left★板書(+補足)★
【三】(転)対人関係で形成される分人の意義
(転@)反復を通じて形成されるパターン
(本論A…考察)
〇分人のネットワークには中心が存在しない
↑ (なぜか)
分人は (常に、自然と)
<環境や対人関係の中で形成>される人格だから
=その切り替えは、相手次第で自動的になされ、
中心の司令塔が意識的に行っているのではない
=友達と出くわした時、私たちは無意識にその人
との分人になる。
「本当の自分」が、慌てて意識的に仮面をかぶ
ったり、キャラを演じたりするわけではない。
感情を隅々までコントロールすることなど不可
能である????
▼<分人をベースに自分を考えるということと、
「自我を捨てる」ということと、どこが違うか>
↓ (分人として生きる意義?)
〇人格=<反復を通じて形成されるパターン>である
↑
・私たちは反復的なサイクルを生きながら、回りの
他者とも反復的なコミュニケーションを重ねる
・会う回数が増え、親密さが増すほど、パタ
ーン(態度・喋り方・感情)はより複雑な
コミュニケーションにも対応可能になる
・関係する人間の数だけ分人として備わる
・他者とは生身の人間とは限らず、ネット上の相手
・文学・音楽・絵画・ペットでも構わず、コミュ
ニケーションのための分人を所有しうる
・年齢を重ねるにつれて交友関係が広がってゆき、
<分人の数>が増えてゆき、私たちは多種多様な
<分人の集合体>として存在している。
↓↓
●誰に対しても首尾一貫した自分でいようとすると、
ひたすら愛想の良い没個性的な当り障りのない自分
=八方美人でいるしかない。(単に自我を捨てる)
<しかし>↓↑
対人関係ごとに思い切って分人化できるなら、一度
の人生で、複数の<エッジの利いた自分を生きる>
ことができる(分人をベースに自分を考える)
▼〈段落まとめ〉
分人は、環境や対人関係の中で反復を通じて形成され
パターンである人格で、その切り替えは、相手次第で
自動的になされ、そのネットワークには中心の司令塔
が存在して意識的に行っているのではない。
対人関係の数だけ分人も増える。私たちは多様な分人
の集合体として存在する。分人をベースに自分を考え
ると、複数のエッジの利いた個性的な自分を生きるこ
とができる。
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right★発問☆解説ノート★
☆首尾一貫した唯一の「本当の自分・自我」が中心に
存在して、人格をコントロールすることはない。
(中心があるという固定観念に対して、批判的)
☆相手に応じて分人を切り替えて生きていくことは、
「自我を捨てる」ことにはならない。
(一人の人間の内なる「分人」は、環境や対人関係
の中で自然と形成されるものであって、意識的に
切り替えられるものではない。)
(分人とは、日常生活の中でのコミュニケーション
の反復によって形成される一種のパターンに他な
らない。)
☆私たちの生活には、一なる個人として扱われ局面が
多く存在するから(?)
・エッジの利(効)いた=端々がシャープで気が利い
ている様などを意味する表現。自在な動きが可能な
様を指す表現
★他と違って鋭い切れ味を感じさせるような、非常に
個性的な人間としての生き方ができる(?)
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