(先生の現代文授業ノート)太宰 治「富嶽百景」
left★板書(+補足)★
「現代文授業ノート」(普通クラス)
   太宰 治 「富嶽百景」

〈出典・作品〉
昭和14年(1939)「文体」発表(作者30歳
〇前年の現実の出来事を再構成した(自伝的)小説
 (昭和13年=29歳)    (フィクション)
<希望と平穏に向かう>太宰の中期を象徴する作品
 →ほぼ事実に即し、様々な富士を写しながら
  その時々の心象風景を綴った

〈作者〉明治42年(1909)〜昭和23(1948)
・大地主の家
  ↓(母性への憧憬・疎外感)
・罪悪感・幾つもの挫折      (→自己否定)
  ↓
破滅的な生活と作品
  (但し、中期は結婚して安定し、明るく健康的)
  (戦時中も妥協せず、時流に便乗しない作品)
  ↓
新戯作派(無頼派)

〈作風の変化〉
初期(昭和7年〜13)
 (社会の脱落者として)
 生きることの不安と苦悩を描く
中期(昭和14年〜20)
 結婚して生活が安定し、明るく健康的な
 (人間信頼の上に立った)作品を描く
戦後(昭和21年〜23)
 再び破滅的な傾向を強くし、
 戦後の混乱の中にあって、(人間の真実を見よう
 とするが、)行き詰まり自殺(39歳)

〈時代背景〉
〇1937年に日中戦争、1941年は太平洋戦争に  突入する、政治社会体制が軍国主義の時代

〈概要〉
<人間を信頼>して、あるがままに生き、
 <新しい文学>を作っていこう
 という決意
の表れた中編小説



right★発問☆解説ノート★
(小説)2015年12月(2020年2月改)






<井伏鱒二の仲人(媒酌)で結婚>
 →生活が最も安定して、健康で穏やかな時期
         (戦争という暗い時代だったが)


・青森県津軽の生まれ
・母は病弱で、乳母に預けられる
・自殺未遂・心中(未遂)5回・麻薬中毒
       (→2人の女性の死・実家から勘当)

・困難な時期も、妥協を許さない創作活動を続けた
 数少ない作家




・処女創作集『晩年』
        (昭7「思い出」昭10「猿が島」)

・「富嶽百景」「走れメロス」


・「ヴィヨンの妻」「斜陽」
 「人間失格」「グッドバイ」→新戯作派(無頼派)







〈粗筋〉
▼昭和13年(1938)秋、荒れた生活と心を立て直す
べく、御坂峠へ登った
▼毎日、富士と対面し、温かい人の心に触れる
▼師の井伏氏の世話で見合いし、婚約までこぎつける
▼冬の来る頃、富士に感謝しつつ、峠を降りる

left★板書(+補足)★
〈全体の構成…起承転結〉    (→要約→要旨)

【一】富士の通俗性と多様性
 @絵と違う実際の富士(の通俗性)
 A富士の多様性
                    (導入)
【二】旅に出た御坂峠での富士との対峙
 @旅に出た動機
 A御坂峠の富士との対峙
 B三ツ峠の富士と人の温かい心
 C甲府の見合いの席での富士
                   (展開@)
【三】様々な富士との対談と結婚の話
 @御坂の真っ白に光り輝く富士
 A月見草のエピソード
 B富士と芸術に対する思い
 C御坂峠に来た遊女の一団体
 D頓挫しかけた結婚の話
 E茶屋の娘の純粋な声援
                   (展開A)
【四】富士との別れ
 @下山の決意と知的なお嬢さん
 A御坂峠から富士を下山
                    (結び)


right★発問☆解説ノート★
〈各段落の粗筋〉

























left★板書(+補足)★
〈授業の展開〉

<小説の舞台設定>…5W1H
 (いつ)  昭和13年(29歳)初秋9〜11月
 (どこで) 旅に出た御坂峠の茶店の2階で
 (誰が)  作者と思われる「私」が
 (何を)  富士山と対峙して自らの新しい文学を
 (どうした)考えていた
   ↑
 (なぜ)  心と生活を改める再生を思ったから


right★発問☆解説ノート★
<小説の枠組→場面・人物の設定>
                ↑
                ↑
              <時代>
        ←←<場所>【人物】<場所>→→
              <時代>
                ↓
                ↓




left★板書(+補足)★
【一】富士の通俗性と多様性
                    (導入)
@<絵と違う実際の富士>(の通俗性)

絵の富士…鋭角         (細く高く華奢)
   ↓↑〈けれども…違う〉
実際の富士…鈍角
      秀抜のすらと高い山ではない
   ↓
  俗な宣伝を知らない
 <素朴な純粋の虚ろな心に、訴えるものはない>
       →予め憧れていなければ、驚嘆しない
          (俗っぽい、つまらない山だ)


