left★板書★
「現代文授業ノート」(普通クラス)
近代俳句の歴史
〈概説〉
俳句とは
・短詩型文学の中で最短形式 (→有季定型)
五七五(3句17音の構成=定型詩)→音楽性
→限られた字数で、生の一瞬を切り取ったもの
・季語(季題)を入れる事が原則
→季題によって自然の風物・人事を詠む
詩とは
【言葉】(で出来ている)
+
【リズム】(が加わったもの)
(音楽性)
表現対象は
・四季折々の情景 ・生死に触れた境涯
・家族との触れ合い ・日常生活
・社会的自我や国家意識
↓
※何に【感動】して、その【言葉】を選んだ?
(イメージ→情景・心情を理解)
・季語(季節)は? 句切れ(切れ字)は?
リズムは? 素材(言葉)の表すイメージは?
(取り合わせを確認)
〈近代俳句の歴史〉
【明治20年〜】(1887〜)
〇<正岡子規>→<俳句の革新>運動
・俳諧の発句を近代化→俳句を確立
・『獺祭書屋俳話』→写生説
・俳句雑誌「ホトトギス」(明30)創刊
※短歌の革新も唱え、万葉調の歌風を復興
【明治30年〜】(1897〜)
〇河東碧梧桐・高浜虚子
・俳句革新を目指す子規の門下で双璧をなす
↓
子規没後(明35〜)対立
【明治40年〜】(1907〜)
〇河東碧梧桐
・<新傾向俳句>を唱える
・門人に大須賀乙字・荻原井泉水
↓
・荻原井泉水の<自由律俳句>運動も興る
→・形式打破・自由律・無季題
↓↑(これに対し)
【大正期】(1912〜)
〇高浜虚子→<ホトトギス派>全盛
・子規の伝統を受け継ぎ、有季・定型の保守
・花鳥諷詠を唱え「ホトトギス」によって活躍
→季題趣味・客観写生
【昭和初期】(1926〜)
〇ホトトギス派が主流
→虚子門下、村上鬼城・飯田蛇笏
↓↑
〇<新興俳句運動>
・反ホトトギスの革新運動(昭10)
・水原秋櫻子・山口誓子
・清新・自由な句境を志す
↓
〇<人間探究派>
・中村草田男・加藤楸邨・石田破郷
・有季定型を守り、実生活を詠む
〇プロレタリア俳句(運動の提唱)
【昭和20年〜】(1945〜)
〇桑原武夫「第二芸術論」(昭21)
・<短詩型文学を否定>
【現代俳句】
新しい展開
〈補足1〉…俳句史
俳句は和歌から派生した詩歌の一形態で、その変遷は
以下の通りである。
【短歌】(飛鳥〜奈良〜平安時代)
一つの歌の上の句と下の句を、一人の作者が、
五七五七七と詠む詩の形式
代表的歌集…「万葉集」「古今集」「新古今集」
↓
【連歌】(平安後期〜鎌倉〜南北朝〜室町〜戦国)
歌の長句(五七五)と短句(七七)を、幾度も
複数の作者が、続けて詠み合う詩の形式→長連歌
・「短連歌」(平安後期〜)
一つの歌の上の句(五七五)と下の句(七七)を
それぞれ別人が詠む事を試みる詩の形式
↓
・「長連歌(鎖連歌)」(鎌倉時代〜)
上の句五七五に下の句七七を付けて完結せずに、
更に五七五、七七、五七五…と何人もの作者が、
次の句を続けて詠み合って、百句で一作品とする
百韻が一般的な詩の形式
(室町時代は更に千句・万句と拡大)
※和歌が秘事・口伝に縛られて形式化していった
のに対し、連歌が平安中期ごろから貴族の間で
行われていて、鎌倉時代の末期から武士・庶民
の間にも普及するようになる。
※南北朝時代に、二条良基が選んだ「菟玖波集」
(1356)が勅撰集に選ばれて、連歌は和歌と
対等の地位を占めるようになる。
※室町・戦国時代に連歌は更に盛んになり、宗祇
は「新撰菟玖波集」(1495)を選び、芸術性
の高い正風連歌を確立して、諸国の地方武士の
間などに広める。
↓
【俳諧の連歌】(室町〜戦国〜江戸時代)
室町時代に流行した連歌の中で、遊戯性・庶民性
を高めた滑稽・通俗の要素を持つ集団文芸の詩の
の形式(連句) (略して俳諧とも言う)
本来の連歌と併存して、室町時代にはその余技と
して行われる (俳諧とは滑稽の意)
↓
【俳諧】(江戸時代)
俳諧とは、複数の人が句を繰り返し詠み合う俳諧
の連歌の構成の中における、発句や連句という詩
の<形式・連句・発句・俳文・紀行文の総称>。
(俳諧の連歌の一番最初の句を「発句」と呼ぶ)
※連歌にかわって、俳諧が盛んになり、誰にでも
親しみやすい文芸として広く普及していく
↓
※俳諧の連句の中、冒頭の発句の独立性が高まり
<発句のみを独立した短詩として鑑賞>する
事も多く行われるようになる
↓
※江戸時代の初期、松永貞徳や西山宗因が滑稽で
洒脱な作風の俳諧を作る(貞門派・談林派)
↓
【俳諧の発句】
俳諧の連句の<冒頭の発句のみを独立させた>、
旧来の芸術性(連歌)と通俗性(俳諧)を止揚し
大成した、新しい五七五という詩の形式
※1680年代に松尾芭蕉が自然と人生のうちに
閑寂の美を見いだし、芸術性の高い文芸として
完成させ、蕉風俳諧を確立。
