left★板書(+補足)★
「現代文授業ノート」(普通クラス)
   (近代俳句) 種田山頭火

〈作者〉
・明治15年(1882)〜昭和15(1940)
昭和期
  碧梧桐の新傾向俳句、井泉水の無季自由律俳句
  流れを汲んだ、俳句と放浪の人生とが結びついた
  境涯俳句(心境俳句)を詠む。
  →各地を放浪しながら、その時々の思いや印象を
   自由律に乗せて詠む。
  繰り返し表現の多用に特色があり、口誦性に富む
・句集 『』など

right★発問☆解説ノート★
(俳句)2016年3月〜8月
              (2021年2月改)


・〜58歳









left★板書(+補足)★
うしろすがたの  しぐれて  ゆくか
=(孤独な旅人である私の侘しい)後ろ姿の(冬の)
 時雨(が寒々と降っていて、それ)に濡れて(いる
 のを見せながら、行乞の旅を続けて)行くことだ
or(孤独の旅人である私が、侘しい)後ろ姿を見せて
 時雨(が寒々と降っていて、それ)に濡れて(行乞
 の旅を続けて)行くことだ(なあ)


〈出典〉(…初出)
昭和6年(1931)作(作者49歳
「自嘲」という前書き、その前に
「昭和6年、熊本に落ち着くべく努めたけれど、どう
しても落ち着けなかった。またも旅から旅へ旅しつづ
けるばかりである」と説明
『草木塔』(昭15)所収

〈主題〉(感動の中心)
<行乞の旅を続ける自分のうらぶれた後ろ姿>
自嘲を込めて詠んだ句

〈鑑賞〉(感想・補足)
無季・<自由律>・平仮名表記
七七調→一人で呟くようなリズム
・冬の冷たい時雨に濡れながら、行乞の旅を続ける
 自分のうらぶれた後ろ姿を、それを見つめるもう
 一人の自分が自嘲を込めて詠んだもの
・時雨に濡れながら、杖をついてトボトボ遠ざかって
 ゆく
、うらぶれた托鉢姿の山頭火のイメージで、
 自意識によって生み出した分身を、自分が背後から
 眺める、という珍しい構造

right★発問☆解説ノート★
・うしろすがた→(作者のうらぶれた旅姿の後ろ姿)
  <行乞の旅を続ける自分の後ろ姿を
   もう一人の自分の眼(自意識)を通して表現>

・行乞=僧侶が乞食(こつじき)をして歩くこと。托鉢
・しぐる=冬の初めから中頃に、さっと降ってさっと  上がり、断続して暫く降り続く →冬の季語だが…
 →季節感ではなく、うらびれた侘しさを表出
 →季語や季節感を中心にして詠む意識はない→無季
・…か=詠嘆(終助詞)























left★板書(+補足)★
〈参考…作者について〉

・明治15年(1882)山口県防府で大地主の子として
      生まれる
・11歳の時 父の放蕩生活のため、母が自宅の古井戸
      に投身自殺
→生涯に影響
・父の放蕩は止まず、没落
・早稲田に入学するが、神経衰弱のため退学
 帰郷して結婚し、酒造業を営むが、破産
 →屋敷や土地を処分して酒造業を営むが、貯蔵して
  いた酒が全部腐って破産
・明治末まで、定型俳句を作っていたが、
 <自由律の俳人荻原井泉水>に共鳴して師事
・単身上京するが、関東大震災の混乱に巻き込まれ、
 巣鴨刑務所に留置
・大正14年(1925)<妻子を捨てて出家>(43歳)
         熊本県の観音堂守となる
 →放蕩の血筋への意識
  「父によう似た 声が出てくる 旅はかなしい」



right★発問☆解説ノート★
〈参考…作者について〉(続き)

・翌年、一笠一鉢の行乞放浪の旅に出る
  九州・四国・山陽・山陰などを漂泊
  俳句即生活という境涯俳句が特色
  「わけ入っても わけ入っても 青い山」
  「へうとして 水を 味わふ」
  「ほろほろ 酔うて 木の葉ふる」
・昭和7年(1932)〜14年
 山口県小郡・湯田・松山に転住(50〜57歳)
・その後<全国各地を俳句と酒と女との漂泊の旅>
 生きる
  「鉄鉢の 中へも 霰」
  「うしろすがたの しぐれて ゆくか」
  「あるけばかっこう いそげばかっこう」
  「おちついて 死ねそうな 草枯るる」
・『層雲』の俳人で、世俗を捨てて独居生活の生涯を
 送った尾崎放哉
とは面識を持たなかったが、影響を
 受け、
  「鶏啼いて わたしも一人」の句を詠む
・昭和15年(1940)10/11 一草庵にて、泥酔頓死

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