A<富士の多様性>(多様な姿)

十国峠からの富士だけは…高くて良く、驚いた
      (予想より倍も高く、すっと青い頂)
      (変にくすぐったく、げらげら笑った)
              (←完全の頼もしさ)
東京のアパートからの富士…苦しい
        (小さく傾いて沈没しかけた軍艦)
             (→富士と自身の比喩)
  二度と繰り返したくない苦しい過去
  (3年前の冬…)を思い出させる山

▼〈まとめ〉
実際の富士は、絵の富士と違って秀抜の高い山ではな
い。俗っぽい宣伝で憧れるイメージがなければ、素朴
で純粋な心に訴えるものはない

良いのもあったが、二度と繰り返したくはない苦しい
過去を思い出させる山でもある。

right★発問☆解説ノート★




・細かい数字→客観的な物の見方のように思わせる
       (世間一般の常識的な考えに対して)
・違いを印象深く強調し、「インド…」と滑稽な調子
 で、読者を巧みに作品世界に引き込む
★ニッポンのフジヤマ…ワンダフル(カタカナ表記)
外国人も富士を称賛するのは、
 俗な宣伝で、予め憧れるイメージを持って見るから
・俗っぽい=いかにもありふれていて、上品でない
 通俗的=興味本位で、あまり高度でなく
     世間一般で好まれる様







現在も、東京のアパートから富士を見ると、
 (三年前の冬の、二度と繰り返したくない)
 過去の辛い経験が思い出されて、苦しくなる
 ・昭和10年(26歳)
  東大落第・入社試験失敗・芥川賞落選・自殺未遂
 ・昭和11年(27歳)
  麻薬中毒で入院(精神病院?)
 ・昭和12年(28歳)
  谷川温泉で最初の妻(芸者)と心中未遂・離婚




left★板書(+補足)★
【二】旅に出た御坂峠での富士との対峙
                   (展開@)
@<旅に出た動機>

(昭和13年初秋)
<思いを新たにする覚悟>で旅に出る
    ↓
  甲州の山々
     山の拗ね者は多く、此土に仙遊するが如し
     山のげてもの(…擬人化→作者を比喩?)
  (俗世間から離れ、
   過去と訣別する自分にふさわしい)
    ↓

A<御坂峠から見る富士>

御坂峠の天下茶屋へ
  ・師事する井伏鱒二が逗留
  ・見合いの予定
富士と毎日向き合う
  富士三景の一つ
    ↓
    おあつらいむき(の富士)
         (注文通りの景色で、俗っぽい
    ↓
  <あまり好かない> (…軽蔑した)
      (狼狽し、顔を赤らめた…恥ずかしい)

▼〈まとめ〉
思いを新たにする覚悟で旅に出、師事する井伏鱒二が
逗留する御坂峠の天下茶屋に滞在することになった。
御坂峠から見る富士は富士三景の一つだが、注文通り の景色は通俗的で、好きになれなかった。

right★発問☆解説ノート★





☆以前の状態をほのめかす記述
 →荒れて不安定な生活と心を立て直す
・信州・飛騨の高く聳える山とは、形などが違う
☆拗ねたような山は多くて、俗世間を離れたこの地で
 仙人が悠々と遊び楽しんでいるようだ
・仙遊=俗世間を離れて、悠々と遊び楽しむ
・げてもの=品格は劣るが、風変わりな所がある





・昭和5年から太宰が師事
 →読者が関係を知っているかのような書き方
・富士を擬人化

☆こうあって欲しいと願うような構図にぴったり当て
 はまる、大衆的なイメージに染みついた富士
(世間一般にありふれた、俗でイメージ通りの景色)
 →誂え向き=注文(希望)どおりであること
 →風呂屋のペンキ絵・芝居の舞台の書き割り
☆注文通りのような富士の俗っぽさへの嫌悪(反感)
 →素朴な純粋の虚ろな心に訴えるものがない
 →大衆受けする通俗的な姿を、堂々とさらしている
  のが気恥ずかしく思えた
(世間一般に流布する世俗的な権威を無条件に肯定・
 称賛する通俗性への嫌悪から、御坂峠から見る富士  に否定的な思いがある)

left★板書(+補足)★
B<三ツ峠の富士>

(2・3日後)
井伏氏と三ツ峠に登る
        ・井伏氏…ちゃんと軽快な登山服姿
        ・「私」…むさ苦しいどてら姿
             地下足袋・麦藁帽
    ↓
 ・井伏氏は…ゆっくり煙草を吸いながら
  放屁なされた        (→常に自然体)
      (→敬意・親しみ=揶揄していいという
               甘えと茶目っ気)
 ・眺望がきかず          (←深い霧)
    ↓
 ・茶店の老婆が、富士の(大きな)写真を
  持ち出し…懸命に注釈