中でも単独でも鑑賞に堪える自立性の高い発句
を数多く詠み、この発句が明治時代に大成する
俳句の源流となる。
(芭蕉は俳句ではなく、俳諧を創作していたが、
作者個人の創作である発句を完全に独立させた
近代文芸の俳句と同一視される)
↓
※天明時代に俳諧は更に広く普及し、与謝蕪村が
華麗な絵画的描写の優れた作品を残す
※文化・文政時代には、小林一茶が農村生活の中
で人間愛にあふれた句を作る
↓
※後に、俳諧の遊戯化した川柳や、和歌の形式を
借りた狂歌が、滑稽な面白みや鋭い風刺で大衆
に歓迎されて流行する
※江戸時代、和歌は低調だが、賀茂真淵は万葉調
の力強い歌風を復興し、香川景樹は「古今集」
を範とする優美な調子の新しい歌風を開く
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right★補足・発問★
(解説)2015年2月〜16年8月
(2019年3月改)
・短詩型文学=短歌・俳句
|――――| 観察 |――――|
| |→→→→| |もの・情景・自然
| 作者 | | 対象 |(境涯・人・心)
| |←←←←| |(花・鳥・魚)
|――――|【感動】|――――|
↓
表 現
(自然美・生老病死・愛)
・作者のイメージ・想像力によって選ばれた語
(言葉を選び抜いた非常に短い文学作品)
@一句の構成法
・一素材によるもの
・二つの素材を取り合わせたもの
A季語の用法
・伝統的な情趣
・象徴的な働き
B表現
・写生 ・象徴 ・暗喩
・旧派の月並調を排す(陳腐で新鮮味がない)
・写生によって自然の美をあるがままに写そうとする
→斎藤茂吉(短歌)・高浜虚子(俳句)らによって
それぞれ受け継がれる
=俳句雑誌「ホトトギス」に継承
短歌 〃「アララギ」 〃
・季語・定型にとらわれない自由律の方向に進む
・大正期に俳壇に復帰して、伝統俳句運動を展開し、
虚子門下に優れた門弟を多く輩出する
→その影響は現在にまで及ぶ
・「ホトトギス」を去り
叙情的・知性的な俳句を目指す
★(明40〜)新傾向→自由律→(昭和)新興俳句
・俳句否定論
・話し言葉による表現?
・従来の枠にとらわれない?
・個性を重んずる気運?
〈補足1”〉…俳句史(の続き)
↓
【俳句】(明治時代〜近代〜現代)
明治時代、正岡子規が<個人の創作性を重視>し
俳諧の冒頭の発句を<俳句として自立>させた
近代文芸としての五七五という詩の形式
※子規は、江戸末期の俳諧を月並俳諧と批判し、
近代化した文芸たらしめようと俳諧革新運動を
行い、「俳句」と名付ける
※俳句の自立後の視点で、芭蕉などの詠んだ俳諧
の発句を遡って、俳句と同一視するという事が
あるが、江戸の俳諧の発句は「俳諧」と呼び、
明治20年以後のものを近代「俳句」と呼ぶ。
〈補足2〉…俳人の系譜
正岡子規
【日本派】
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――――――――――
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河東碧梧桐 高浜虚子
【新傾向俳句】 【定型律派】
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荻原 水原 山口 青畝 素十 飯田 村上
井泉水 秋櫻子 誓子 蛇笏 鬼城
【自由律派】 【ホトトギス派】(写生・花鳥諷詠)
| 【新興俳句運動】4S【大正主観派】
――― | |
| | 水原 山口
尾崎 種田 秋櫻子 誓子
放哉 山頭火 【馬酔木】
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―――
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加藤 石田 中村
楸邨 破郷 草田男
【人間探究派】
【戦後俳句】 【女性俳句】
〈補足3〉…自由な俳句(川柳)創作
シャコンヌに 心も裂けむ 春の京
(1972−3)
春の日ぞ 涙に濡れし 時計台
(1972−3)
鴨川よ 君と歩きし 春の日に
(二人で歩く) (1975−4)
寒き春 一人歩きし 川堤
(2016−11)
〈補足4〉…自由な短歌(狂歌)創作(2016.11)
学び舎に 別れを告げし 梅の園
明日も明るき 声の満つべし
(2011−3)
梅も桜も 酔いけれど 春の若菜は
負けず劣らず 夢がある
(2013−4)
朝起きて お節をあてに 浴びる酒
後はグウタラ 寝正月
(2016−1)
赤レンガ 舗道に舞い散る モザイクは
赤黄橙 虹のやう
(2016−2)
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