left★板書(+補足)★    
(先生の現代文授業ノート……普通クラス)
   平野啓一郎「分人とは何か」

〈筆者〉
・昭和50年(1975)〜
・小説家
・独自の人間観をもとに多彩なスタイルの小説を発表  する一方、美術・音楽の批評などの執筆活動を行う
 現代日本の思想に影響を与える
・主な著書 小説『日蝕』『マチネの終わりに』
     『ある朝』評論『考える葦』など
・出典 『私とは何か』(2012)

〈概要〉
・人間(人格)論(?)
・私たちは、多種多様な対人関係の中で、一個の個人  としてではなくて、各々のコミュニケーションへの  パターンとしての複数の人格である「分人」として  生きている。孤独に存在するのでなく、必要とする  他者との相互作用の中でしか生きていけないのだ。
                (→要約→要旨)

right★発問☆解説ノート★      
(評論)2024年8月


※随筆=自己の感想・意見・見聞・体験などを
    筆に任せて自由な形式で書いた文章(随想)
    ↓↑
 評論=物事の善悪・価値・優劣などを
    批評し論じた文章
【一】事実(一般論・常識)
【二】意見(一般論の否定→問題提起=筆者の意見)
【三】理由(具体例・考察=分析による説明)
【四】結論(双括型or意見の確認と補足)
 という構成


全体の構成 【一】(起)日常生きている複数の人格の矛盾
    (一般論・常識の否定)
    (筆者の意見=問題提起)
【二】(承)生きる足場を複数の人格(分人)に置く
    @(生きる足場を複数の人格に)
    A(分人という造語)
【三】(転)対人関係で形成される分人の意義
    @(パターンである分人と意義)
    A(分人の数とサイズ)
【四】(結)他者との相互作用の中にある私という存在
    @(意見の確認)
    A(補足)
left★板書(+補足)★    
〈授業の展開〉

【一】(起)日常生きている複数の人格の矛盾
    (序論…一般論・常識の紹介と筆者の意見)
<「個人」という概念>
  社会などに対する関係を捉える際には有意義だ
<ところが><日常の対人関係>を見るならば
  <実感から乖離>している
     ・この分けられない、首尾一貫した「本当       の自分」という概念は、大雑把で硬直的
    ↓↑    (「個人」←対比→「分人」)
〇私たちが日常生活で向き合うのは
 <多種多様な人々>
である
     ・彼らを「社会」と括っても意味がない
      (抽象的な社会と個人の関係ではない)
    ↓
〇私たちは相手との間に
 コミュニケーション可能な人格を生じさせて
 <複数の人格>を日常生きている

    ・相手の個性との間に調和を見出そうとする
    ・それぞれの人格で、語り、心を動かされ、      考え込んだりしている
<つまり>↓
 複数の人格は全て「本当の自分」である
    ↓↓
<にもかかわらず>
日常生きている<複数の人格>とは別に
 <中心となる「自我」=「本当の自分」>が存在
 すると考える<矛盾>のために、苦悩してきた
    ・一なる「個人」として扱われる局面が存在
    ・自我や本当の自分が存在するというた固定      観念
    ・複数の人格は表面的なキャラや仮面に過ぎ      ず、「本当の自分」はその奥に存在すると      理解

▼〈段落まとめ〉
「個人」という概念は、社会との関係などを捉える際 は有意義だが、日常の対人関係では実感から乖離して いる。
私たちは日常生活で多種多様な人々と向き合い、調和 のあるコミュニケーションを目指して、複数の人格を 生きているのである。
その人格は全て「本当の自分」であるにも拘わらず、 別に中心となる自我が存在しているように考える、と いう矛盾のために、私たちは思い悩み苦しんできた。

right★発問☆解説ノート★        




・概念=ある物事がどういうものかを言葉で定義した     もの。大まかな意味内容。(客観的)
・観念=物事に対して持つ考え。(主観的)
    物事について抱いているイメージ・捉え方。
    頭の中にある主観的な考え。
・首尾一貫=初めから終わりまで、態度や方針が、
      ずっと同じで変わらないこと
・乖離=本来ならば近くあるべきものが、不本意にも     互いにかけ離れていること




・人格=個人としての人間性、人間としてのあり方





☆複数の人格は全て「本当の自分」だが、「個人」と  いう首尾一貫した「本当の自分」はありえない(?)