    ↓
  <いい富士を見た>
        (人の善意に感謝

▼〈まとめ〉
師事する井伏鱒二や茶店の老婆の善意に接し、三ツ峠
から見る富士を素晴らしいと思う

right★発問☆解説ノート★




・人のなりふりを決して軽蔑しない人だが、
 気の毒そうに労わってくれる(思いやり・優しさ)
・「私」は常に他人から見える自身の姿を気にする

・敬語→滑稽・ユーモア
 →井伏鱒二は「亡友」に「事実無根」と書いている
・他人の視線をあまり気にせず、常に自然体で振舞う
☆茶目っ気を許容する、懐の大きい人柄と師弟愛



・少し過剰で滑稽








left★板書(+補足)★
C<甲府の見合いの席での富士>

(その翌々日)            (世話)
甲府で見合い         (井伏氏の媒酌で)
      ・井伏氏…無造作な登山服姿
       「私」…角帯に夏羽織(正服)
        ↓
      ・娘さんの顔を見なかった
      ・井伏氏と母堂は大人同士のよもやま話
    ↓
 ・井伏氏が「おや、富士」  (と…背後を見る)
    ↓(後ろの額縁の)
 ・富士の写真を見るついでに
  ちらと見合い相手の顔を見た
    ↓  ……<真っ白い睡蓮の花>に似ていた
   ・結婚を決意    (多少の困難があっても
              この人と結婚したい)
    ↓
 <あの富士は有り難かった>

(その日)
井伏氏は帰京
      ・「私」は御坂の茶屋で少しずつ仕事
      ・好かない「富士三景の一つ」と
       へたばるほど対談

▼〈まとめ〉
師と仰ぐ井伏氏の媒酌で、甲府の清楚な女性と見合い
して結婚を決意し、人生に前向きになる

right★発問☆解説ノート★



・モデルは石原美知子。東京女子高等師範=お茶の水
 卒業、都留高等女学校の教員


・よもやま話=世の中の様々な話
 →「私」は自分を大人とは思っていない

緊張した「私」に相手を見るきっかけを与えた
 →自然体で、緊張を和らげようという意思もなし?


・噴火口(一面に雪)の鳥瞰写真
真っ白い水連の花のように清楚で美しい見合い相手
 の娘さんを見て、結婚を決意したことを暗示(?)

人の善意と共に現れた富士に感謝
 →富士の写真のお蔭で、相手を見ることが出来た


・9月〜11月15日
・擬人化→富士との関係性に変化?






left★板書(+補足)★
【三】様々な富士との対談と結婚の話
                   (展開A)
@<御坂の真っ白に光り輝く富士>

(ある朝)
富士に雪が降った
 ・娘さんが赤い顔で絶叫   (自慢したい富士)
          (見ると、雪。はっと思った。
           富士に雪が降ったのだ)
 ・山頂が真っ白に光り輝く   (赤と白の対照)
    ↓  (対になった文)
 御坂の<富士もばかにできないぞ>
      (やはり富士は雪が降らなければ駄目だ
       …尤もらしい顔をして教え直した…)
    ↓
山で取って来た月見草を(茶店の背戸に)播く
 ・「僕の月見草」→来年また来て見る
    ↓

A<月見草のエピソード>

月見草を選んだ事情があったから (→過去の回想
 ・(以前)河口村の郵便局から戻る途中
      (バスの女車掌が散文的な口調で説明)
    ↓
 ・遊覧客達…「俗」
        (一斉に車窓から首を出し
        (変哲もない三角の山を眺めては
         間抜けな嘆声を発し、ざわめく)
 〈けれども〉↓↑
 ・母と似た
    老婆…「反俗」
        (他と違って富士には一瞥も与えず
         反対側の断崖を見つめる)
          ↑
        「私」も共鳴
          (あんな俗な山、見たくない
          (高尚な虚無の心
           擦り寄って見せてやりたい)
    ↓
  「おや、月見草」と指さす(老婆)
    ↓
<富士には月見草がよく似合う>
 =富士と立派に対峙する月見草
        ・微塵も揺るがず
        ・けなげにすっくと立っている

▼〈まとめ〉
雪で光り輝く富士を見直し月見草を播いたのは、富士
には月見草がよく似合うと思う事情があったからだ。
威容を誇る富士に対して小さいながら堂々と対峙する
姿に、自分もこうありたいと共感を覚えたのだ

right★発問☆解説ノート★






・15歳→茶店のおかみの妹がモデル
・一瞬の衝撃を必要最小限に表現   (→俳句?)

