left★原文・現代語訳★
【三】木曾殿と今井の主従二騎
〈木曾殿と今井の主従二騎〉
今井四郎、木曾殿、主従二騎になつて、
のたまひけるは、
=今井四郎と木曾殿は、主人と従者の二騎になって、
(木曾殿が)おっしゃったのには、
「日ごろは何とも覚えぬ鎧が、今日は重うなつたるぞ
や。」
=「いつもは何とも感じない鎧が、今日は重くなった
ことだよ。」
今井四郎申しけるは、
=今井四郎が申し上げたことには、
「御身もいまだ疲れさせ給はず。御馬も弱り候はず。
何によつてか、一領の御着背長を重うは思し召し候ふ
べき。それは御方に御勢が候はねば、臆病でこそさは
思し召し候へ。兼平一人候ふとも、余の武者千騎と思
しめせ。
=「お体もまだお疲れになっておりません。お馬も弱
っておりません。どうして一領の御鎧を重くお思い
になることがありましょうか。それはお味方に軍勢
がございませんので、気後れでそうお思いになるの
です。この兼平一人が(付き従って)おりましても、
他の武者千騎(がいるの)とお思いください。
矢七つ八つ候へば、しばらく防き矢つかまつらん。あ
れに見え候ふ、粟津の松原と申す、あの松の中で御自
害候へ。」
=矢が七八本ございますので、しばらく防ぎ矢を致し
ましょう。あそこに見えます(のは)、粟津の松原と
申します、あの松林の中で御自害なさいませ。」
とて、打つて行くほどに、また新手の武者五十騎ばか
り出で来たり。
=と言って、(馬に鞭を)打って行くと、また新手の
武者が五十騎ほど現れた。
「君はあの松原へ入らせ給へ。兼平はこの敵防き候は
ん。」
=「殿(我が君)はあの松原へお入りください。兼平は
この敵を防ぎましょう。」
と申しければ、木曾殿のたまひけるは、
=と申したところ、木曾殿の仰ったことには、
「義仲、都にていかにもなるべかりつるが、これまで
逃れ来るは、汝と一所で死なんと思ふためなり。
所々で討たれんよりも、ひと所でこそ討ち死にをもせ
め。」
=「義仲は、都でどのようにでもなるはず(討ち死に
するはず)であったが、ここまで逃げて来たのは、
お前と同じ所で死のうと思ったからだ。別々の所で
討たれるよりも、同じ所で討ち死にをしよう。」
とて、馬の鼻を並べて駆けんとし給へば、今井四郎馬
より飛び降り、主の馬の口に取りついて申しけるは、
=と言って、(今井の馬と)馬の鼻を並べて駆けよう
となさるので、今井四郎は馬から飛び降り、主君の
馬の口に取りすがって申し上げたことは、
「弓矢取りは、年ごろ日ごろいかなる高名候へども、
最期のとき不覚しつれば、長き疵にて候ふなり。
=「武士は、 長年にわたり常日頃どれほどの高名が
ありましても、最期の時に思わぬ失敗をしてしまう
と、末代までの不名誉となるのです。
御身は疲れさせ給ひて候ふ。続く勢は候はず。 敵に
押し隔てられ、言ふかひなき人の郎等に組み落とされ
させ給ひて、討たれさせ給ひなば、
=お体はお疲れになっておられます。後に続く軍勢は
ありません。敵に間を隔てられ(離れ離れになり)、
取るに足らない人の家来に(馬から)組み落とされ
なさって、お討たれになってしまいましたならば、
『さばかり日本国に聞こえさせ給ひつる木曾殿をば、
それがしが郎等の討ち奉つたる。』なんど申さんこと
こそ口惜しう候へ。ただあの松原へ入らせ給へ。」
=『あれほど日本国で名高くていらっしゃった木曾殿
は、誰それの家来がお討ち申し上げたぞ。』などと
申すようなことがあれば残念でございます。直ぐに
あの松原へお入りください。」
と申しければ、
木曾、「さらば。」とて、粟津の松原へぞ駆け給ふ。
=と申したので、
木曾殿は、「そのよう(に言う)ならば。」と言っ
て、粟津の松原へ馬に乗って駆けて行きなさる。
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right★補足・文法★
・日ごろ=いつも、常日頃
・…ぞ(念押し・断定)や(呼びかけ・詠嘆)
・疲れ(下二)させ(尊敬)給は(尊敬)ず(打消)
・弱り()候は(丁寧)ず(打消)
・一領=鎧などを数える単位
・御着背長=大将が着用する大鎧
・思し(尊敬)めし(尊敬)候ふ(丁寧)べき(当然)
・…こそ(係助詞)さ(副)は() 思し(尊敬)召し(尊敬)
候へ(丁寧、已然形)
・余=その他、それ以外、余り、わたくし、自分
・防ぎ矢()つかまつら(謙譲)ん(意思)
・粟津=滋賀県大津市粟津町
・打つて行く=馬に鞭打って(進んで)行く
・いかに()も()なる()べかり(当然)つる(完了)
☆最期を遂げる
※汝と一所で→義仲は都で戦いに敗れ、今井の安否を
気遣って勢田に行く途中、打出の浜(粟津の南)で
今井と巡り合った
・…こそ(係助)…せ(サ変)め(意思、命)=…しよう
・弓矢取り=武士
・高名=手柄
・不覚=思わぬ失敗
・長き疵=末代までの不名誉
・言ふかひなし=取るに足りない、つまらぬ
・郎等=家来
・討た()れ(受身)させ(尊敬)給ひ(尊敬)な(完了)ば()
・聞こえ(ヤ下二)させ(尊敬)給ひ(尊敬)つる(完了)=
・それがし=誰それ(名を具体的に出さない)、私
・奉つたる=奉り(謙譲)たる(完了)の音便
・申さ()ん(仮定)こと()こそ()口惜しう()候へ(已然)
・さらば=それならば
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