・自我=ある事柄を自分のもの、
    自分に関係があるものとして考えること

・局面=碁や将棋の譜面。勝負の形勢。
    物事の、その時の状況・状態。
★私たちが複数の人格の全てを「本当の自分」として  日常生活を生きているのも拘わらず、それとは別に  中心となる「自我」が存在しているのではないかと  考えてしまう、という矛盾








left★板書(+補足)★      
【二】(承)生きる足場を複数の人格(分人)に置く
              (本論@…問題提起)
<ならば、どうすればよいか>
    ・自分という人(「私」)は現に存在している      から、自分を捨て、無私無欲になることは      できない
    ↓
<生きる足場を>   (対人関係の中で生じる)
 <複数の人格(←分人)に置く>
    ・その中心には自我や「本当の自分」は存在      しない
    ・人格どうしがリンクされ、<ネットワーク      化>されているだけである
=不可分に思われる「個人」を分けた
 小さな<「分人」という単位を考える>

    ・「分けられる」という意味の造語
    ↓
<しかし>
<自我を否定して、複数の人格だけで
 どうやって生きていけるか>

    ↓       (この段における答は?)
〇一人の人間は 中に複数の文人が存在している
 <分人の集合体>として生きている
    ・対人関係の中で、両親・恋人・親友・職場
 ・分人は、整数1でなく分数である。
    ・対人関係の数は違うので、分母は様々だ。
     相手との関係によって分子も変わる
 ・関係の深い相手との分人は大きく、
  関係の浅い相手との分人は小さい

▼〈段落まとめ〉
私たちは、生きる足場を対人関係の中に生じる複数の 人格に置き、不可分に見える「個人」を分割した単位 である「分人」として生きるべきである。
その中心には「本当の自分」は存在していず、それら がリンクされネットワーク化さた集合体としてある。
分人の大きさは相手との関係の深さによって決まる。

right★発問☆解説ノート★      


★<複数の人格>を生きているのに、<本当の自分>が  別にいるという<矛盾>による苦悩を解消するには
    ↓
 一なる「個人」という幻想に捉われずに、他者との  関係性において形成される複数の人格(「私」)を  生きるべきだ

☆「複数の人格」こそ各々全て「本当の自分」なので  ある。それ以外には中心に自我や「本当の自分」が  あることはない。


★生きる足場を、対人関係の中で生じる複数の人格に  置き、分人として生きるのである






















left★板書(+補足)★      
【三】(転)対人関係で形成される分人の意義
   (転@)反復を通じて形成されるパターン

                (本論A…考察)
分人のネットワークには中心が存在しない
    ↑              (なぜか)
 分人は            (常に、自然と)
 <環境や対人関係の中で形成>される人格だから
  =その切り替えは、相手次第で自動的になされ、
   中心の司令塔が意識的に行っているのではない
  =友達と出くわした時、私たちは無意識にその人    との分人になる。
   「本当の自分」が、慌てて意識的に仮面をかぶ    ったり、キャラを演じたりするわけではない。    感情を隅々までコントロールすることなど不可    能である????
分人をベースに自分を考えるということと、
 「自我を捨てる」ということと、どこが違うか>

    ↓      (分人として生きる意義?)
人格=<反復を通じて形成されるパターン>である
    ↑
 ・私たちは反復的なサイクルを生きながら、回りの
  他者とも反復的なコミュニケーションを重ねる
    ・会う回数が増え、親密さが増すほど、パタ      ーン(態度・喋り方・感情)はより複雑な      コミュニケーションにも対応可能になる
    ・関係する人間の数だけ分人として備わる
 ・他者とは生身の人間とは限らず、ネット上の相手   ・文学・音楽・絵画・ペットでも構わず、コミュ   ニケーションのための分人を所有しうる
 ・年齢を重ねるにつれて交友関係が広がってゆき、   <分人の数>が増えてゆき、私たちは多種多様な   <分人の集合体>として存在している。
    ↓↓
●誰に対しても首尾一貫した自分でいようとすると、  ひたすら愛想の良い没個性的な当り障りのない自分  =八方美人でいるしかない。(単に自我を捨てる)
 <しかし>↓↑
 対人関係ごとに思い切って分人化できるなら、一度  の人生で、複数の<エッジの利いた自分を生きる>  ことができる(分人をベースに自分を考える)

▼〈段落まとめ〉
分人は、環境や対人関係の中で反復を通じて形成され パターンである人格で、その切り替えは、相手次第で 自動的になされ、そのネットワークには中心の司令塔 が存在して意識的に行っているのではない。
対人関係の数だけ分人も増える。私たちは多様な分人 の集合体として存在する。分人をベースに自分を考え ると、複数のエッジの利いた個性的な自分を生きるこ とができる。

right★発問☆解説ノート★      



☆首尾一貫した唯一の「本当の自分・自我」が中心に  存在して、人格をコントロールすることはない。
 (中心があるという固定観念に対して、批判的)




☆相手に応じて分人を切り替えて生きていくことは、  「自我を捨てる」ことにはならない。

 (一人の人間の内なる「分人」は、環境や対人関係   の中で自然と形成されるものであって、意識的に   切り替えられるものではない。)
 (分人とは、日常生活の中でのコミュニケーション   の反復によって形成される一種のパターンに他な   らない。)










☆私たちの生活には、一なる個人として扱われ局面が  多く存在するから(?)