・多くの人の善意と温かさに触れ、見合いも決まって
 人生が定まったような、心の様(?)
☆こんな富士は俗でだめだ、とかねがね否定していた  御坂の富士を見直したが、日頃の言葉を訂正するの  が照れ臭く思う本心を悟られなくなかった
 →直ぐに考えを変え、尤もらしい顔→滑稽

・富士に対峙する月見草のようでありたい






・文章を読むような口調

☆「俗」=ありふれていた大衆的・下品・卑しい
     世俗的に権威あるものを無条件に受け入れ
     迎合して、称賛・感動する
(?)


・濃い茶色の被布・青白い端正な顔・60歳くらい
 すぐ隣に座る・胸に深い憂悶  →親近感・好意?
          (老婆が反俗そのものに見えた)









俗であるが、威容を誇る富士に対し、小さいながら
 堂々と向かい合う月見草の姿に共感を覚えた
 →俗なものや権威の象徴のようなものに立派に対峙
  する姿は、生き方の指針となる







left★板書(+補足)★
B<富士と芸術に対する思い>

(10月半ば過ぎ)
仕事は遅々として進ます
    ・わざと富士には目もくれず
    (血の滴るような真っ赤な山の紅葉を凝視)
    ・女将とちぐはぐなやり取り→滑稽・温かさ
    (山へ登っても同じ富士が見えるだけ)
(寝る前)
月のある夜の富士
 =青白く水の精みたいな姿      (肯定的)
         (幽かに生きている喜び…苦笑)
         (仕事が苦しい)
  ↓(明日の新しい文学)
<自分の世界観・芸術>について思い悩む
    ↓
 ・<単一表現>(の美しさ)
   =素朴な自然の簡潔で鮮明なものを
    さっと一挙動で掴まえて
    そのまま紙に写し取る
        ↓
     ・眼前の富士も別の意味を持って映る
        ↓
     <けれども>
     ・余りにも棒状の素朴な富士には閉口
      →いい表現でなく、どこか間違っている
       と、再び思い惑う
    ↓
(朝夕)富士を見ながら陰鬱

▼〈まとめ〉
素朴で自然なものを簡潔で鮮明にという「単一表現」
の美しさこそが、自分の明日の新しい文学だと考える
が、具体的には曖昧で思い悩む

right★発問☆解説ノート★









・俗っぽいと頭から否定していた富士を
 余裕を持って見ることができるようになった
       (←人々の善意や温かい心・見合い)
・過去を伺わせる叙述の挿入(←太宰の作品の特徴)



・最も素朴で本質的なものを、簡潔に解り易く表現
 →「素朴な純粋の虚ろな心に、訴えるもの」という
  表現が冒頭にもある
 →但し、「私」自身にも曖昧

☆眼前の富士の姿は、素朴な自然の簡潔で鮮明なもの
 であり、「単一表現」の美しさの対象となりそうだ
                   (肯定的)
☆だが、御坂の富士は余りに単調すぎて個性がなく、
 自分が求める「単一表現」の素朴な美しさとは違う
 と否定→「単一表現」を曖昧で具体的に思い描けず

☆無視できない富士の存在感
 →俗っぽい一面だけでなく、多様な富士が存在する





left★板書(+補足)★
C<御坂峠に来た遊女の一団体>

(10月末)
暗く侘しく見ておれない
        ・命惜しまぬ共感も
         何の加える所もない
        ・関係ない…無理に冷たく…
 ・過去に付き合った女性たちを思い出す
      (どうしてやることも出来ない
     →かなり苦しかった
        ↓
      富士に頼もう
          (傲前と構える大親分のよう)
        ・安心して…トンネルに出かける
        ・30歳位…この女も富士に頼もう
        ・トンネルの冷たい水を…受け……
         俺の知ったことでない…
 ・遊女たちの幸福を願う一方、罪悪感も覚える
        ↑       (再生)
※「私」…<過去との決別と、人生の再出発>を思う

▼〈まとめ〉
御坂峠に来た遊女たちを見て、過去の女性たちを思い
出して苦しかったが、過去との決別と人生の再出発を
強く思う

right★発問☆解説ノート★



・遊女たちは、生い立ちも現状も決して幸せではない
・一人のカフェ女給に命を惜しまず共感を覚えて心中
 未遂をし、自分だけ生き延びたことも過去にあった
 が、今の私はどうすることもできない
 →過去を伺わせる叙述の挿入(…太宰作品の特徴)



