left★板書(+補足)★
「現代文授業ノート」(普通クラス)
太宰 治 「富嶽百景」
〈出典・作品〉
○昭和14年(1939)「文体」発表(作者30歳)
〇前年の現実の出来事を再構成した(自伝的)小説
(昭和13年=29歳) (フィクション)
〇<希望と平穏に向かう>太宰の中期を象徴する作品
→ほぼ事実に即し、様々な富士を写しながら
その時々の心象風景を綴った
〈作者〉明治42年(1909)〜昭和23(1948)
・大地主の家
↓(母性への憧憬・疎外感)
・罪悪感・幾つもの挫折 (→自己否定)
↓
・破滅的な生活と作品
(但し、中期は結婚して安定し、明るく健康的)
(戦時中も妥協せず、時流に便乗しない作品)
↓
・新戯作派(無頼派)
〈作風の変化〉
初期(昭和7年〜13)
(社会の脱落者として)
生きることの不安と苦悩を描く
中期(昭和14年〜20)
結婚して生活が安定し、明るく健康的な
(人間信頼の上に立った)作品を描く
戦後(昭和21年〜23)
再び破滅的な傾向を強くし、
戦後の混乱の中にあって、(人間の真実を見よう
とするが、)行き詰まり自殺(39歳)
〈時代背景〉
〇1937年に日中戦争、1941年は太平洋戦争に
突入する、政治社会体制が軍国主義の時代
〈概要〉
〇<人間を信頼>して、あるがままに生き、
<新しい文学>を作っていこう
という決意の表れた中編小説
|
|
right★発問☆解説ノート★
(小説)2015年12月(2020年2月改)
☆<井伏鱒二の仲人(媒酌)で結婚>
→生活が最も安定して、健康で穏やかな時期
(戦争という暗い時代だったが)
・青森県津軽の生まれ
・母は病弱で、乳母に預けられる
・自殺未遂・心中(未遂)5回・麻薬中毒
(→2人の女性の死・実家から勘当)
・困難な時期も、妥協を許さない創作活動を続けた
数少ない作家
・処女創作集『晩年』
(昭7「思い出」昭10「猿が島」)
・「富嶽百景」「走れメロス」
・「ヴィヨンの妻」「斜陽」
「人間失格」「グッドバイ」→新戯作派(無頼派)
〈粗筋〉
▼昭和13年(1938)秋、荒れた生活と心を立て直す
べく、御坂峠へ登った
▼毎日、富士と対面し、温かい人の心に触れる
▼師の井伏氏の世話で見合いし、婚約までこぎつける
▼冬の来る頃、富士に感謝しつつ、峠を降りる
|
|