・エッジの利(効)いた=端々がシャープで気が利い  ている様などを意味する表現。自在な動きが可能な  様を指す表現
★他と違って鋭い切れ味を感じさせるような、非常に  個性的な人間としての生き方ができる(?)














left★板書(+補足)★      
【三】(転)対人関係で形成される分人の意義
   (転A)分人の数・サイズ

                (本論A…考察)
<それでは>
<一人の人間の中にどれくらい分人がいるのか>
    ↓
〇付き合いのある人の数だけ、分人を持っている
 ・交際範囲も有限の時間の中でしか広げられない
 ・分人の数には、人によってかなり差がある。
 ・知人の数ではなく、分人の数である。
 ・分人の数には、恐らく上限があるのだろう。

<では>
<分人のサイズは何によって決まるのか>
    ↓
〇分人のサイズは、コミュニケーションの相手が自分  の中に占める比率によって決まる
 ・コミュニケーションの反復によって、分人は最新   の状態に更新されてゆく
 ・分人の中で、大きな比重を占めるものもある        (両親・配偶者・仕事相手との分人)
 ・サイズ不変のものではなく、
  人間関係が変われば、おのずと変化する

▼〈段落まとめ〉
一人の人間の中の分人の数は、人によって差があり、 分人のサイズは、コミュニケーションの相手が自分の 中で占める比率によって決まり、人間関係の変化によ って更新される。

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left★板書(+補足)★      
【四】(結)他者との相互作用の中にある私という存在
               (結論確認・補足)
<私という存在>は孤独に存在しているのではなく
 常に<他者との相互作用>の中にある。
 ・人間には幾つも分人があるが、
  他者を必要としない「本当の自分」とは
  人間を隔離する檻である。(分人の一つ)
   →もしそれ(?)を信じるなら、「本当の自分」     を生きるためには、できるだけ他者との関係     が切断されているほうが良い。
    ↓
 <しかし>結局そうしてみたところで、
 ・「本当の自分」という幻想を痛感させられる   だけだ
  (日常生きている<複数の人格>とは別に    <中心となる「自我」=「本当の自分」>が   存在すると考える矛盾・苦悩は、幻想でしかない

▼〈段落まとめ〉
私は他者との相互作用の中にしかない。他者を必要と しない「本当の自分」を生きようとしても、その幻想 を痛感するだけだけだ。(?)

right★発問☆解説ノート★      

☆「私という存在」は、常に他者と共にあって、
 他者とのコミュニケーションによって形成される
 複数の人格がネットワーク化された集合体としての
 存在である
☆人間は、他者を尊重し調和を目指しコミュニケーシ  ョンを交わして、複数の人格(本当の自分)を生きて  いるのである。従って、他者を必要としない「本当  の自分」とは、孤独ではばく他者とのコミュニケー  ションを欲求するはずの人間を檻に閉じ込めている  ような不自然な在り方で、存在するものでない(?)

★好ましい分人もあればストレスとなる分人もあり、
 分人の構成比率が私たちの個性を決定する。
 ある分人が辛いのであれば、その分人を生きるのを  休止し、心地良い分人を生きながら状態が落ち着く  のを待つ、という方法もある
 本当の自分は一つではない。
 個性は分人の構成比率によって決定されるので、  環境やつきあう相手が変わった時も一人になった  時も有効な概念といえる。
☆「本当の自分」は一つだが、社会生活上、表面的な  幾つかの顔を使い分けているという考え方もある。 ☆「個人」は、分割することの出来ない一人の人間で あり、その中心には、たった一つの「本当の自分」が 存在し、さまざまな仮面を使い分けて社会生活を営む ものと考えられている。
これに対し、「分人」は、対人関係ごと、環境ごとに 分化した、異なる人格のことである。
中心に一つだけ「本当の自分」を認めるのではなく、 自分自身を、更には自分と他者との関係を、分人とい う観点から見つめ直すことで、自分を全肯定する難し さ、全否定してしまう苦しさから解放され、複雑化す る先行き不透明な社会を生きるための具体的な足場を 築くことが出来る。

left★板書(+補足)★    
〈要約〉
私たちは、多種多様な対人関係の中で、一個の個人と してではなくて、各々のコミュニケーションへのパタ ーンとしての複数の人格である「分人」として生きて いる。これこそが「本当の自分」であって、他に中心 となる「本当の自分」などは存在しない。
だから、誰に対しても首尾一貫した没個性的な八方美 人として生きるのでなく、対人関係ごとに思い切って 分人をベース自分を考えれば、複数のエッジの利いた 鋭い切れ味を感じさせるような非常に個性的な人間と しての生き方ができるのだ。
私たちは孤独に存在するのではなく、必要とする他者 との相互作用の中でしか生きていけないのだから。


right★発問☆解説ノート★      
平野啓一郎「分人とは何か」(YouTube解説)
平野啓一郎「分人とは何か」(YouTube解説)




〈要旨200字=24×8〉(…参考資料)



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