☆どうにも出来ず、遊女たちの幸福を願って託す思い


・前年(昭12)谷川温泉で心中未遂をした後に離婚
 した、最初の妻(芸者)だろう
罪悪感を抱くものの、過去の全てと決別したい思い
 →破滅的で荒廃した過去と決別し、再生を願う思い








left★板書(+補足)★
D<頓挫しかけた結婚の話>

(その頃)
故郷からの助力が全くなし   (→途方に暮れる)
        ・結婚式←故郷から100円…予定
        ・所帯の費用←仕事の稼ぎ…… 〃
    ↓         (縁談断られても…)
相手の家に行き説明     (…甲府へ)
    ↓         (悉皆の事情を告白)
       (故郷では反対なのかと首を傾げる)
 ・あなたお一人、愛情と職業の熱意さえあれば結構
          ↓  と母堂は<結婚を承諾>
        ・この母に孝行しようと思った
              (呆然と…目が熱く)
「私」を見送る娘さん
        ・もう少し交際いいえ、もう…
        ・何か質問は→富士山はもう雪が…
         その質問には拍子抜け
         富士が見え…変な…やくざな口調
            ↓
        ・御坂峠にいるのだから…と思って
           (うつむいてくすくす笑う)
    ↓    →おかしな娘さんだと思う
 (娘さんも結婚を承諾)(→再生)

▼〈まとめ〉
強い決意をしていた結婚は、故郷の助力がなく頓挫し
かけたが、相手側が世俗的なものに捉われず受諾して
くれ、「私」は人生の再出発を強く志向する

right★発問☆解説ノート★


・頓挫=急に行き詰まり駄目になる
・昭和初期の貨幣価値は、現在の600〜2000倍
 →100円×2000=20万円
・太宰の生家は銀行などを経営する資産家だったが、
 過去の数々の不始末のせいで援助が全くなく、挙式
 の費用が用意できそうもない
・実際には、書簡での告白


家柄・財産を抜きに本人だけを信頼して結婚を承諾
 する、理解ある温かい母親の言葉(予期に反する)
☆結婚を決意した人の母親が全面的に自分を信頼して
 結婚を受諾
してくれた  →感動して思わず涙
★少し気取って、結婚の意思を確認→娘も結婚を受諾
☆自分の過去や今後の経済的な事と身構えていたが、
 予想外の質問だった
・真剣なだけに緊張していたが、気取りもあった

世俗的・通俗的なものに捉われず、相手を肯定的に
 温かく素直に受け止める思い
緊張が急に解けて、二人の距離も縮まり、感動的な
 触れ合いがあった場面


★※「私」…<結婚への強い決意→人生の再出発>



left★板書(+補足)★
D<茶屋の娘の純粋な声援>

甲府で緊張
        ・ひどく肩が凝る
        ・やはり御坂はいい(自分の家…)
    ↓
(御坂へ帰って2・3日)
ぼんやり…仕事する気も起こらず
    ↓   ・金剛石も磨かずば…とは思うが
15の娘が「私」を叱咤
    ↓       (芯から忌々しそうに…)
 ・ありがたいことだ(人間の生き抜く努力への)
          <純粋な声援>
    ↓
 ・娘を美しいと思った

▼〈まとめ〉
茶屋の女将や娘の素朴で温かい心からの善意と励まし
を有難いと思う

right★発問☆解説ノート★


・強い決意をしていた結婚話であり、真剣で緊張した
・女将と娘が代わる代わる肩を叩いてくれる
 →素朴で温かい心(善意と励まし)

・甲府での緊張の反動で、意欲が湧かず
         (小説は一枚も書き進められず)
☆早く仕事を進めなければ、とは思っている
ほのかな好意を寄せていて、
 見合い相手への嫉妬の情を刺激される
 →「私」の鈍感さ→滑稽


何の報酬も考えず、純粋な声援を送る  (感謝)


<皆の温かい心+見合い+富士→人生の再出発>


left★板書(+補足)★
【四】富士との別れ
                    (結び)
@<下山の決意と知的なお嬢さん>

(11月)
耐え難い御坂の寒気
        ・茶店…ストーブ・炬燵を用意
                 (人々の親切
        ・2/3 ほど冠雪した富士
        ・蕭条たる冬木立
        ・辛抱するのは無意味
    ↓          (皮膚を刺す寒気)
 ・<下山を決意>

