left★板書(+補足)★
芋の露| 連山影を 正しうす
=(眼前に広がる里芋畑に露が降りた秋の朝、)芋の
(大きな葉の上の大粒の)露(が輝いていたこと)
だよ。(そして晴れて澄み渡った大空の彼方には、
ずっと)連(なる)山(々)が(くっきりと輪郭を
保ってどっしりとした)姿を(現わしており、威儀
を)正して(居並んで)いる(かのようだった)。
(自分も姿勢を正して頑張ろう)
(別解)
=眼前の里芋畑に露が降りた爽やかな秋の朝、その中
の一枚の葉の上には、一粒の澄んだ大きな露が白く
輝いて見えた。小さく透明な中には、広大な天地が
映し出され、くっきりと稜線を連ねる遠くの連山の
影も投影されていて、驚いた。威儀を正ししている
ようで、自分も姿勢を正さねばならないと誓った。
〈出典〉(…初出)
大正3年(1914)『ホトトギス』11月号(作者29歳)
自注には、「隣村のY医院へ毎日薬壜を提げて通って
ゐた。南アルプス連峰が、爽涼たる大気の中に厳しく
礼容をととのへてゐた」とある。
『山廬集』(昭7)所収
〈主題〉(感動の中心)
<露が輝く芋畑の彼方にどっしり連なる南アルプス>
の山々への思い(決意も新たな引き締まった心)
〈鑑賞〉(感想・補足)
・明治41年、師事する高浜虚子が俳句から遠ざかると
投句を止め、家庭の事情もあって故郷の山梨へ帰り
家業の農業をするようになった。だが、大正2年、
河東碧梧桐らが新傾向俳句を提唱するのに反論する
形で虚子が俳壇に復帰すると、投句を再開した。
右の句はその頃の句で、その後は次々と名句を発表
して、「ホトトギス」を代表する俳人となった。
・「連山影を正しうす」とは、整然と威儀を正す連山
の姿に、決意新たに俳句に精進しようとする自分の
姿を投影しているのだろう
・上五で切って一気に詠み下し、終止形で言い止める
所に格調の高さが出ている、初期の代表作
・故郷の農山村の自然・風土や人々の生活と向き合い
ながら、切れ字・切れ・調べを重視して主観も投入
した、重厚で張りのある作風を確立した
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right★発問☆解説ノート★
・芋の露=里芋の広葉の上に置く大粒の露。秋の季節
の爽涼を感じ取ったか→季語(秋)・句切れ・詠嘆
・連山→(山梨県)南アルプス山脈
・影=日・月などの光。(光が反射して水や鏡の表面
に映った)(目に見える)物の姿や形や色。
光によって翳った部分。
・正しうす=(「正しくす」のウ音便)威儀を正す、
姿勢を正す、居ずまいを正す→擬人法
→眺める作者の、決意も新たに俳句に精進しようと
する引き締まった心の姿を示す
<<芋の露>>
↓↑
<<連山の影>>
・芋畑の中の一枚の葉の上に置く一粒の大きな露と、
青黒くくっきりと稜線を連ねる山々とを描く、
近景と遠景の取り合わせという構図となっている
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