふっと射る。

痛手なれば、真っ向を馬の頭に当ててうつ伏し給へる ところに、石田が郎等二人落ち合うて、遂に木曽殿の 首をば取つてんげり。
=(木曾殿は)深手なので、甲の鉢の正面を馬の頭に  当ててうつ伏していらっしゃったところに、石田の  家来二人が来合せて、とうとう木曾殿の首を取って  しまった。

太刀の先に貫き、高く差し上げ、 大音声を挙げて、 「この日ごろ、日本国に聞こえさせ給ひつる木曽殿を ば、三浦の石田次郎為久が討ち奉つたるぞや。」
と名乗りければ、
=(木曾殿の首を)刀の先に突き通し、高く差し上げ、  大声をあげて、
 「常日頃、日本国で評判でいらっしゃる木曾殿を、  三浦の石田次郎為久がお討ち申し上げましたぞ。」  と名乗ったので、

right★補足・文法★   




・入相=日の入る、夕暮れ
・深田=底の深い泥田








・あふれども=馬の横腹を鐙で蹴っても



・内甲=甲の内側(顔面)
・三浦の石田次郎為久=神奈川県伊勢原市を本拠地と
           した、三浦氏の一族





・真っ向=甲の正面
・取つてんげり=「取りてけり」の転(音便)
















left★原文・現代語訳★   
〈今井の最期〉

今井四郎いくさしけるが、これを聞き、
=今井四郎は戦をしていたが、これを聞き、

「今は誰をかばはんとてか、いくさをもすべき。これ を見給へ、東国の殿ばら、日本一の剛の者の自害する 手本。」
=「今となっては誰をかばおうとして、戦をする必要  があるだろうか。これを御覧あれ、東国の方々よ、  日本一の勇ましい武士が自害する手本だ。」

とて、太刀の先を口に含み、
馬より逆さまに飛び落ち、貫かつてぞ失せにける。
=と言って、刀の先を口に含み、
 馬から逆さまに飛び落ち、(頭を)貫かれて死んで  しまった。

さてこそ、粟津のいくさはなかりけれ。
=こうして(木曾殿主従が討ち死にしたので)、
 粟津の合戦(というもの)はなかったのである。

▼(段落まとめ)
粟津の松原で自害しようと駆けていた木曾殿は、深田 にはまり込み、今井が気がかりだった時、名もない者 に討ち取られ、名乗りを上げられてしまった。それを 知った今井は、日本一の武士の手本とばかり、太刀を 口に含み馬から真っ逆さまに飛び落ちて、壮烈な最期 を遂げた。それ故、粟津の戦というものはなかった。

right★補足・文法★   





・す(サ変)べき(必要・義務)






・貫かつて=「貫か(四段)れ(受身)て(接助)」の音便
     or「貫かりて=突き通って」の音便(?)
















left★原文・現代語訳★   
〈350字要約=24字×15行〉
その日、木曽殿は、立派な装束を身に付けて名乗りを 上げ、敵の前に進み出た。
敵の軍勢は次々と現れて、木曾殿の軍勢は戦ううちに 主従五騎となってしまった。だが、巴御前は女ゆえに 最後の戦をして落ちて行き、手塚太郎は討ち死にし、 手塚別当も落ち延びて行った。
とうとう木曾殿は今井と僅かに主従二騎となったが、 今井は、主君の名誉を守るため、粟津の松原で自害を 勧め、自らはただ一騎で敵陣に向かって奮戦する。
自害を勧められた木曾殿は、粟津の松原に駆けていて 深田にはまり込み、今井が気がかりだった所を、名も ない者に討ち取られ、名乗りを上げられてしまった。 今井は、それを知って日本一の武士の手本とばかり、 壮烈な最期を遂げてしまう。それ故、粟津の戦という ものはなかった。

right★補足・文法★   

〈参考〉
「平家物語−木曾殿の最期」(YouTube 解説)
「平家物語−木曾殿の最期」(YouTube アニメ)
「平家物語−木曾義仲」(YouTube 琵琶弾き語り)

「平家物語−祇園精舎」(YouTube 琵琶弾き語り)
「源平を語る」(YouTube 琵琶弾き語り)
            ヘンデル「協奏曲ト短調」

写真は、ネット上のものを無断で借用しているものも あります。どうぞ宜しくお願い致します。

貴方は人目の訪問者です