(下山の前日)
東京から来た二人の若い娘
 =<「俗っぽさ」の象徴>
        ・真っ白い富士…打たれたように
         立ち止まり…  (思わず感動)
        ・写真撮影の依頼
           (はいからの用事を…狼狽)
           (こんな姿はしていても…)
      ↓
 ・レンズには…真ん中に大きい富士
  その下に小さい罌粟の花二つが… (赤い外套)
        ・真面目な顔…澄まして固くなる
          ↓
        ・おかしくてならぬ
    ↓
 ・二人を収めず、富士だけをレンズに (パチリ)
 =<富士山さようなら、お世話になりました>
            (富士への感謝
            (温かい心・婚約・再生)
▼〈まとめ〉
寒気に耐え難く下山することになった前日、東京から
若い娘二人が現れた。写真撮影を依頼されたが、俗な
二人は排除して富士だけを撮った。常に傍らにあって
人生と芸術の再生の手がかり与えてくれた富士に感謝
する思いがあったからだ


A<御坂峠から富士を下山>

(その明くる日)
御坂峠から下山
              (甲府の安宿に一泊)
(その明くる朝)
甲府の安宿の汚い廊下から見た富士
            (山々の後ろから1/3 ほど
             顔を出している)
    ↓
 ・<酸漿に似ていた>
            (郷愁と再生への思い?)
▼〈まとめ〉
山々に囲まれた富士を見て、酸漿で遊んだ幼少時への
懐かしい郷愁を覚え、素朴で純粋な心で再び前向きに
生きよう、と静かに固く思った

right★発問☆解説ノート★






・しんから礼を言いたく思う


・蕭条=ひっそりと物寂しい様
 →「血の滴るような真っ赤な山の紅葉」から
  確実に季節が変わる
・思いを新たにする覚悟で来たが、拍子抜け
     (仕事の行き詰まりが解決した訳でない

・華やかで知的なタイピスト
・タイピスト=戦前は、女性の働ける職業が限られて
 いた中でも、人気が高かった
・はいから=明治時代に洋行帰りの人々が、丈の高い
 襟を着用。西洋風で目新しく、気取ったりする
・カメラ=高価で、買えるのは裕福な層に限られる
・(自意識過剰な作者)引け目→少し自惚れの気持ち


・俗っぽさの象徴のような二人
 (主人公→他人の視線を常に意識していながら、傍
  から見てその滑稽さに初めて気付くような思い)

富士が常に傍らにあっ(て、向き合ってい)た中で
 @人々温かい心に触れ A婚約して人生も定まり
 B再生の手がかりを見出せた
 ことに感謝する思い
(俗の象徴として嫌悪していた富士だが、多様な側面
 があって存在を無視できず、常に向き合っていた)

=これまでの環境から離れて思いを新たにするため、
 「私」は御坂峠にやってきた。そこで人々の温かい
 心に触れ励ましを得た。過去と決別して、再生への
 志向をすることが出来たのだ。その間、富士は常に
 多様な姿で傍らに存在していた。富士と共にあった
 峠での日々の全てに感謝する思いが込められている








1.朝焼けに照らされて富士が赤く見える
2.酸漿の実を笛のように鳴らすことがあった幼少時
  への、郷愁のような懐かしさを覚える
酸漿を口にして遊んだ子供の頃を懐かしく思い出す
 のと同様の、優しく穏やかな心で受け入れるような
 心情で富士を見ている




left★板書(+補足)★
〈主題〉(100字)
過去と決別し、思いを新たにする覚悟で御坂峠に来た
「私」は、俗であるが存在を無視できない富士と常に
対峙しながら、周囲の人々の温かい心に励まされて、
明日に向かって再生しようとする、その様を描く。

〈主題〉(180字)
「私」は、過去と決別して、思いを新たにする覚悟で
御坂峠の天下茶屋にやって来た。周囲の人々の温かい
に励まされ、恩師である井伏鱒二の媒酌で見合い
して、「反俗」に固執せずに素朴で純粋な心を持って
人生を再出発しようと思う。また、俗ではあるが存在
を無視できない富士と対峙して、自分の新しい文学を
作っていこうという決意を強めつつあった。そんな姿
と心を描いている。

right★発問☆解説ノート★
×〈主題〉(100字…参考資料)
思いを新たにする覚悟で、御坂峠の天下茶屋にやって
来た「私」は、初め富士のことを「俗」として軽蔑し
ていたが、次第にそうした見方にとらわれない多様な
富士の姿を見出して行くようになった。

×〈主題〉(200字…参考資料)
思いを新たにする覚悟で「私」は御坂峠の天下茶屋に
やって来た。「私」は「明日の文学」の方向性に思い
悩み、結婚話も頓挫しかける。だが、人々と触れ合う
うちに、「私」は次第に「反俗」を志向する凝り固ま
った生き方から脱し始める。それとともに、富士への
見方も「俗」として軽蔑するだけだったのが、次第に
そうした見方にとらわれない多様な富士の姿を見出し
て行くようにうになるのである。

left★板書(+補足)★
〈参考〉(…文学史に関する過去問題)
問十 次は右の作品を解説したものである。空欄に当
   てはまる言葉をそれぞれ答えよ。
 『富嶽百景』は( 1 )が昭和十四年に発表した
中編小説である。昭和十三年(一九三八年)秋、荒れ
た生活と心を立て直すべく、御坂峠へ登った時のこと
が書かれている。
 「私」は、毎日富士と対面し、何人も温かい人々の
心に触れる。師の井伏氏、麓の街の青年たち、茶店の
娘さん、そして名も知れぬ人たち。井伏氏の世話で、
甲府の女性と見合いもして、「私」はすべての事情を
告げて、必死の思いで婚約までこぎつける。冬の来る
頃、「私」は富士に感謝しつつ、峠を降りる。以上が
あらすじである。
 ほぼ事実に即し、様々な富士を写しながらその時々
の作者の心象風景を綴っていて、人間を信頼し、ある
がままに生き、新しい文学を作っていこうという決意
に貫かれている。『走れメロス』などと共に、希望と
平穏に向かう中期を代表する作品と言えよう。
 作者の( 1 )は青森県津軽の大地主の家に生ま
れ、初め左翼に参加、後には( 2 )と呼ばれた。
自身の存在の罪と苦悩に満ちた内面を自虐的に語った
『( 3 )』を総決算として、入水自殺で生涯を終
えた。

〈富士の多様性〉(…「私」の目)
・御坂峠から見た富士
  ×まるで風呂屋のペンキ絵
・三ツ峠から見た富士
  〇いい富士を見た
・見合いの席で見た富士
  〇真っ白い睡蓮の花に似ていた
   あの富士はありがたかった
・冠雪した富士
  〇御坂の富士もばかにできないぞ
・河口村からのバスの中から見た富士
  ×変哲もない三角の山
  ×あんな俗な山、見たくない
  〇富士には月見草がよく似合う
・月のある夜の富士
  〇青白く水の精みたいな姿
  〇「単一表現」の美しさ
  ×余りにも棒状の素朴な富士には閉口
・見合い相手の娘と見た富士
  〇富士が見える…変な気が…
・カメラのレンズを通して見た富士
  〇富士山さようなら、お世話になりました
・甲府の宿から見た富士
  〇酸漿に似ていた

〈周囲の人々の描かれ方〉
・井伏鱒二
  外見を気にかけずに 自然体で、悠々としている
  (「私」は自意識過剰ぶりを振り返る契機)
・三ツ峠の茶屋の老婆
・見合い相手の娘と母堂
・茶店の娘
・バスの乗客の老婆

〈結婚に関する挿話の小説の中での位置づけ〉
 文学・生活の再生を志向する大きな契機
 (文学における「単一表現」は具体的に思い描けて
  いないが、結婚の強い意志は生活における「私」
  の再生を予感させる所がある

〈「単一表現」と「私」の生き方・文学〉
「私」は、素朴な自然の純粋なものを「単一表現」と
して追求し、世間にありふれた卑しいものを「俗」と
して軽蔑した。しかし、自意識過剰な「私」は、自分
の中にも「俗」があるのではないかと他者に見られる
ことが怖かった。だから、新しい文学を求める一方で
過剰に「俗」を嫌悪したのだろう。
3ヶ月ほど御坂峠に逗留した「私」は、俗であるにも
かかわらず、威容を誇りその存在を無視できない富士
の多様性と対峙
することで、自らの明日の文学を考え
続けていたのではないだろうか
            【俗】ありふれた
           <旧> もの・人間・文学
             ××
             ↑
   <自意識過剰>→【私】
             ↓
             〇〇
           <新>  ありのまま?
           【単一表現】素朴で自然
                本質的なもの?

right★発問☆解説ノート★
〈作者の年譜〉
明治42年 青森県津軽の県下有数の大地主の家
(1909)生まれる
       (銀行も経営、父は衆議院・参議院
        議員に、兄は県知事に)
       (階級意識からくる負い目)
       (選ばれし者としての優越感と罪悪感
        →存在の罪→生の不安と苦悩
       (滅ぼされる者であるという
        過剰な自意識→自己否定
        →この世の真実を描こうとする)
      母は病弱で、乳母に預けられる
         <母性の欠落?と憧憬・疎外感
昭和 2年 弘前高校在学中(18歳)
(1927)尊敬した芥川龍之介の自殺に衝撃
                 (懐疑と挫折)
      自殺未遂@
      芸者(小山初代)と交際
昭和 5年 東大入学(21歳)
(1930)井伏鱒二に師事   (小説家への道)
      左翼非合法活動に参加
      芸者と結婚し、<実家から勘当>
      鎌倉で銀座<カフェ女給と心中未遂>A
             (自分だけ生き延びる)


昭和 7年 左翼非合法活動から脱す(転向)
(1932)<「思い出」執筆に専念>(23歳)
          (自伝的小説)(退廃の泥沼)
昭和10年 ※東大落第(26歳)
(1935)※都新聞の入社試験失敗
      ※<芥川賞の落選>(「猿が島」発表)
      自殺未遂B
昭和11年 麻薬中毒で入院(27歳)
(1936)        (前年の盲腸炎から)
      第一創作集『晩年』刊行
        (遺書のつもりで書く…死を意識)
昭和12年 谷川温泉で芸者と心中未遂C(28歳)
(1937)別離
          (幾多の挫折→破滅的な小説)
昭和13年 御坂峠の天下茶屋で創作専念(29歳)
(1938)見合い
       (富士山の姿の変貌に伴っての
        自己の心境の変化)
       (自己を見つめ、
        改めて文学に生きようとする)

昭和14年 井伏鱒二の媒酌で<石原美知子と結婚>
(1939)      (30歳…人間性の回復)
         「富嶽百景」「走れメロス」執筆
       (生活が安定し原稿依頼も多く佳作)
       (戦時中の困難な時期も、時流に便乗
        せず
、妥協を許さない創作を続けた         数少ない作家)

昭和22年 太田静子の日記を借り、「斜陽」を起稿
(1947)女児の治子の誕生・認知  (38歳)
         (美しい滅びを肯定する人間像)
      山崎冨栄と知り合う
      (戦後民主主義の中、戦前と変わらず、
       全員一様になびくという状況絶望し、
       無節操に時流に便乗する文壇・ジャー        ナリズムを批判)
            (破滅と絶望の戦後生活)
            (退廃的な文学に戻る)
昭和23年 「人間失格」「グッドバイ」を執筆
(1948) (破滅していく自己を見つめながら、
        罪と苦悩に満ちた自分自身の内面的
        自画像と自虐的に語った自伝的小説
        …総決算)
       (告白の奥には、愛と人間性の美しさ
        への希求。人を喜ばせようとする
        道化の意識・ユーモア)
      しばしば喀血(39歳…飲酒・疲労)
      玉川上水で山崎冨栄と入水心中D
      (6/13→6/19=誕生日に遺体発見
       桜桃忌に太宰を偲ぶ集いが寺の墓で
       行われる
      →自殺または未遂4回・5回目の心中
               (2人の女性の死)
        ↓
      生涯の作風は
      真の人間信頼を求める
      虚構の上に成る告白の文学




left★板書(+補足)★
×〈「富嶽百景」という題と主題〉(…参考資料)
主人公は、冒頭でイメージとしての富士ばかりが流通
して、「実際の富士」を誰もみていないことを問題に
する。
しかし、富士を「風呂屋のペンキ画」と同じようなも
のとして軽蔑するのも、似たようなものである。富士
は富士としてただそこに存在するだけであり、そこに
ありきたりさを感じるのは、それを流通しているイメ
メージとしての富士に当てはめてそう感じる側に問題
があるのだが、何のイメージも抜きにして、何のイメ
ージとも関わりなく、対象の本質を見ることは不可能
である。
この小説では、富士のたった一つの本質を描こうとは
はしていない
。まさに「百景」としてしか描かれない
ものとして提示されているのである。だから、様々な
場面における富士の多様な姿が描かれているのだ。

×〈敬語表現と距離感〉(…参考)
・井伏鱒二
  敬語が常に使用されてはいない
  →敬意と親しみ

×〈ユーモア〉(…参考)
「私」は決して「反俗」を志向する立派な芸術家とし ては描かれていない。
 →戯画化され、相対化されている

right★発問☆解説ノート★
×〈表現〉(…参考)
・俳句…五七五
  十七音の短さ
  →物事の全体を表現するのは難しい
   ↓
  物事の中心となるもの(=本質)をつかみ出し
  それに鮮明な表現を与える
   ↓
・太宰
  複雑な物事でも、その本質をさっと一挙動でつか
  まえて、そのまま紙に写し取る。
  →ありのままを描くと言っても、
   だらだらと冗漫な描写を連ねるリアリズムとは
   一線を画する。
   →この「富嶽百景」も、事実と照合すれば細か
    い枝葉が切り取られて
いて、実際にはない要
    素が付加されているのが分かる。フィクショ
    ンとして再構成されたものなのだ。
    それなりの長さを持つ小説では、「簡潔な鮮
    明なもの」がいくつも生まれ、それが連続し
    ていく
のである。同じ事実や出来事が幾つも
    異なる姿を見せていく
のだ。





貴方は人目の訪問者です。